第2話 避けてる理由
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翌朝、結守神社の石段を下りながら、昨夜じいちゃんが口にした言葉を思い返していた。
『あいつ、お前を選んだか』
白夜の名前を出した途端、じいちゃんの箸が一瞬だけ止まった。
驚いている様子はなかった。それどころか、俺に白夜が見えていると分かっても、まるで以前からそうなる事を知っていたかのように受け止めていた。
あれから何度か聞いてみようとは思ったが、結局そのまま夕食を終えてしまった。
今朝もいつもどおりだった。じいちゃんは朝食を食べながら新聞を読み、俺が学校へ行く時には「気をつけてな」と声を掛けただけだ。
昨日のことを気にしている様子は、少なくとも俺には見えなかった。
「朝から難しい顔をしておるのう」
少し先を歩いていた白夜が、石段を下りながらこちらを振り返った。
通学時間ということもあって、下の方には成瑠学高校の制服を着た生徒が何人か見えている。
その中を、狐耳と尻尾を生やした少女が堂々と歩いているのだから妙な光景だ。本人はまったく気にしていないようだが、周囲の誰一人として白夜へ視線を向けることが無いので当たり前だ。
「宗一のことか?」
「まあ、それもある。昨日のこと、じいちゃんは何か知ってるみたいだったしな」
「ならば聞けばよかろう。宗一なら、おぬしが尋ねれば答えてくれるのではないか?」
「それならいいんだけどな。お前だって昨日、昔の話が出そうになった途端に妙に静かになってただろ」
白夜は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに顔を逸らした。
「……気のせいじゃ」
「そうか?」
「そうじゃ! それより湊、今日は学校で麻美と祐希の様子を見るのであろう?」
あからさまな話題の変え方だった。
気にならないわけではないが、今ここで聞いても答えてくれそうにない。
それに、今日は学校で確かめたいことがあった。
昨日、結守神社へ来た黒川麻美のことだ。
最初は好きな相手と付き合いたいと願っていたが、それを自分で消して、もう一度ちゃんと話したいと書き直していた。
あの時の迷うような手の動きは、今でも覚えている。
「今日は二人を会わせるのか?」
白夜が期待に満ちた顔でこちらを見上げてくる。
「勝手に話を進めるなよ。そもそも二人がどういう関係なのかも分かってないんだから、まずは様子を見てからだ」
「じゃが、麻美は祐希と話したがっておるのであろう? ならば会わせればよいではないか」
「同じ学校なんだから、会おうと思えば会えるだろ。それでも神社まで来て願い事をしたんだぞ?」
俺がそう返すと、白夜は少し考えるように首を傾げた。
「……やはり人間の恋というのは面倒じゃのう」
白夜はそう呟くと、諦めたように前へ向き直った。
その背中を追いながら石段を下りきったところで、横から小走りで誰かが近づいてきた。
「湊、おはよー!」
聞き慣れた声とほとんど同時に、桜色の髪をなびかせ俺の隣に並んだ。
「おはよう、杏」
桜井杏とは、子供の頃からの付き合いだ。
俺が都会へ引っ越してから何年も会っていなかったはずなのに、高校で再会して一週間も経てば、昔と何も変わらない距離で話しかけてくる。
今日も隣へ並ぶなり、嬉しそうに口を開いた。
「ねえ、聞いてよ。昨日うちのクラスの子に恋愛相談されちゃったんだけどさ」
「また恋愛の話か」
「またって何よ。今回は結構気になる話なんだから」
杏は少し不満そうに頬を膨らませたものの、すぐに楽しそうな表情へ戻った。
「その子、購買でよくパン買うんだけど、昨日クラスの男子が奢ってくれたんだって。それで『これって脈ありかな?』って相談されたの」
「パン一個で?」
