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恋愛成就のお仕事  作者: うんも
第一章 須藤祐希 × 黒川麻美

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第1話 初めての依頼

初めましてうんもです。

まずはこのページを開いてくれてありがとうございます。

第一章の完結までは既に書き終えていますので続きが気になる終わり方にはなりません。


どうぞお付き合いください。

夕日に染まり始めた結守神社(ゆいもりじんじゃ)の境内では、風が吹くたびに散りかけの桜が石畳の上を滑っていく。


高校の入学式から一週間。満開だった桜もそろそろ終わりらしく、さっき掃いたばかりの場所にまた薄紅色の花びらが集まっていた。


学校から帰ってきて早々、じいちゃんに頼まれて石畳を掃いているが完全に時期が悪い。

絶対に花びらが散りきってから掃いた方が効率が良いからだ。


昔ならこの時間でも参拝客が何人かおり、掃除する意味もあったかもしれないが、今の境内は静かなもので、鳥の声と木々のざわめきしか聞こえない。


そんな境内にひとつの声が聞こえた。


「大きくなったのう」


石灯籠の脇に、小柄な少女が立っていた。


見た目の年齢だけなら小学生くらいだろうか。ただ、頭の上には人間にはないはずの狐の耳があり、背後では大きな尻尾が風とは関係なくゆっくりと揺れている。


作り物にしては随分と精巧だ。


そう思いながら眺めていると、俺の視線に合わせるように狐耳までこちらを向いた。


「……誰だ、お前」


声を掛けると、少女は一瞬きょとんとした顔になった。


「なんじゃ、その言い草は。久方ぶりに顔を合わせたというのに、もう少し喜んでもよいのではないか?」


「久しぶりも何も、初対面だろ」


少女はしばらく俺を見つめていたが、やがて石灯籠の横からずかずかと歩いてくると、目の前で腰に手を当て、偉そうに無い胸を張った。


「まぁ仕方ないか……わらわは白夜(びゃくや)じゃ。忘れるでないぞ」


仕方ないで済まされても……本当に名前を言われても分からない。


「いや、名前を言われても分からないんだけど。近所の子か?」


「違うわ! わらわはこの神社の神じゃ!」


随分と大きな声だった。


怒りに合わせて狐耳がぴんと立ち、背後の尻尾まで勢いよく揺れている。


ここまで細かく動く小道具なんて聞いた事ない。逆に本物だったとしても目の前の少女を神だと信じる理由にはならない。


「神様って、この結守神社の?」


「そうじゃ。結守神社に祀られておる狐神、白夜とはわらわのことじゃ」


この神社の祀られてる神が狐神なんて知らないし、そいつの名前が白夜なんてじいちゃんからも聞いた事ない。


そもそも神様を名乗る少女が突然現れたところで、普通は信じないだろう。


俺がこの結守神社へ戻ってきたのは、高校に入学する少し前のことだった。


小学校の低学年までは両親やじいちゃんと一緒にここで暮らしていたが、父親の転勤をきっかけに都会へ引っ越し、それから数年間は向こうで生活していた。


人も車も多く、どこへ行っても騒がしい環境には最後まで馴染めなかった。だから高校進学を機に、じいちゃんのいるこの家へ戻ってきたのだが、子供の頃の記憶をいくら辿っても、こんな狐耳の少女を見た覚えはない。


俺が黙っていると、白夜と名乗った少女は呆れたようにため息をついた。


「まったく、相変わらず疑り深いのう。昔はあれほど毎日ここにおったというのに」


「だから、その昔って何の話だよ。俺はお前に会ったことないぞ」


「それはそうじゃろう。あの頃のおぬしには、わらわの姿も声も届いておらなんだからな」


そう言うと、白夜は少しだけ表情を緩めた。


「じゃが、わらわは覚えておるぞ。幼い頃のおぬしは境内の端に座って、飽きもせず参拝客ばかり眺めておった。友達と遊ぶでもなく、何がそんなに面白いのかと思っておったわ」


