20話 公爵夫妻の帰還
翌朝
「ロガート。朝食の準備はできているか」
「はい。ご指示の通り、旦那様と奥様のお好みに合った品々を用意しております」
「双子の準備は?」
「アシュリー様、リシュア様ともに少々お寝坊をされたようで、現在急いでお支度を……」
「……分かった。僕は先に食堂で待っていると、父上たちに伝えておいてくれ」
「かしこまりました、坊ちゃま」
ロガートが一礼して下がっていく。
エスカディオ公爵夫妻の帰還は、屋敷中の空気を一変させていた。
使用人たちは普段からネオリムに敬意を払っている。だが、それでも公爵夫妻が醸し出す威厳とは比べものにならない。ネオリムに向けられる緊張感など、今朝に限ってはまだ可愛いものだった。
公爵エルヴィン=エスカディオ。
そして、その妻オリヴィア=エスカディオ。
昨夜――いや、ほとんど深夜に近い時刻、外交先から戻った夫妻は、長旅の疲れを見せることもなく、まず屋敷の状況とネオリムからの報告を確認していた。ようやく眠りについたのは、かなり遅い時間だったはずだ。
それでも朝には、きっちり食堂に現れるのだから恐ろしい。
ネオリムが先に食堂で待っていると、廊下の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。
「っ、おはようございます!」
最初に現れたのはリシュアだった。
ふんわりとした髪は綺麗に編み込まれ、後ろでひとつにまとめられている。普段は「動きづらいので」と装飾の少ない服を好む彼女だが、今日は上品なフリルのついた淡い色のドレスに包まれていた。明らかに使用人たちに整えられたのだろう。
「遅い。アシュリーはどうした」
「お兄ちゃんはもうすぐです!」
息を弾ませながら答えるリシュアに、ネオリムはそれ以上言わなかった。
ほどなくしてアシュリーも姿を見せる。こちらは明らかに寝起きの不機嫌さを引きずっていたが、それでも服装だけはきちんとしていた。
そして四人が席につく頃には、広い食堂にいつもよりわずかに張りつめた空気が漂っていた。
上座には公爵夫妻。
その向かいにネオリム。
少し離れた位置に、リシュアとアシュリー。
二人とも、普段よりずっと大人しい。
「……なるほど」
最初に口を開いたのはエルヴィンだった。
ネオリムから届いていた手紙と、今朝改めて聞いた報告とを頭の中で整理するような声音で、ゆっくりと言葉を続ける。
「血縁鑑定は済んでいる」
「はい」
「双子で、未来から来たと主張している」
「はい」
「そしてお前は、ジルニア殿下に……」
そこで、エルヴィンの眉がぴくりと動いた。
「……私の隠し子だと説明したのか?」
「最善ではありませんでしたが、最悪を避けるには有効でした」
「その“最悪”を避けるために、なぜ私が犠牲になるんだ」
「未来人だと知られるよりは、ましだったかと」
「それはそうだが」
エルヴィンは頭を抱えた。
その隣で、オリヴィアが静かにティーカップを置く。
「あなた」
「うん?」
「あとで詳しく聞きましょう」
「……疑ってはいないよな?」
「まさか。あなたにそんな度胸はないでしょう」
いつも厳格な公爵が、妻の一言で素直に縮こまった。
その様子を見て、アシュリーは思わず目を瞬かせる。リシュアもまったく同じ顔をしていた。
それに気づいたオリヴィアが、静かに双子へ視線を向ける。
「二人とも」
「は、はい」
「はい」
「まず言っておきます」
その声は穏やかだった。
だが、穏やかだからこそ、かえって緊張を誘う
「私はまだ、あなたたちの言うことを完全には信じていません」
食堂が静まり返る。
「血縁があることは事実なのでしょう。ネオリムの手紙にも、鑑定士の結果にも嘘はないと思っています」
そこで、オリヴィアの目がわずかに細められた。
「けれど、あなたたちの存在がエスカディオ家……そしてメディール家の未来にどのような影響を与えるのか、それは未知数です。あなたたちが持つ“未来”の核心に触れる事柄は、決して外へ漏らしてはなりません」
「……はい」
リシュアが小さく頷く。アシュリーもまた、まっすぐその視線を受け止めた。
「あなたたちに悪意がないようには見える。ですが、それとこれとは別です。公爵家に関わる以上、慎重であるべきでしょう」
「その通りですね」
先に答えたのはアシュリーだった。
「……素直ね」
短く返してから、今度はエルヴィンが少し身を乗り出した。
「では質問をしても? ネオリムから手紙が届いた日から、聞きたかったことが山ほどあってな」
「あなた、まずは二人の名前をお聞きになっては?」
「……コホン。失礼した」
咳払いをひとつ
「二人の名前は?」
「リシュアです」
「アシュリーです」
「……リシュアとアシュリーか」
「……いい名前ね」
エルヴィンとオリヴィアは、しばらくその名を口の中で確かめるように黙った。
ネオリムはその横顔を見た。
