第3話 忠告
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翌日の休み時間、俺は再び二年一組の前まで来ていた。
昨日と違うのは、教室へ目を向けた時に探している相手だ。
黒川先輩ではなく、教室の奥にいる三人の女子生徒。
昨日の昼休み、黒川先輩は須藤先輩と普通に話していた。それなのに、三人のうちの一人と目が合ったように見えた直後、急に態度を変えて教室を出ていってしまった。
あの視線に何か意味があったのか。
気になってもう一度様子を見に来たものの、三人に特に変わったところはなかった。
一人が見せたスマートフォンを残りの二人が覗き込みながら笑ったり、近くの生徒から声を掛けられれば普通に返事をしていて、昨日黒川先輩と目が合った女子も、前の席の男子生徒へも普通に何かを話していた。
周囲の生徒たちと変わらない、どこにでもいそうな女子高生だった。
「昨日の一度だけで決めるのは早いな」
俺が小さく呟くと、隣で教室を覗いていた白夜も三人へ目を向けた。
「ふむ。わらわにも普通の娘らに見えるぞ。昨日のあれも、たまたま目が合っただけではないのか?」
「その可能性もある。だからもう少し見ておきたいんだよ」
「しかし、あの三人を見ておっても恋は叶わぬのではないか?」
「黒川先輩が須藤先輩を避けてる理由が分からないんだから、今は仕方ないだろ」
白夜は納得したのかしていないのか、曖昧な返事をしながら教室の中へ視線を戻した。
俺も再び三人の様子を見ていたが、その間に黒川先輩が席を立った。
友人へ何か声を掛けるでもなく、一人で教室を出て廊下を歩き始める。
こちらへ向かってきたので、俺は窓の外へ視線を移した。
すぐ横を通り過ぎた黒川先輩からは特に声も掛からず、そのまま廊下の先へ歩いていく。
以前、神社で挨拶を交わしたことはあるが、あれだけ周りを気にしていたのだ、向こうは俺の顔を覚えていないだろう。
俺は黒川先輩の姿が見えなくなってから、教室の方へ視線を戻した。
すると、さっきまで楽しそうに話していた三人が、ちょうど席を立つところだった。
何か話しながら教室を出てきた三人は、そのまま黒川先輩が向かったのと同じ方向へ歩いていく。
「おっ、行くぞ湊!」
白夜が嬉しそうに声を上げ、三人のあとを追いかけようとした。
「ちょっと待て。別に今すぐ追いかけなくてもいいだろ」
「なぜじゃ? あの娘らを調べておるのであろう?」
「そうだけど、同じ方向に行ったからって何かあるとは限らないだろ」
三人のうちの一人が友人の肩を軽く叩き、笑いながら角を曲がっていく。
その姿からは、誰かを追いかけているような印象は受けなかった。
白夜は少し不満そうだったが、結局俺の隣へ戻ってきた。
それよりも黒川先輩とあの三人組が居ないクラスの様子を観察する方が何か情報を得られるかも知れない。
人は表情と行動が必ずしも一致する訳ではない。特定の人が居ない教室といる場合の教室、どちらの教室の表情も見ておくべきなのだ。
そのまましばらく教室の中を眺めていると、先ほどの三人が戻ってくるのが見えた。
行く時と同じように何か話しながら歩いていて、一人が笑うと隣の女子もつられて笑っている。
教室へ入る直前には、近くにいた別の生徒から声を掛けられ、足を止めて普通に会話を始めていた。
黒川先輩が戻ってきたのは、それから少し経ってからだった。
一人で廊下を歩いてきた黒川先輩は、途中で制服の袖口を指先でつまみ、何度か整えるように動かしていた。
教室の前まで来ると、何故か一度だけ足を止める。
中へ入る前に小さく息を吐いたように見えたが、すぐに顔を上げ、何事もなかったように教室へ戻っていった。
「……何をしておったのかのう」
白夜が三人の方を見ながら呟いた。
「さあな」
黒川先輩と三人が同じ場所へ行っていたのかも分からない。
ただ、出ていく前と戻ってきた時とでは、黒川先輩の様子が少し違って見えた。それはあくまで廊下だけの事であり、教室の中ではその表情を切り替えてるように見えた。
三人の方にも、特に変わったところはない。
俺はもう一度教室の中を覗いたが、黒川先輩はすでに自分の席へ戻っていて、鞄から教科書を取り出していた。