箒を握っていた手に、自然と力が入った。


確かに、昔の俺はここへ来る人間を眺めるのが好きだった。


石段を上ってくる時には喧嘩していたのに、拝殿の前では少しだけ距離が近くなる夫婦。何でもない顔で絵馬を掛けたくせに、帰り際になって何度も振り返る学生。


笑いながら歩いてきた人が、手を合わせた瞬間だけ別人のように真剣な顔になることもあった。


人間は口で言っていることと、実際の仕草が必ずしも一致するわけではない。


子供の頃から、それを見るのが妙に面白かった。


「……それ、じいちゃんから聞いたんじゃなくて?」


「宗一(そういち)から聞く必要などない。わらわが見ておったのじゃからな」


じいちゃんの名前まで、昔から知っている相手のように自然に出てきた。


もちろん、近所の誰かから聞いた可能性もある。それでも、さっきまでの話を全部でたらめだと決めつけるには、少し引っかかるものがあった。


白夜は俺の顔をしばらく眺めていたが、やがて何かを思い出したように手を打った。


「そうじゃ! 昔話をしておる場合ではなかった。湊(みなと)、わらわがおぬしの前へ姿を現したのには、ちゃんと理由があるのじゃ」


なんで俺の名前を知っているのかも気になったが、それよりも自称神様が不敵に笑い『理由』って言った事の方が気になった。

絶対に厄介事に巻き込まれる。そう言う予感がした。


「おぬし、今日からわらわの代行者として働け!」


「断る」


「まだ何も説明しておらぬではないか!」


「説明を聞いたら、もっと厄介になりそうだからな」


白夜は何か言い返そうとしていたが、結局言葉が見つからなかったのか、口を閉じたまま固まってしまった。


俺としては、高校に入学して一週間で、見知らぬ自称神様から仕事を押しつけられる予定なんてなかった。


しばらくして、白夜は気を取り直すように咳払いをして、


「そもそも、もうおぬしを代行者に選んでしもうたから手遅れじゃ。今こうしてわらわの姿が見え、声まで聞こえておるのが何よりの証拠よ」


「勝手に選ぶなよ」


「神に選ばれたのじゃぞ? 普通はもっと喜ぶところであろう!」


「初対面の自称神様に勝手に仕事を決められて喜ぶ奴がいるなら、そいつに頼んでくれ」


白夜は不満そうに頬を膨らませていたが、やがて俺から視線を外し、古びた拝殿の方を見た。


夕日を受けた社殿は、子供の頃の記憶よりもずっと寂しく見える。


色褪せた幟が風に揺れ、その向こうの絵馬掛けには数えるほどしか絵馬が残っていなかった。


「結守神社はの、昔は恋愛成就のご利益でそれなりに名が知られておった。ここの絵馬に願えば、本当に恋が叶うとな」


「ああ、それなら聞いたことある。昔はもっと人が来てたんだろ?」


「そうじゃ。しかし今は見ての通りよ。願う者も、感謝する者も減ってしもうた。人間から忘れられて、神だけがいつまでも平気な顔をしておれるわけではないのじゃ」


白夜の声から、それまでの勢いが少しだけ消えていた。


あいつが見ている先には、誰もいない境内が広がっている。


俺にも、昔より参拝客が減っていることくらいは分かる。


子供の頃は休日になると石段を上ってくる人が何人もいて、境内の端に座っているだけで一日中退屈しなかった。


今では、こうして掃除をしていても誰にも会わない日の方が多い。


もっとも、白夜が静かだったのはほんの僅かな間だけだった。


「ゆえに、もう一度恋愛成就を始めるのじゃ! 願いを叶え、『結守神社の絵馬は本当に効く』という評判を取り戻す!」


すっかり元の調子に戻った白夜が、絵馬掛けを指さして宣言した。


なるほど。


そこまで聞けば、俺に何をさせたいのかも大体想像がついた。


「つまり、俺に知らない奴の恋愛を成就させろってことか?」


「その通りじゃ! なに、おぬしならきっとうまくやれる。昔から人を見るのが得意じゃったからのう」


「いや、普通に嫌なんだけど。なんで俺が知らない奴の恋愛のために走り回らなきゃいけないんだよ。神様なら自分で叶えればいいだろ」


「それができれば苦労せぬわ」


白夜は呆れたように腕を組んだ。


「わらわにもできることと、できぬことがある。絵馬を書いた者と、その者が想っておる相手の居場所くらいなら分かるが、人間同士の仲を勝手に取り持つことはできぬ。それに、誰を好きになるかまで神が勝手に決めてよいわけではなかろう」