警戒が消えたわけではない。だが、そこにほんの少しだけ別の感情が混ざった気がした。
「では」
エルヴィンがやや低い声で続ける。
「お前たちが元々過ごしていた年は、いつだ?」
「……えっと、王国暦三百十八年です」
「ふむ……今から十八年後か。では、ネオリムがアルターナ嬢と結婚したのはいつだ?」
「なっ、父上」
「えっと……確か、十八歳の時に結婚式をしたって言っていたので、多分……来年です」
「っ、リシュア、やめろ」
「では、君たちが生まれたのはいつ頃だ?」
「えっと……父さんたちが十九の時ですね」
「……なるほど、では調整しなければ……」
「あの」
アシュリーが口を挟んだ。
「今、ここで全部言うのは良くないと思います」
「なぜだ?」
「未来が変わるかもしれないから、です」
その言葉に、今度は公爵夫妻が揃って黙り込んだ。
「……ふむ。私は未来の出来事に沿って行動することで、お前たちのいる未来を再現しようとしたんだが……」
エルヴィンが考え込むように呟く。
「妥当でしょう」
オリヴィアが静かに言った
「少なくとも、その警戒心は当然のものです。……私たちも少々、楽しみすぎました」
リシュアは少しだけほっとしたように、肩の力を抜いた。
だが次の瞬間、エルヴィンがにやりと笑う
「では、もう少し別の角度から聞こう」
「……え?」
「ネオリムは未来でどんな父親だ?」
「えっ」
「ネオリムのどんなところが一番面倒だ?」
「ちょ、父上」
「朝は変わらず強いのか弱いのか」
「待ってください、おじい……公爵様」
「私のことは?」
「私のことも聞きます」
「母上まで?」
そこから先は、もはや質問というより尋問に近かった。
ネオリムが止めようとしても、公爵夫妻は止まらない。
リシュアは最初こそおろおろしていたが、聞かれたことに律儀に答えていくうちに少しずつ調子を取り戻し、アシュリーも横から余計なことを言い始める
「ネオリム様は……未来だと、もっと外では取り繕ってます」
「今は取り繕えていないみたいな言い方はやめろ」
「でも家では、割と分かりやすく面倒で…」
「アシュリー」
「本当だから仕方ないでしょ」
「……否定しないのね」
オリヴィアがぼそりと呟いた。
「でも、ちゃんと家族には甘いです!」
リシュアが慌てて付け足す。
「あと、怒る時は怖いけど、最後はちゃんと頭を撫でてくれて…」
「ふむ」
エルヴィンが面白そうにネオリムを見る。
「それは私似かもしれんな」
「違うと思います」
ネオリムが即答した。
「オリヴィア様は……」
リシュアが少し考える。
「未来でもすごく綺麗で、…すごく怖いです」
「…嬉しいことを言ってくれるのね?」
「でも、体調が悪い時とか、隠し事をしてる時はすぐ気づきます」
「それは今も同じだな」
エルヴィンが遠い目をした。
食堂の空気は、いつの間にか最初よりずっとやわらかくなっていた
もちろん、警戒が完全に解けたわけではない。
だが少なくとも、双子を“得体の知れない侵入者”として見ていた空気は薄れている。
その変化に気づいたのは、たぶんネオリムだけではなかった。
リシュアも、アシュリーも、そして公爵夫妻自身も。
「……ふむ」
ようやく質問攻めが一段落したところで、エルヴィンは腕を組んだ。
「なるほど。少なくとも、作り話にしては細部が自然すぎる」
「ええ」
オリヴィアも静かに頷く。
「まだ全てを受け入れるつもりはありません。ですが……排除すべき相手ではない、と判断します」
リシュアの顔がぱっと明るくなった。
アシュリーはほっとしたように小さく息を吐く。
「ただし」
オリヴィアの声に、二人の背筋が再び伸びる。
「勝手な行動は禁止。ネオリムの指示には従うこと。研究とやらも、危険があると判断すればすぐ止めます」
「はい」
「分かりました」
「よろしい」
そこでエルヴィンがにやりと笑う。
「それと、あとで詳しく聞かせてもらうぞ」
「何をですか」
ネオリムが嫌そうに問う。
「私の“隠し子”設定についてだ」
「聞かないでください」
「聞こう」
即答だった。
ネオリムは頭を抱えたくなった。
だが、そのやり取りを見て、リシュアが小さく笑う。アシュリーもほんの少しだけ口元を緩めた。
公爵夫妻の帰還は、脅威にもなり得た。
だが今のところ、それは少しだけ違う方向へ転がり始めている。
ネオリムはそう思いながら、冷めかけた紅茶に手を伸ばした。
「……まあ、いい機会だ」
エルヴィンがふと、何気ない調子で言った。
「アルターナ嬢との結婚の話も、そろそろ本腰を入れて進めよう」
「…………はい???」
ネオリムの声が、珍しく間の抜けたものになる。
リシュアが目を丸くし、アシュリーがゆっくりと視線を逸らした。
オリヴィアは静かに紅茶を飲みながら、
「そうですね」
とだけ、穏やかに頷いた。
――そして、まだ朝だという事実に、ネオリムは静かに絶望した。
今日もまた、長い一日になりそうだった。




