4 兄と妹(1)
自由時間になり、いつものように買い出しに行こうと神殿の裏門に行くと、そこには珍しい人物が立っていた。
「あれ? エリゼ?」
シンプルだけど上質そうな淡いピンクのワンピースを纏ったエリゼは、天使が舞い降りてきたのかと思うほどの可愛さだ。
「アイリスはどちらへ?」
「ハンナさんのお使いで市場に行くところなの。エリゼも街に?」
「はい。私も市場に」
「そうなんだ……え!? 市場に!?」
私は驚いて声を上げてしまった。公爵令嬢が市場に行くってどういうことなんだろう。
「あの、実は前々から行ってみたいと思っていたのですが、兄に反対されてまして。市場には危険がいっぱいだから、護衛がいたとしても決して行くなと」
(そりゃ、そうよ。エリゼのお兄さんの言う通り。私なんてスリにあったばかりなんだから。こんな可愛いエリゼなら誘拐されてしまうわっ)
エリゼの話を聞きながら、心の中で頷いてしまう。
「兄と一緒に行くという条件で、やっと許可をいただけたんです。今、兄を待っていますの」
エリゼは顔をほころばせる。
市場のどこが気になったのか分からないが……。エリゼがこんなに楽しみにしていたんだから、願いが叶って良かったと私も嬉しく思った。
「そうなんだ。良かったね。それじゃ、私は先に行くね」
「あ、アイリス。良かったら一緒に行きましょう? そろそろ兄も来ますわ」
「え? でも……」
エリゼの誘いは嬉しいけど、エリゼの兄ってことは公爵家のご子息様で、私が簡単にお会いしていい方ではない……よね? どう断ろうと考えを巡らせていると、
「エリゼ、待たせたな」
どこか聞き覚えのある低めの美声が聞こえた。
「あ、ライオネルお兄様!」
エリゼが声の元に駆け寄っていく。
視線を走らせると、黒髪の騎士様の姿だ。
やっぱり。私はそこで合点がいった。騎士様を見た時に誰かに似てるって思ったけど、エリゼだったんだ。
漆黒の髪、金色の瞳に、この美貌。なんて美しい兄妹なんだろう。二人が並んでるのを見ると眩しい。
騎士様の視線がエリゼの後ろにいた私を捉える。
「君は……」
「こんにちは。あの、この間はありがとうございました」
私は慌てて頭を下げた。
「いや」
「二人はお知り合いだったのですか?」
エリゼは大きな瞳をしばたかせ、私と騎士様の顔を交互に見つめた。
「知り合いというか……。スリからお金を取り返してくださって……」
「え? それは大変でしたのね。やっぱり一人では危険ですわ。アイリス、一緒に行きましょう」
エリゼに押し切られる形で、一緒に市場に向かうことになった。
「あれは何ですの?」
「あれは肉を焼いている屋台だ」
「じゃあ、あれは?」
市場に着いてからエリゼは見るもの全てが珍しいらしく、瞳をキラキラに輝かせてお兄さんである騎士様に聞いていた。
「お野菜ってこんなに種類があるんですね。わぁっ、これなんて赤くて丸くて可愛いですわ!」
青果の売っている屋台を覗いて感嘆の声を上げている。
「これはトマトだ。食べたことあるだろ?」
「え? トマトソースのトマトですの? これが……?」
エリゼは大きな瞳をもっと大きくして、トマトをまじまじと見つめていた。
いつものエリゼは年下とは思えないほどしっかりして大人っぽいけど、今の姿は年相応って感じで可愛い。
騎士様もエリゼといると、雰囲気が柔らかい気がする。仲の良いご兄妹なんだとわかる。
野菜を見ている二人の後ろ姿をぼんやり見つめながら、私も妹のことを思い出していた。
五つ下の妹。今生きていればエリゼと同じくらい……。
いつも私の後を追いかけてきた、泣き虫のアニー。
「――ス、アイリスっ」
はっと現実に引き戻される。エリゼが心配した顔でこちらを見つめていた。
「アイリス、ごめんなさい。私ったら一人ではしゃいでしまって、あなたのお邪魔になってますね……」
エリゼがしょんぼりと肩をすくめた。
「え? そんなことないよ! 可愛いなって見ていたの。それで昔を思い出して……」
私は言いかけて口をつぐんだ。
「昔ですか?」
「あ、ごめん。何でもないよ。それで次はどうするの?」
「はい。お兄様がクレープを買ってくださるって。アイリスはどれにします?」
エリゼが私の手首を引っ張って、クレープの屋台の前に連れていく。
「私、このクリームとベリーソースにします。アイリスは?」
「え? 私? でもそんな、買っていただくなんて……」
斜め後ろにいる騎士様をチラリと見上げると目が合う。
「遠慮はいらない。好きなものを選べばいい」
「そうですわ!」
「……じゃあ、同じものでお願いします」
屋台横の木陰で待っていると、騎士様がクレープを手渡してくれた。
「ありがとうございます」
紙に包まれたクレープは温かくて甘い香りがする。
「お兄様! フォークとナイフがありませんわ! どうやって食べればいいのですか?」
「こうやってかぶりつく」
騎士様がかぶりつくジェスチャーをすると、エリゼはクレープを見て考え込んでから徐ろに口に運んだ。
「ん! おいひーでふわ!」
「ほら、顔にクリーム付いてるぞ」
「どこでふ?」
「ったく。ここだ」
騎士様はハンカチを取り出して、エリゼの口元を拭っている。
(ふふっ、微笑ましい……)
実は私もずっと食べてみたかったんだ。買い出しの時に甘い香りが漂っていて気になっていたけど、買い食いできるようなお金も無いし諦めていた。
私もガブッとかぶりつく。
「!」
(おいしい! このふわふわとろっとしたのがクリーム? ちょっと酸味の効いたベリーソースと合わさって、とってもおいしいわ。これは止まらない! )
私が一心不乱に食べていると、ふと騎士様と目が合う。騎士様はふぅと息を吐いた。
「ほら、君も。ここに付いている」
そう言って、私の頬をハンカチで拭いてくれたのだった。
「ひゃっ、すみません。でも大丈夫です! ハンカチが汚れてしまいますから、わわっ、きゃっ!?」
私はびっくりして後ろに仰け反ると、バランスを崩し後ろに尻もちをついてしまう。お尻に鈍い痛みが走ったが、それより手に持っていたクレープが無事だったので安心した。
「……セ、セーフ……」
「セーフではないだろ」
「きゃっ、アイリス、大丈夫!? 怪我は無いですか!? 回復魔法かけますわっ」
「えへ、エリゼ、ありがとう。大丈夫よ、心配かけてごめんね」
恥ずかしくなって、照れ笑いを浮かべる。
「――ほら、手を」
立ち上がろうとすると、騎士様が手を差し出してくれた。
「あ、すみません。ありがとうございます……」
「まったく君は面倒がかかるな」
そう言った騎士様の彫刻のような顔が、僅かに緩んだような気がした。