「……神様でも、人の気持ちは変えられないのか」


「そんなの当たり前じゃ」


随分と偉そうに言うが、少し意外だった。


さっきまでの勢いなら、神の力で何でも解決すると言い出してもおかしくなかったのに。


白夜は俺の反応をどう受け取ったのか、今度は得意げに口元を上げた。


「その代わり、おぬしには代行者として特別な力を貸してやったぞ」


「特別な力?」


「人の姿を借りる力じゃ。最後に素肌と素肌が直接触れた生きた人間を一人だけ覚えておき、その者と同じ姿へ変わることができる」


さすがに、箒を動かそうとしていた手が止まった。


「……本当に?」


「また疑っておるのか」


「いや、さすがに他人に変身できるって言われて、そのまま信じる方がおかしいだろ」


白夜はしばらく俺を見つめたあと、境内の端にある家を指さした。


「ならば試せばよい。宗一にでも触れれば試せるであろう。あやつなら、少しくらい妙なことをしても気にせぬ」


「触るだけでいいのか?」


「素肌同士でな。服や手袋を挟んでは駄目じゃぞ」


そこまで言われれば、本当かどうか確かめたくなる。


俺は箒を壁際へ立て掛け、白夜を残して家の中へ戻った。


居間では、じいちゃん――神崎宗一(かんざきそういち)が、座卓の前で届いた郵便物を仕分けていた。


近づいてくる俺に気づくと、封筒を手に持ったまま顔を上げた。


「じいちゃん、ちょっと手出して」


「何だ突然。小遣いならやらんぞ」


「お金の話じゃないからちょっと手を貸してくれよ」


「なんだ、手相でも覚えたのか?」


「そんなところ」


適当に答えると、じいちゃんは不思議そうな顔をしながらも右手を差し出してくれた。


俺はその手のひらに自分の手を重ね、ほんの一瞬だけ触れてから離した。


「……これだけか?」


「うん。ありがとう」


「変なことしてないでさっさと掃除終わらせてこい」


じいちゃんは呆れたように言い、それ以上は何も聞かずに郵便物へ視線を戻した。


こういう時に細かく追及してこない性格なのはありがたい。


家を出ると、白夜が待っていたようにこちらへ駆け寄ってきた。


「どうじゃ、触れたか?」


「手のひら同士でな。これでいいんだろ?」


白夜は少し目を細め、何かを確かめるように俺を見つめてから満足そうに頷いた。


「うむ。間違いない。今の保存対象は宗一じゃ」


「保存対象?」


「最後に素肌で触れた人間を一人だけ覚えておく仕組みじゃ。別の人間に触れれば、今度はそちらが保存される」


「なるほど。でも、それって自分でも誰が保存されてるか分かるのか?」


「いや、おぬし自身には分からぬぞ。わらわが確かめれば分かるが、誰かに触れた瞬間に勝手に知らせが来るわけでもないからのう」


思ったより不便だ。


例えば人混みで誰かの手に触れてしまえば、知らないうちに変身対象が入れ替わっている可能性もある。


「……それ、本当に便利なのか?」


「便利に決まっておろう! 多少の制約くらい我慢せい!」


多少で済むのか、それ。


文句を言っていても仕方ないので、俺は家の方へ一度目を向けた。


じいちゃんはまだ居間にいるはずだ。


本人の目の前で同じ姿になってしまっては、さすがに説明のしようがない。


俺が人目を気にしていると、白夜も察したらしく、家から見えない場所へ移動するよう促してきた。


「それと、なんとなく察してると思うが変身している姿で絶対にそいつと遭遇してはならぬぞ! 変身対象の場所はわらわが何となくわかるから変身中は絶対にわらわの指示に従うのじゃ。いいな?」