「私も最初はそう思ったんだけど、その男子、その子がいつも買ってるパンを覚えてたらしいんだよ。しかも、売り切れそうだったから先に買っておいてくれたんだって」
なるほど。
ただ奢ってもらっただけならともかく、そこまで聞くと少し印象が変わってくる。
その時、前から歩いてきた女子生徒が杏に気づき、「おはよう」と手を振ってくる。
杏も当たり前のように挨拶を返し、相手が通り過ぎると、何事もなかったようにさっきの話を続けた。
新学期が始まってまだ一週間しか経っていないのに、随分と知り合いが多いらしい。
もっとも、昔からこういうやつだった。
俺が神社の境内で参拝客を眺めている時も、杏は勝手に隣へ座り、その日学校であったことや友達の話を楽しそうに聞かせてくれた。
俺の返事が少なくても気にせず、いつの間にか別の話題へ移っている。
数年間離れていたとは思えないほど、今もその辺りは変わっていなかった。
「それで杏は何て答えたんだ?」
「まだ分からないって言ったよ。普段から他の子にも同じことしてるかもしれないし。でも、その子の好きなパンを覚えてたっていうのは気になるかな」
「へえ、意外と冷静なんだな」
俺がそう言うと、杏は不満そうに眉を寄せた。
「どういう意味? 私だって何でもかんでも『絶対好きじゃん!』って言ってるわけじゃないからね」
「そうなのか。入学して一週間で恋愛相談されるくらいだから、てっきりもっと盛り上げるのかと思った」
「恋愛話は好きだけど、相談されたらちゃんと考えるよ。それに、その子が自分から話してくれたんだからね? 私が聞き回ってるわけじゃないんだから」
そこまで言うと、杏は少し得意げに笑った。
隣を歩いていた白夜が、なぜか面白くなさそうな顔で俺を見上げている。
杏の話に何か引っかかったのかもしれないが、余計なことを言えば面倒になるので放っておくことにした。
学校が見えてきたところで、昨日の絵馬に書かれていた名前が頭をよぎった。
「そういえば杏、この学校に黒川麻美って人がいるの知ってる?」
杏は少し視線を上げ、記憶を探すように考えていたが、すぐに何か思い当たったらしく頷いた。
「黒川麻美……ああ、図書委員の人かな。昨日、図書室で見かけたよ。確か二年一組だったと思うけど」
「そうなんだ。じゃあ、須藤祐希って人は?」
今度は名前を聞いてすぐに反応した。
「須藤先輩なら知ってるよ。バスケ部の人でしょ? 明るいし、男女問わず友達も多いみたいだし、何より須藤先輩が目当てで女バスに入ろうとしてた子も居たし」
思っていたよりすんなり情報が出てきた。
「詳しいな」
「別に詳しくないよ。須藤先輩は結構目立つし、黒川先輩は図書室で見ただけだもん。それより、何で急に二年生のことなんか聞くの?」
杏が不思議そうに顔を覗き込んでくる。
恋愛を成就させるためとか言えないし、なんて誤魔化すか……そもそも先輩だったのか……
「ちょっと気になっただけ」
「何それ。もしかして、湊にも好きな子ができたとか?」
「なんでそうなるんだよ」
「だって湊が自分から男女のこと聞いてくるなんて珍しいじゃん」
杏は面白そうに笑っている。
どうやら本気でそう思っているわけではなさそうだが、ここで変に説明すると余計に面倒なことになりそうだった。
俺が黙っていると、杏は小さく肩をすくめた。
「まあいいけど。湊って昔から、変なところだけ急に気にするよね。私が隣で喋ってても、知らない人をずっと見てたりしてたし」
「そうだったか?」
「そうだよ。こっちは一生懸命話してるのに、湊は知らないおじさんとか見てるんだもん」
「……今考えると結構失礼だな、それ」
「今さら気づいたの?」
杏が声を出して笑う。
そのまま校門をくぐる頃には、話題はもう今朝のパンの続きへ戻っていた。
俺も黒川先輩たちについて、それ以上聞くことはしなかった。
二年一組。
とりあえず、二人がどこにいるのかは分かった。
二時間目が終わった休み時間、俺は白夜と一緒に二年生の教室が並ぶ階へ向かっていた。
