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22話 勝手に決めないで


「……」


「……お嬢様?」


アルターナは手紙を床に落としたまま、微動だにしなかった。


フローラが恐る恐る顔を覗き込む。


「顔色が……よろしくないようですが……」


「…………フローラ」


「はい」


「馬車の用意をして」


「……はい?」


「今すぐ」


有無を言わさぬ声だった。


フローラは手紙をちらりと見た。エスカディオ公爵家の封蝋。差出人はネオリム。


内容までは見えない。だが、これほどまでにアルターナの様子がおかしくなる手紙など、そう多くはない。


「……承知いたしました」


フローラは一礼し、静かに部屋を出ていった。


残されたアルターナは手紙を拾い、目を落とした。



『アルターナへ


単刀直入に言う。エスカディオ家にしばらく住んでもらいたい。

双子から聞いた話では、僕たちはそう遠くない時期に結婚することになるらしい。だとすれば、今の段階から準備を進めておく方が合理的だろう。

同居についても、婚姻を前提とした話であれば、外聞上も問題はない。

双子の監督、魔道具研究への関与、王家や社交界への対応。どれを取っても、君が頻繁に行き来する現状は非効率だ。屋敷にいれば、その都度連絡を取る手間も、外出の準備をさせる手間も省ける。

部屋はこちらで用意する。必要なものがあれば言え。

返事は急がない。ただし、双子の監督上、早い方が助かる。

——ネオリム』



何度読み返しても、同じ文面だった。


——結婚することになるらしい。


まるで天気の話でもしているような書き方だった。


「…………らしい、ですって?」


誰に聞かせるでもなく、低い声が漏れた。



(……冗談じゃないわ)



自分の結婚の話を、当の本人からではなく、双子から聞いた又聞きで、しかも手紙一枚で「合理的だから」と済まされる。



——まるで、十歳の時の、あの日のようだ。


親が勝手に決めた婚約。あの時も、自分の意思なんて誰も聞かなかった。


それから七年。ようやく、自分の意見も、感情も、無視できないところまで来たと思っていたのに。


(……また、私の知らないところで、勝手に話が進んでる)


あの時は、親が二人の意思を完全に無視して婚約を決めた。


今回は——ネオリムなりに、理由をつけて、提案してきている。


筋が違う、と言われれば、たしかにそうかもしれない。


(……でも)


それでも。


(——それでも、腹が立つものは、腹が立つのよ)




〜〜〜




馬車の中、アルターナはずっと窓の外を睨んでいた。


隣に座るフローラは、珍しく何も言わずに主人の様子を窺っている。


(……絶対に、言ってやるんだから)


同居の提案自体は、別に構わない。


双子の世話も、魔道具の研究も、自分が関わっている以上、行き来する手間が省けるのは合理的だ。それは分かる。分かるのだが。


(……“外聞上も問題ない”、ですって?)


まるで、自分の結婚が、体裁を整えるための道具みたいな扱いだった。


(私は、あんたの計画表の一項目じゃないのよ)


怒りで、指先が冷たくなっていくのが分かった。




〜〜〜




エスカディオ公爵家に到着すると、アルターナは案内も待たずにずんずんと屋敷の中へ進んだ。


「あ、アルターナ様……!?」


出迎えようとした使用人が、その勢いに驚いて後ずさる。


「ネオリムは」


「え、あ、執務室に……」


「そう」


短く答え、アルターナは迷いのない足取りで進んでいく。


途中、談話室の扉が薄く開いているのが見えた。


中から微かにリシュアとアシュリーの声がする。



「……ねえ、お兄ちゃん、あの手紙、大丈夫だったかな」


「…俺に聞くなよ。お前が余計なこと喋ったんだろ」


「余計なことって!私はただ、質問に答えただけで……!」


「そもそも未来の話を無闇に話すのがダメだったんだ。分かるだろ?そもそも父さんたちの結婚はエルヴィンおじい様が進めたんだから、明確な結婚の時期なんて示したら……」


「うぅ……」


アルターナは足を一瞬だけ止めた後、すぐに歩き出した。


(……なるほどね)


事情は、だいたい読めた。


(——でも、それとこれとは、話が別よ)