いつになく真剣な表情で説明してくれた。

曰く、バレたら神としての力を失う……らしい。まぁ、わらわは既に信仰が低いし神としての威厳はほぼないんじゃけどな! っと、冗談なのか分からない感じで説明された。


「それで、どうやって変身するんだ?」


「難しく考える必要はない。変身するつもりで力を使ってみよ」


随分と感覚的な説明だったが、とりあえず言われた通りにしてみる。


正直、半分くらいは何も起きないと思っていた。


ところが変身しようと意識した瞬間、身体の中心が急にずれたような奇妙な感覚に襲われた。


立っている場所は変わっていないはずなのに、足の位置も肩幅もいつもと違う。


反射的に自分の手を見ると、そこにあったのはついさっきまでの俺の手ではなかった。


深く刻まれた皺も、太くなった指も、見慣れたじいちゃんの手そのものだ。


視線の高さまで変わり、制服だったはずの服も、さっき居間でじいちゃんが着ていたものになっている。


「……は?」


思わず声が漏れた。


だが、その声に自分でも驚いてしまった。


聞こえてきたのは、俺のものではない声だったからだ。


「どうじゃ。これで少しは信じる気になったか?」


白夜は得意げに胸を張っている。


「いや、待て。声まで変わるのかよ」


じいちゃんの声で自分の喋り方をしているのが、何とも気持ち悪い。


慌ててスマートフォンを取り出し、カメラを自分へ向けてみる。


画面に映っていたのは、どう見ても神崎宗一だった。


眉を上げればじいちゃんの眉が上がり、口を曲げればじいちゃんの顔がその通りに歪む。


何度見直しても、自分の顔には見えない。


「……すげえな、これ」


思わず口にした声までじいちゃんだったので、また妙な気分になる。


白夜はそんな俺の様子がよほど面白いらしく、さっきから楽しそうに笑っていた。


「見た目も声も本人そのものじゃろう? わらわの力を思い知ったか!」


「それは認めるけど……」


スマートフォンを持つ手を少し動かしてみる。


変身したはずなのに、手に持っているスマートフォンは相変わらず俺のものだった。


「持ち物までは変わらないんだな」


「当然じゃ。変わるのは身体と服だけよ。財布や鍵まで勝手に増えたりはせぬ」


確かに、じいちゃんが持っていた郵便物まで一緒に現れたら、何でもありになってしまう。


それに、姿はじいちゃんそのものでも、俺の中にじいちゃんの記憶が増えたわけではなかった。


今朝じいちゃんが何を食べたのか、昨日誰と会ったのか。そんなことを思い出そうとしてみても、当然ながら自分が知らないことは分からない。


「中身は俺のままか」


「そうじゃ。宗一の記憶も知識も、おぬしのものにはならぬ。本人らしく振る舞いたければ、話し方や仕草も自分で真似するしかないのう」


画面に映るじいちゃんを見ながら、試しにいつもの自分の調子で笑ってみる。


顔は確かにじいちゃんなのに、妙に違和感があった。


普段のじいちゃんなら、こんなふうには笑わない。


外見だけ同じでも、知っている人が見れば何かおかしいと感じるかもしれない。


「ちなみに、この姿でいられるのはどれくらいなんだ?」


「およそ二十分じゃな。自分の意思で途中で戻ることもできる。ただし、別の人間と素肌同士で触れれば保存対象が上書きされるから気をつけるのじゃ」


「変身してる間も?」


「もちろんじゃ。変身中に別の人間に触れるとその場ですぐに触れた者に変わるのじゃなく、一度解除してもう一度変身する時は変身中に触った者になるのじゃ」


なるほど。何となくだが理解出来た。


見た目を同じにするのは白夜の力でも、本人らしく振る舞うには自分で相手を知る必要がある。


それに、さっきは冗談を混ぜながら説明されたが本人と鉢合わせするような事態になれば、どう考えてもただでは済まないと今なら思う。


「……思ってたより怖いな」


「なぜじゃ! せっかく神の力を授けてやったというのに!」


「いや、こんな力怖いだろ。使い方間違えたら大変なことになるぞ!」


白夜は何か言いたそうだったが、結局は不満そうに頬を膨らませるだけだった。