その近くでは、先ほどの三人が変わらず楽しそうに話している。
俺の中に昨日と同じような違和感だけが少し残っていた。
昼休みになってからも、俺は二年一組の周辺で様子を見ていた。
教室からは弁当を広げる音や友達同士で話す声が聞こえ、廊下には購買へ向かう生徒たちが行き交っている。
そんな中、黒川先輩が一人で教室を出てきた。
手には何も持っておらず、周囲の生徒とすれ違いながら廊下を進み、そのまま女子トイレへ入っていく。
俺が近くの廊下で待っていると、少し遅れて二年一組から例の三人が出てくるのが見えた。
三人は話を続けながらこちらへ歩いてきて、途中で別れることもなく、黒川先輩が入った女子トイレへ消えていった。
「……また一緒か」
思わず口にすると、白夜も入口の方へ目を向けた。
「湊、わらわが中を見てこようか?」
そう言って、返事を聞くより先に歩き出す。
「おい、待て。どこ行く気だよ」
「中じゃ。何をしておるか確かめてくる。わらわなら誰にも見えぬし、都合がよかろう?」
確かに都合がいいかも知れない。ただこの白夜だ。
中での情報を教えてもらったとしてもその情報が本当に正しいのか自分の目で見ない事には判断出来ない。なんせ何でもかんでも急ぎ気味の白夜である。勝手な解釈で中での情報を喋るに違いない。
そもそもバレないからと言ってトイレの中まで観察するのは俺が許せない。
「いや、女子トイレまで入るなよ」
「なぜじゃ! わらわは神じゃぞ?」
「神様でも駄目なもんは駄目だろ」
白夜は納得できない様子でこちらを振り返った。
「しかし、中で何が起きておるか分からぬではないか」
「だからって何でも覗いていいわけじゃないだろ。戻ってきてくれ」
しばらく不満そうにしていた白夜だったが、俺が譲る気がないと分かると、渋々隣へ戻ってきた。
「まったく、おぬしは妙なところで頑固じゃのう」
「お前が適当すぎるんだよ」
そう返しながら、俺は廊下の端へ移動した。
女子トイレの前に立ち続けていては、さすがに不審に思われかねないからだ。
少し離れた場所からでも、出入りする生徒の様子は確認できる。
勿論だが中から何か聞こえてくることもなく、昼休みの廊下にはいつもどおり生徒たちの話し声が響いていた。
しばらくして、先に出てきたのは三人だった。
前に見た時と同じように楽しく話しながら三人はそのまま教室の方へ歩いていった。
俺たちの近くを通り過ぎる時にも、特に周囲を気にする様子もなかった。
「楽しそうじゃのう」
白夜が三人の背中を見送りながら言った。
確かに、普通に昼休みを過ごしているようにしか見えない。
その少しあとに黒川先輩が出てきた時、俺は思わずそちらへ視線を向け直した。
トイレへ入る前とは、歩く時の様子が違って見えた。
顔を上げて歩いていたはずなのに、今は足元へ視線を落としたまま、ゆっくり廊下へ出てくる。
制服の裾を指先で直したかと思うと、今度は袖口へ手を伸ばし、何度か擦るように触れていた。
向こうから別の生徒が歩いてくると、黒川先輩はトイレに入る前の表情に戻し、相手と一言交わし歩き始めた。
しかしその生徒が離れると、視線はまた足元へ戻ってしまった。
「……湊」
白夜が、いつもより小さな声で呼びかけてくる。
「何かあったのかのう?」
「分からない。けど、入る前とは様子が違うな」
黒川先輩はそのまま教室へ向かっていった。
俺たちの前を通り過ぎる時も、周囲へ顔を向けることはなかった。
その後ろ姿を見送りながら、さっきの三人が出てきた時の様子を思い返す。
向こうは楽しそうに笑っていた。
黒川先輩は、一人で俯いて歩いている。
中で何があったのかは分からない。
それでも、昨日の昼休みに感じた違和感が、また同じ三人の近くで繰り返されたことだけは確かだった。
放課後、俺は再び二年一組の近くまで来ていた。
さすがに今日は何度もここへ足を運んでいるので、白夜もすっかり退屈しているらしい。
「随分と熱心じゃのう。おぬし、まさか恋愛成就の仕事が気に入ったのではあるまいな?」
「誰のせいでこんなことしてると思ってるんだよ」
「わらわのおかげであろう!」
「前向きで羨ましいよ」
白夜は褒められたと思ったのか、満足そうに胸を張っている。