〜〜〜




執務室の扉を、ノックもせずに開けた。


「——っ、な」


ネオリムが顔を上げる。


机の向こうで、書類と万年筆を手にしたまま固まっていた。


「アルターナ?なぜ連絡もなく——」


「連絡ならしたわよ、そっちが先に」


アルターナは手紙をひらりと机の上に投げるように置いた。


ネオリムの視線が、一瞬だけそれに落ち、机に置いた万年筆を指先で小さく転がすように弄り始めた。


「……読んだんだな」


「読んだわ。何度もね」


「なら話は早い。返事を——」


「まだ何も言ってないでしょう」


ぴしゃりと遮ると、ネオリムは口を閉じた。

万年筆を弄る指先も止まった。


アルターナは腕を組み、まっすぐ彼を見据える。


「聞きたいことがあるの」


「……なんだ」


「“外聞上も問題ない”って、何よ」


ネオリムの眉が、わずかに動いた。


「……言葉のままだが」


「私の結婚は双子を監督する効率のためだけのもので、その上、外聞上都合がいいかどうかで語られてるってことでしょう、それ」


「そういう意味では——」


「じゃあどういう意味よ」


「……社交界に説明する際、根拠として使える、という話だ」


「根拠、ね」


アルターナは鼻で笑った。


「私は、あんたが社交界に説明するための根拠なわけ」


「そこまでは言っていない」


「言ってるようなものでしょう、この手紙」


ネオリムは、わずかに視線を逸らした。


「……そんなつもりで書いたわけではない、僕は事実と合理性を並べただけだ。深読みのしすぎだ」


「はあ?深読みじゃないわよ、これは!!」


声が響いた。


「一度でも、私に直接聞こうと思わなかったの?“結婚する気はあるか”とか、“どう思ってるか”とか」


ネオリムは、しばらく黙っていた。


やがて、静かに口を開く。


「双子から話を聞いた。近い未来、僕たちは結婚する。それが事実なら、先に準備を進めるのは当然の判断だろう。何が悪い」


「順番が違うのよ!!」


アルターナは一歩詰め寄った。


「結婚するかもしれない、って話を、まず私に聞くのが先でしょう。双子に聞いて、勝手に確定させて、その後で私に手紙寄越すって、順番がおかしいでしょう!?」


「……」


「私は、あんたの予定表に勝手に書き込まれる項目じゃないの。結婚も、同居も、全部あんたと双子だけで決めて、私には結果だけ知らせればいいと思ってるわけ?」


「そんなつもりは——」


「あるじゃない!!この手紙、そういう手紙でしょう!!」


ネオリムがわずかに眉を寄せる。


「……理屈が飛躍している」


「理屈じゃないの、これは!!」


アルターナは一歩詰め寄った。


「あんたが何を合理的だと思おうと勝手よ。でも、私の人生の話でしょう。それを、まるで書類の手続きみたいに進めるな、って言ってるの」


「……」


「七年前だって、そうだった。親が勝手に決めて、私たちの意思なんて誰も聞かなかった。あの時は子供だったから仕方なかったけど……

…今度はあんたが同じことをするつもり?」


ネオリムは、そこで初めて、明確に言葉を失ったようだった。


「……それは」


「それは、何よ」


「……そこまで、根深い話だとは思っていなかった」


「思っていなかったんじゃなくて、考えてなかったんでしょう」


アルターナは吐き捨てるように言った。


「あんたは、いつもそう。効率とか、合理性とか、外聞とか。そっちばっかり先に立って、私がどう思うかなんて、後回し」


「……」


ネオリムは何かを言いかけて、やめた。


「……なに?」


「……いや」


沈黙が落ちる。


しばらく、二人とも何も言わなかった。


やがて、ネオリムがぽつりと言った。


「……悪いと思っていないわけじゃない」


「思ってないわけじゃない、って何よ、はっきりしなさいよ」


「……手紙の書き方が、君に配慮を欠いていたことは、認める」


「認めるのが遅いのよ」


「認めるまでに時間がかかるのは、僕の性分だ」


「開き直らないでちょうだい」


「開き直っているわけでは——」


「もういいわ」


アルターナは片手を上げて遮った。


「謝る気があるのかないのか、それだけでいいの」


「……ある」


「じゃあ言いなさいよ」


ネオリムは、一瞬だけ黙った。


「……悪かった」


短い一言だった。


だが、それだけ言うのに、随分と時間がかかったように見えた。


アルターナは、しばらく黙って彼を睨んでいた。


「……次からは」


「……ああ」


「私に聞きなさいよ。決める前に」


「……分かった」


「双子から聞いた話を鵜呑みにするんじゃなくて」


「……分かったと言っている」


「返事は二回しなくていいわよ」


「……」


ネオリムが、珍しく言葉に詰まった。


アルターナは、それを見てもまだ、怒りが完全には収まらなかった。


分かっている。ここで引くのが、大人のやり方なのだろう。


だが、まだ何かが胸につかえたままだった。


「……この話は」


アルターナは、手紙を指先で押しやった。


「まだ受け取らない」


「……白紙にする、ということか」


「白紙かどうかは知らない」


「……」


「ただ、今のままじゃ、受け取れないって言ってるの」


ネオリムは、また何か言いかけて、結局何も言わなかった。


アルターナも、それ以上は何も言わなかった。


言葉にできない部分が、まだ自分の中に残っていた。


それをどう扱えばいいのか、アルターナ自身にも分かっていなかった。


「……帰るわ」


それだけ言い残し、アルターナは踵を返した。



ネオリムは机の上の手紙に視線を落とし、手に持っていた万年筆を、強く握りしめた。




〜〜〜




扉の外、少し離れた曲がり角。


“アルターナ様が来訪されたのですが、様子がおかしくて…”と使用人から聞いていたリシュアとアシュリーが、ぴったりと壁に張り付いていた。


「……なあ、リシュア」


「なに」


「俺たちが未来の話をするたびに、なんかこう、ややこしくなってる気がする」


「……うん、私もちょっと思った」


「今後、迂闊に喋るのやめような」


「うん……」


二人は神妙な顔で頷き合った。



廊下の向こうから、まだどこか呆然としたネオリムの気配が近づいてくる。


二人は慌てて、何事もなかったかのように談話室へ駆け戻った。

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