俺はもう一度スマートフォンの画面を確認し、元の姿へ戻ろうと意識した。


すると、身体を覆っていた違和感がゆっくりと抜けていき、視線の高さも手の形も元へ戻っていく。


画面に自分の顔が映ったのを見て、ようやく息を吐いた。


「……神様かどうかはともかく、普通の人間じゃないことは認めるよ」


「そこまで見せて、まだ神だと認めぬのか!」


白夜が抗議しかけたところで、石段を上がる音が聞こえてきた。


俺がそちらへ顔を向けると、成瑠学高校(せいるがくこうこう)の制服を着た女子生徒が姿を現した。


同じ学校だな。


女子生徒は石段を上りきると、一度後ろを振り返ってから境内へ入ってきた。


拝殿へ向かうより先に周囲へ視線を巡らせ、誰かがいないか確かめているようだった。


恋愛成就の神社に来たところを知り合いに見られるのが恥ずかしいのだろうか。


そう思ったが、境内に俺しかいないと分かっても、その表情から緊張が抜けた様子はない。


俺と目が合うと、女子生徒は少し恥ずかしそうにしてから小さく頭を下げた。


「こんにちは」


「こんにちは」


俺も軽く頭を下げる。


すぐ隣には白夜が立っているが、彼女の視線は一度もそちらへ向かなかった。


どうやら本当に、普通の人間には白夜の姿が見えないらしい。


女子生徒は絵馬を一枚取ると、少し離れたところでペンを走らせ始めた。


俺も途中だった掃除に戻ったが、何となく気になってしまい、視界の端でその姿を追っていた。


最初は迷うことなく書き進めているようにも見えた。

しばらくするとペンを持つ手が止まったので書き終わったのかと思ったが、絵馬を掛けに行く様子はない。


女子生徒は自分の書いた文字をじっと見つめたまま動かず、やがて何かを決めかねるようにペンを持ち直した。


そのまま、さっき書いた部分を消すかのようにペンを横へ走らせる。


それからもしばらく絵馬を見つめていたが、ようやくペンを動かし、消した文字の下へ新しい文章を書き足し始めた。


何を書いているのか、ここからでは見えない。


ただ、一度願ったことを自分で消して、別の願いへ変えたのは分かった。


書き終わったあとも少しの間絵馬を眺めていた女子生徒は、やがてそれを絵馬掛けへ結びつけると、拝殿の前で深く頭を下げた。


帰る時にも一度周囲を見回し、他の誰も居ないことを確認しそのまま石段へ向かっていく。


「湊!」


女子生徒の姿が見えなくなると、白夜が待っていたように声を上げた。


「今の娘の願いを見るぞ!」


「……人が帰るの待ってたのか、お前」


「当然じゃ。願いが分からねば恋愛成就も始められぬであろう!」


さっきまで俺に協力を断られていたことなど、もう忘れているらしい。


白夜は楽しそうに絵馬掛けへ向かっていく。


俺も少し迷ったが、結局その後を追った。


新しく掛けられた絵馬は、木の色がまだ真新しいのですぐに分かった。


そこには、何本もの線で消された文字が残っている。


『須藤祐希(すどうゆうき)くんと付き合えますように』


そして、そのすぐ下には新しく書き直された願いがあった。


『須藤祐希くんと、もう一度ちゃんと話せますように』


最後に、小さく名前が添えられている。


黒川麻美(くろかわあさみ)。


さっき石段を下りていった女子生徒の名前だろう。


俺は絵馬をもう一度読み直した。


最初は、須藤祐希という相手と付き合いたいと願っていた。

それを自分で消して、もう一度ちゃんと話したいという願いに変えている。


付き合いたいと思うほど好きな相手なのに、今は話すことさえ難しいのだろうか。


「これじゃな! 最初の恋愛成就は!」


隣で白夜が嬉しそうに声を上げた。


「何勝手に決めてるんだよ」


「まずはこの麻美という娘の願いを叶えるぞ。相手は祐希……ふむ、学校の方角に居るぞ! 恐らく同じ学校の生徒同士じゃろうな、同じ学校ならおぬしにも調べやすかろう!」


俺が何か言い返そうとすると、白夜は先にこちらを見上げて得意げに笑った。


「それに、おぬしも気になっておるのであろう? さっきからずっと絵馬を見ておるではないか」