そうしている間に、二年一組から黒川先輩が出てきた。
鞄を持って一人で歩いていたので、そのまま昇降口へ向かうのかと思ったが、途中で進む方向を変え、人通りの少ない廊下へ入っていく。
俺は少し間を空けてから、そのあとを追った。
昼間の様子も気になっていたし、あの三人との間に何があるのか、もう少し確かめておきたかった。
授業を終えた生徒たちが部活動や帰宅の準備を始めていて、廊下にはまだ何人かの姿がある。
黒川先輩は誰かと話すこともなく、鞄を手にしたまま歩き続けていた。
やがて人気の少ない方へ曲がっていく。
俺もそのまま角へ向かおうとしたが、先の方から聞こえてきた声に足を止めた。
「別に、黒川さんに須藤君と話すなって言ってるわけじゃないよ?」
女子生徒の声だった。
穏やかな話し方で、少なくとも怒鳴っているようには聞こえない。
俺は足音を立てないように角へ近づき、少しだけ先の様子を覗いた。
そこにいたのは、黒川先輩と、昨日から見ていた三人だった。
声を掛けているのは、昨日の昼休みに黒川先輩と目が合ったように見えた女子生徒だ。
その女子は、普段教室で友人と話している時とほとんど変わらない表情で、黒川先輩へ向かって話を続けていた。
「ただ、須藤君って人気あるじゃん? 気にしてる子も多いし、あんまり近いと黒川さんのことよく思わない子もいると思うんだよね」
黒川先輩は何も言わず、鞄の持ち手を両手で握ったまま話を聞いている。
女子はその様子を見ても、特に気にしたふうではなかった。
「それで変なこと言われたり、いじめとかになったら嫌じゃん。だから、ちょっと気をつけた方がいいんじゃないかなって。私たちはそう思っただけ」
言い終えると、相手を安心させるように少し笑った。
言葉だけを聞けば、黒川先輩のことを心配しているようにも聞こえる。
しかし、黒川先輩はすぐには返事をしなかった。
鞄の持ち手に掛けた指は、さっきからほとんど動いていない。
黒川先輩の後ろ姿しか見えず、表情は確かめられない。
黒川先輩はしばらく俯いていたが、やがて顔を上げ、話をしていた女子の横にいるもう一人へ視線を向けた。
その女子は、目が合いそうになると少し口元を動かした。
何か言いかけたようにも見えたが、結局声は出さず、そのまま顔を逸らしてしまう。
残る一人は会話に加わらず、話している女子と黒川先輩を静かに見ていた。
「……うん。分かった」
やがて黒川先輩が小さく頷いた。
返事を聞いた女子は、少しだけ表情を緩める。
「うん。別に黒川さんを責めてるわけじゃないからね。変なことになったら嫌だなって、それだけ」
黒川先輩はもう一度頷いたが、何かを言い返すことはなかった。
三人ともう話す事は無いのか、こちらへ引き返してくる。
俺はすぐに角から離れ、近くの廊下へ移動した。
黒川先輩が通り過ぎていく気配を確かめてから、もう一度さっきの場所へ目を向ける。
三人はまだそこにいたが、何を話しているのかまでは聞こえなかった。
俺は少し離れてから、白夜へ声を落とした。
「……聞いたか?」
「うむ。妙な忠告じゃったのう。あれでは祐希と話すなと言っておるようなものではないか」
俺も同じことを考えていた。
ただし、実際には一度も「話すな」とは言っていない。
須藤先輩は人気があるから、近づきすぎると嫌な思いをするかもしれない。
黒川先輩のことが心配だから、気をつけた方がいい。
言葉を選べば、相手のためを思って助言しているようにも聞こえる。
けれど、黒川先輩はあの話を聞いて、どう感じたのだろう。
昨日、須藤先輩と話していた時の様子が頭に浮かんだ。
最初は自然に返事をしていたのに、教室の奥へ視線を向けた途端、表情を変えて離れていった。
あの時、黒川先輩が何を気にしていたのか。
少なくとも、今聞いた会話と無関係には思えなかった。
昇降口へ向かうと、黒川先輩が自分の下駄箱の前に立っているのが見えた。
周囲では部活動へ向かう生徒や帰宅する生徒たちが行き交い、靴を履き替える音や友達を呼ぶ声が絶えず聞こえてくる。
俺は少し離れたところで足を止めた。
黒川先輩は下駄箱の扉を開けたまま、中を覗き込んでいる。
誰かに声を掛けられたわけでもないのに、扉を開けた姿勢のまま動かなくなっているのだ。
