32 夜会の準備は忙しい
(うそ……、これが私……?)
縁に装飾が施された全身鏡に、見慣れない自分の姿が映っていた。
幾重にもレースが重ねられた、光沢のある白いロングドレス。手には白のオペラグローブをはめ、少し開いた首元には控えめながらも上品なパールのネックレスが輝いている。髪は編み込んで結い上げられ、長く垂らしたサイドの髪はゆるりとウェーブしていた。
化粧を施されドレスを身に纏った私は、田舎の娘ではなく、それなりの身分のお嬢様に見える。
このドレスもアクセサリーも、夜会のために神官長様が用意してくれた物だ。
「アイリス様、とっても素敵ですわ! 美しいだけでなく、まるで女神様のような神々しさも感じます!」
エリゼが瞳をキラキラ輝かせ、称賛の言葉をかけてくれるが、恐縮してしまう。
「あ……ありがとう、エリゼ。でも女神様はちょっと言い過ぎだと思うけど……。手伝ってくれた皆の腕が良かったんだよ。皆もありがとう」
夜会に参加するにあたって、着替えや化粧など準備を手伝ってくれたナタリーや、他の使用人の皆にお礼を言った。
「いいえ、私達はアイリス様の元々の美しさを引き出したに過ぎません! 自信を持ってください!」
「ありがとう……」
この部屋は最近移ってきたばかりの聖女用の部屋で、今まで居た年季の入った使用人部屋とは比べ物にならないくらい豪華だった。部屋の広さも一人部屋なのに今までの四倍以上はあり、空間を持て余している。
コンコンッと、ドアがノックされる。
「はい、どうぞ」
私が声を掛けると、一人の使用人が部屋に入ってきた。
「失礼いたします。フォーレン副団長様がお見えになりましたので、本殿の方でお待ちいただいております」
(……わっ、いらしたのね)
緊張で身体が硬直する私の隣で、エリゼは嬉しそうに笑う。
「お兄様が到着されたのですね! ふふっ、アイリス様のこのお姿をご覧になったら驚きますわ! ね? アイリス様」
「そ、そうかな……? そういえば、エリゼは私のことをアイリス様と呼ぶようになったの?」
「はい。アイリス様は正式な聖女になられたのですから、見習い聖女の私と同列とはいきませんわ」
「そっか、……そうなのね。でも、ちょっと寂しく感じるわ」
エリゼの態度は前と変わらないが、呼び方一つでどこか距離を感じてしまう。
「私はアイリス様のことを、“お義姉様”と呼べる日を楽しみにしていますわ」
「お姉様?」
言われた意味が分からず頭を傾げながら聞き返すと、彼女は意味ありげに微笑んで頷いた。
「はい。お義姉様、です」
「? …………っ!?」
その言葉の意味に気付いて、顔がカッと熱くなる。
「え!? それはっ、その、まだ……っ」
「ふふふっ。さぁ、兄が待っていますわ、参りましょう」
「はい……」
笑顔のエリゼに促されて、私はライオネル様の待つ本殿へと向かった。
本殿の柱廊玄関に到着すると、そこで待っていたライオネル様の姿に目を奪われた。
黒地に金糸の刺繍を施した夜会服を纏い、首元には純白のクラバットを巻き、白い手袋をしている。
その優雅で洗練された佇まいは、精悍な騎士服姿とはまた違った魅力があった。
しばらく瞬きするのも忘れ見惚れていると、私に気付いたライオネル様の瞳が細められた。
「アイリス、久しぶりだな。……その姿、とても似合っている。綺麗だ」
ライオネル様が優しく微笑んだので、恥ずかしくてこれ以上は目を合わせてはいられず顔を伏せる。
「あ……りがとうございます……。ら、ライオネル様もとても……素敵です……」
緊張して声が震える。
「聖女に就任したんだったな、おめでとう」
「あ、はい……。ありがとうございます……」
魔伝言鳩では繰り返し聞いていたけど、久々に生で聞くライオネル様の声が体に染み込んできて、きゅうっと胸が痺れた。
「そうだ、これを受け取ってくれないか」
両手に乗るくらいのサイズの木箱を差し出されたので、それを受け取る。
「え? これを私にですか? 開けてもいいですか?」
「あぁ」
カタッと箱の蓋を開けると、そこには花をかたどった金細工の髪飾りがキラキラと輝いていた。この花には見覚えがある。
「わぁ、綺麗……。これってアイリスの花ですよね……? あの、こんな高価な物をいただいてもいいんですか?」
「あぁ、君の為に作らせたんだ。君がもらってくれなければ困る」
「ありがとうございます……、嬉しいです……」
胸がいっぱいになった。
ライオネル様は箱から髪飾りを取り出すと、そっと顔を近づけ、私の髪に優しい手つきで付けてくれる。
「……思った通りだ。よく似合ってる」
「……ありがとうございます……」
目線を上に向けると、思ったよりも至近距離でライオネル様と視線が交わる。
その月のような瞳に囚われて動けず、しばらく見つめ合っていると、
「あのぉ、お二人の世界のところを大変恐縮なのですが、そろそろ出発なさらないと夜会に遅れてしまいますわ?」
エリゼに遠慮がちに声を掛けられ、現実に引き戻された。
「あっ! そ、そうですね……、はい」
「あ、あぁ、そうだな」
周りにはエリゼの他に、ナタリーや他の使用人達がこちらを微笑ましそうに見守っていた。
(この空気、いたたまれない……)
「じゃあ、アイリス、行こうか」
「は、はい」
ライオネル様に腕を差し出され、ぎこちなく右手を絡ませた。
「お二人共、楽しんできてくださいね」
エリゼににこやかに手を振られる。
「いってきます」
皆に見送られ、神殿を後にした。