否定しようとして、やめた。


確かに、俺はこの絵馬から目を離せなかった。

知らない女子生徒と、知らない男子生徒。

本来なら俺には何の関係もない。


それでも、何本もの線で消された『付き合えますように』より、その下に残された『もう一度ちゃんと話せますように』と書き直した意図が凄く気になる。


恋を叶えたい人間の願いとしては、どこか妙だ。

この白夜の嫌ったらしい笑みに乗せられるのは癪(しゃく)だが


「……一回だけだからな」


俺がそう言うと、白夜は俺がそう言うと知っていたみたいに不敵に笑った。


「では早速――」


「ちょっと待て。勘違いするなよ。願いを叶えるとか、そこまで引き受けたつもりはない。何があったのか少し調べるだけだからな」


「それで十分じゃ! さすが湊、話が分かるのう!」


都合のいい解釈をされている気がする。


白夜はすっかりその気になり、石段の方へ歩き始めた。


「よし、では二人のところへ行くぞ!」


そう言って白夜は学校の方角へ目を向ける。

須藤祐希のいる方向だろう。


気にはなるが、今すぐ学校へ戻るつもりはなかった。


「調べるなら明日でいいだろ。もう夕方だし」


「なぜじゃ! せっかくやる気になったところではないか!」


「それに、まだ掃除が終わってないんだよ」


俺が境内を見回すと、白夜もつられてそちらへ顔を向けた。


風が吹き、さっきまで付いていた桜の花びらがまた石畳の上へ広がっていく。

やっぱり時期が悪い。


「恋より掃除を優先するのか!」


「じいちゃんに怒られるのは俺なんだよ」


白夜は不満そうに何か言っていたが、俺はそれを聞き流しながら、壁際へ立て掛けていた箒を取りに戻った。


ほんの少し前まで、静かな境内で桜の花びらを掃いていただけだった。


それが今では、神を名乗る狐耳の少女が当たり前のように後ろをついて歩き、明日からは知らない人の恋愛事情まで調べることになっている。


高校生活が始まって、まだ一週間しか経っていない。


随分と面倒なことになったものだ。


そう思いながら箒を動かす俺の横を、また一枚、桜の花びらが風に乗って運ばれて来た。







その日の夜。


じいちゃんと二人で夕食を食べるはずだった食卓には、当然のように白夜もいた。


味噌汁をすすっているじいちゃんのすぐ隣で、白夜はさっきから何度もその顔を覗き込んでいる。


時折、目の前で手を振ってみたり、耳元へ近づいて声を掛けてみたりしているが、じいちゃんはまるで気づいた様子がない。


白夜も頭では分かっているはずなのに、どうにも落ち着かないらしい。


昼間はあれほど騒がしかったくせに、じいちゃんを見ている時だけ妙に大人しくなっている。


何か言いたそうに近づいたと思えば、今度は少し離れて顔を眺める。


その様子が気になり、つい口を開いた。


「……本当に見えてないんだな」


じいちゃんが味噌汁の椀を置き、不思議そうにこちらを見る。


「何がだ?」


「ああ、いや。白夜がさっきから、じいちゃんの目の前でずっと手を振ってるからさ」


そう言った瞬間、じいちゃんの手がほんの僅かに止まった。


箸でおかずを取ろうとしていた指先が、一瞬だけ動かなくなったのだ。

俺でも見逃しそうな本当に短いもので、すぐに何事もなかったように箸が動き始めた。


俺が黙って見ていると、じいちゃんはゆっくり箸を置き、こちらへ顔を向けた。


「湊」


「ん?」


じいちゃんは何かを確かめるように俺の顔を見つめている。

そして、その目が少しだけ細くなった。


「……そうか」


小さく呟いたあと、じいちゃんは静かな声で続けた。


「あいつ、お前を選んだか」


思わず、箸を持つ手が止まった。


白夜も何も言わない。


さっきまでいつもどおりだった食卓に、俺だけが知らない何かが突然入り込んできたような気がした。


どうして、じいちゃんも白夜を知っている。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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