やがて、黒川先輩がゆっくり下駄箱の中へ手を入れた。
取り出したのは靴ではなく、丸められた紙だった。それを片手に持ったまま、もう一度中を探る。次に出てきたのは空になった菓子袋で、その奥からはくしゃくしゃになったティッシュまで出てきた。
「……おい」
思わず声が漏れた。
隣にいた白夜も、さっきまでとは違う表情で下駄箱の方を見ている。
黒川先輩は手の中に溜まっていくゴミへ目を落としたあと、一度だけ周囲を見回した。
誰かを探しているのか、それとも見られていないか気にしているのか。
その表情からは分からなかったが、少なくとも俺の位置から見える範囲では、誰かに声を掛けようとしている様子はなかった。
黒川先輩は再び下駄箱へ手を伸ばし、奥に残っていた紙くずを一つずつ取り出していく。
すぐ近くを、笑いながら話す生徒たちが通り過ぎた。
一人が友人の肩を叩きながら何かを言い、相手が大きな声で笑う。
その声に黒川先輩が一瞬だけ顔を上げたが、生徒たちは何も気づかないまま昇降口を出ていった。
黒川先輩はもう一度手元のゴミを見下ろし、下駄箱の中に何も残っていないことを確かめてから、静かに下駄箱の扉を閉めた。
泣いているわけでも、怒っているわけでもない。
ただ、ゴミを持ったまま少し俯き、それから近くのゴミ箱へ向かって歩き始めた。
俺は声を掛けるべきか迷ったが、その間にも黒川先輩は何事もなかったようにゴミを捨て、下駄箱へ戻っていった。
上履きを脱ぎ、靴を履き替える。
さっきまでの光景を見ていなければ、普通に帰宅する生徒の姿と何も変わらない。
隣では白夜が黙ったまま、黒川先輩の動きを見ていた。
「……さっきの三人か?」
しばらくして、白夜が小さく呟いた。
「まだ分からない」
「じゃが、あやつらは麻美に祐希へ近づくなと言っておったではないか」
「そうだな。でも、ゴミを入れたところは見てないだろ」
白夜は何か言い返そうとしたものの、結局そのまま口を閉じた。
状況だけを見れば、あの三人を疑うのは自然だと思う。
須藤先輩との距離を気にしていた女子がいて、その直後に黒川先輩の下駄箱からゴミが出てきた。
無関係とは考えにくい。
しかし、誰が入れたのかまでは分からない。
「ならば、あの三人をどうにかすればよいのではないか?」
白夜がもう一度こちらを見上げてくる。
「……まだ早い」
「なぜじゃ? 麻美が嫌な思いをしておるのは確かであろう?」
「それはそうだけど、今あの三人に何を言うんだよ。下駄箱にゴミを入れたのかって聞いて、違うって言われたらどうする?」
白夜は難しい顔で腕を組んだ。
「むう……」
俺もすぐに答えが出るわけではなかった。
目の前で見た黒川先輩の様子から、嫌がらせを受けていることは分かった。
しかし、あの三人がどこまで関わっているのかも、黒川先輩がどんな状況に置かれているのかも、まだ全ては分からない。
黒川先輩は靴を履き替えると、何もなかったように昇降口を出ていった。
その背中を見送りながら、俺はさっきの光景を思い返していた。
丸められた紙を取り出した時も、空の菓子袋を見つけた時も、黒川先輩は声を上げなかった。
周囲を一度見回したあと、最後まで自分の手でゴミを拾っていた。
あんなことをされたら、普通はもっと驚いたり、怒ったりしてもおかしくないと思う。
それなのに黒川先輩は、誰かに助けを求めることもなく、静かに片付けて帰っていった。
あれが初めての出来事だったのか、それとも以前にも似たようなことがあったのか。
俺にはまだ分からない。
ただ、初めてされた反応には見えなかった。
「……白夜、もう少し調べるぞ」
「うむ。わらわも、あれは見過ごせぬ」
いつになく真面目な返事だった。
俺は昇降口の外へ目を向ける。
黒川先輩はすでに校門へ向かっていて、部活帰りの生徒たちの間にその姿が紛れようとしていた。
須藤先輩と話したいという、あの絵馬の願い。
しかし、二人が普通に会話できるようになったところで、今日見た嫌がらせまでなくなるわけではない。
誰が、何のために黒川先輩へあんなことをしているのか。
ちゃんと調べる必要がありそうだ。
少し前に進んだかな?
3話も読んで頂きありがとうございます。