階段を上りきったところで白夜が周囲へ目を向け、何かを探るように少し黙り込む。
「ふむ。二人とも近くにはおるぞ」
「近くって、どの辺だ?」
「近くは近くじゃ。細かい場所までは分からぬ」
相変わらず大雑把な能力だ。
もっとも、杏から二年一組だと聞いているので、今はそれほど困らない。
休み時間の廊下には別の教室へ遊びに行く生徒も多く、一年生の俺が歩いていても特に目立つことはなかった。
クラスを確かめながら進み、二年一組の前まで来たところで、開いている扉から中を覗いてみる。
昨日、神社で見た黒川先輩はすぐに見つかった。
机のそばに立ち、鞄から次の授業で使うらしい教科書を取り出している。
周囲では友達同士で話す声や笑い声が飛び交っていたが、黒川先輩はその輪に加わることもなく、自分の机へ視線を向けていた。
そこへ、近くで友人と話していた男子生徒が歩いてきた。
「黒川、昨日のプリントなんだけど――」
名前を呼ばれた瞬間、黒川先輩の手が止まった。
教科書を持ったまま顔を上げ、相手を見たものの、すぐには返事をしない。
男子生徒が話を続けようとすると、黒川先輩は少し迷うように視線を落とし、それから鞄へ手を伸ばした。
「……ごめん、須藤君。私、図書室に行かないと」
須藤。
昨日、絵馬に書かれていた名前と重なった。
この人が須藤祐希先輩か。
須藤先輩は一瞬だけ口を開きかけたが、黒川先輩が教科書を鞄へ戻すのを見ると、そのまま言葉を飲み込んだ。
「……そっか。じゃあ、またあとで」
無理に引き止めることはせず、通り道を空ける。
黒川先輩は小さく頭を下げ、その横を通って教室を出ていった。
声は冷たくなかった。むしろ申し訳なさそうに聞こえたくらいだが、今ここで話を続けるつもりがないことだけは、はっきり伝わった。
須藤先輩はしばらくその場に残り、教室を出ていく黒川先輩の背中を見送っていた。
呼び止めようとしたのか、少しだけ上がっていた手が、相手の姿が遠ざかるにつれてゆっくり下りていく。
その様子を眺めていると、廊下を歩いていた黒川先輩の足取りが、角を曲がる手前で僅かに緩んだ。
そのまま立ち去るのかと思ったが、肩越しに一度だけ振り返る。
視線の向いた先には、まだ教室の入口近くに立っている須藤先輩がいた。
二人の目が合ったかどうかまでは分からない。
けれど黒川先輩は、すぐに顔を戻して廊下の先へ消えていった。
「……妙じゃのう」
隣で白夜が呟いた。
「祐希と話すために絵馬を書いたのであろう? 向こうから話しかけてきたのに、自分から逃げてしまうとは」
「そうなんだよな」
俺もそこが気になっていた。
話したくないのなら、最初から絵馬にあんな願い事を書く必要はない。
けれど実際に須藤先輩から声を掛けられると、黒川先輩は会話を切り上げてしまった。
それなのに、離れたあとにはわざわざ振り返っている。
その様子を見ている限り、単純に嫌って避けているようには思えなかった。
「やはり祐希のことが好きなのではないか?」
白夜がそう言ってこちらを見る。
「好きなのは絵馬を見れば分かるだろ。問題は、何で話しかけられたのに逃げたのかってことだよ」
「ふむ……それなら、次に話しかけられた時に逃げぬようにすればよいのでは?」
「どうやって?」
「それはおぬしが考えるのじゃ!」
本当に都合のいい神様だ。
俺が呆れている間に、須藤先輩は友人から肩を叩かれ、何かを返しながら教室の中へ戻っていった。
そのあとも周囲から声を掛けられれば自然に笑っていて、特に人付き合いが苦手な人には見えない。
黒川先輩と向き合った時だけ、妙な間があった。
ただ、今のやり取りを一度見ただけで、二人に何があったのかまで決めつけることはできなかった。
昼休みになり、俺はもう一度二年一組の近くへ来ていた。
午前中よりも廊下を行き交う生徒は多く、教室からは弁当を広げながら話す声や笑い声が聞こえてくる。
購買の袋を提げた生徒が友人を呼びながら通り過ぎ、少し離れたところでは何人かが窓際に集まっていた。
その人の流れに紛れながら教室の方を見ていると、黒川先輩が自分の鞄の中を探しているのが見えた。
そこへ、須藤先輩が近づいていく。
「黒川。今日って図書委員の当番?」
突然名前を呼ばれたせいか、黒川先輩は少し驚いたように顔を上げた。
けれど相手が須藤先輩だと分かると、その表情が僅かに和らいだ。
「今日は違うよ」
朝に聞いた時よりも、ずっと自然な声だった。
鞄の中を探していた手も止まり、身体が須藤先輩の方へ向いている。
午前中とは違い、すぐにその場を離れようとする様子もなかった。
「そっか。じゃあ――」
須藤先輩が続きを口にしかけた、その時だった。
黒川先輩の視線が、彼の顔から僅かに外れた。
何を見たのか気になり、俺もその視線の先へ目を向ける。
教室の奥では、三人の女子生徒が集まって話をしていた。
一人が何かを話し、隣の女子がそれを聞いて笑っている。もう一人も時折会話に加わりながら、机の上に置かれたスマートフォンへ目を向けていた。
周囲にいる他の生徒たちと、特に変わったところはない。
そのうちの一人が会話の途中で顔を上げ、何気なく教室の方へ視線を向けた。
黒川先輩と目が合ったように見えた。
睨みつけたわけでも、何かを言ったわけでもない。
表情が大きく変わった様子もなく、俺から見れば、ただ偶然に視線が重なっただけにも思える。
けれど、その直後だった。
それまで須藤先輩へ向いていた黒川先輩の身体が、僅かに硬くなった。
鞄の持ち手に掛けていた指がぎゅっと握られ、さっきまで柔らかくなっていた表情から笑みが消える。
須藤先輩はまだ何かを話そうとしていたが、黒川先輩は返事をするより先に、もう一度教室の奥へ視線を向けた。
そして、いつの間にか身体の向きが少しずつ出口の方へ変わっていく。
「……黒川?」
須藤先輩も何かを感じたらしく、さっきより少し声を落として名前を呼んだ。
その声に黒川先輩はもう一度彼を見たが、先ほどのような自然な表情には戻らなかった。
「……ごめん、須藤君。私、行かなきゃ」
そう言って鞄へ手を伸ばし、会話を終わらせるように身体を向ける。
「あ、黒川――」
須藤先輩が呼び止めようとした時には、黒川先輩はもう教室を出ていた。
今度は振り返ることもなく、足早に廊下を歩いていく。
須藤先輩はその背中を目で追って何か言いかけたまましばらく立っていたが、やがて諦めたように肩の力を抜き、黒川先輩が消えた方を見送っている。
俺はその横顔から、もう一度教室の奥へ視線を戻した。
さっき黒川先輩と目が合ったように見えた女子生徒は、すでに隣の友人との会話へ戻っていた。
三人とも楽しそうに話していて、今だけを見れば、どこにでもいる普通の女子生徒たちだ。
「また逃げおったな」
白夜が小さく呟いた。
俺は返事をせず、黒川先輩が出ていった扉へ目を向けた。
午前中も、須藤先輩に話しかけられた黒川先輩は、その場から離れてしまった。
今も結果だけを見れば同じだ。
しかし、少し気になることがあった。
さっきの黒川先輩は、須藤先輩に声を掛けられた瞬間には逃げようとしていなかった。
驚いたあとには表情を緩め、自然な声で返事もしていた。
変わったのは、そのあとだった。
須藤先輩の向こう側へ視線を向け、教室の奥にいた女子生徒と目が合ったように見えた直後。
俺は何事もなかったように話している三人と、黒川先輩が出ていった教室の扉を見比べた。
あの視線にどんな意味があったのかは分からない。
ただ、黒川先輩の表情が変わったタイミングだけは、妙に引っかかっていた。
黒川先輩が避けている理由は、本当に須藤先輩なんだろうか。
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