15 神殿の前で
調理場から出たところで、私は溜息をついた。
「はぁ、今日は買い出しは無しかぁ」
ハンナさんに、今日の買い出しは無いと言われてしまった。
モヤモヤしたような寂しいような気持ちが襲う。
(私ってこんなに買い出しを楽しみにしてたのかな……?)
今日はライオネル様に会えないんだなって、ちょっと残念に思ったのは確かだ。
神殿の廊下を歩いていると、格子窓の外に見える正門が騒がしい。一般の診療の時間はもう閉めた後だ。
「ん……? どうしたんだろ?」
私は正門に急いで向かった。
正門では門番と平民と見られる中年の男性が、言い争いをしていた。
「ここを通せ! 中に入れろ! もう一度治療しろ!」
「もう時間外です。緊急の場合以外は通せません。お帰りください」
「なんだとぉっ、この野郎っ。通せっ!!」
何の騒ぎなんだろう。後ろで控えていたもう一人の門番に状況を尋ねた。
「どうしたんですか?」
「あっ、聖女様。それがこの男の妻が先日、神殿で治療を受けたらしいのですが、魔物の傷らしく、あまり良くならなかったというのです。だから再度、治療しろと言ってきて」
男性の後ろでは、妻らしい女性が困惑した顔で見つめていた。
「あ、おめぇは聖女さんかっ?」
その男性が私に気付き、門番を振り切りこちらに近づいてきた。
「どういうことだ! 魔法で治療しても、どうして女房の怪我がちっとも良くならねーんだよ!」
男性に腕を掴まれ、爪が食い込んできて痛みが走る。
「い、痛っ」
腕を振り払おうとしたが、力が強くて放せない。
「王都の神殿に来れば、聖女がどんな怪我も病気も治してくれるんじゃねぇのかよ! だから俺たちゃ田舎からわざわざ王都に来たんだ!」
「……ごめんなさい。聖女でも治せないものはあります。特に魔物による怪我は完治が難しいんです」
私は頭を下げた。しかし、男性の怒りは収まらず、私は胸ぐらを掴まれた。
「じゃあ、どーしろってんだ! 女房はこのままずっと苦しめっていうのかよ!」
首を絞め上げられ、息ができなくなってきた。
「……うぅっ」
「やめろっ、手を放しなさいっ!」
門番たちも慌てて止めに入ってくれたが、男は言う事を聞いてはくれない。
(……くっ、苦しい……)
意識を失いかけたその時。
「――その手を放せ」
低く通る声が聞こえた。
(この声は……!)
私達は一斉に声の方を振り向いた。
そこには一瞬で凍ってしまいそうな冷気を纏い、鋭い視線でこちらを睨んでいる氷の騎士様がいた。
彼の姿を見た途端に、私はほっとして泣きそうになった。
(ライオネル様……)
「その手を放せと言っているんだ」
男はライオネル様の威圧感に気圧されて、私をぱっと放した。私は地面に座りこみ咳き込む。
「けほ、けほっ……」
「アイリス、大丈夫かっ!」
「……は、はい」
「聖女を暴行した罪で捕らえる。門番、捕縛しろ」
「はいっ」
「お、お待ちください、騎士様っ!」
男性の妻が慌てて前に出てきて、ライオネル様に向かって頭を深く下げた。
「申し訳ございません。この人は私の為にしたことなんです。捕らえるなら私も一緒にしてください!」
「お前、何言ってっ。……すんません。頭に血がのぼっちまって。聖女さんよ、すまなかった」
男性も反省したようで、ぐったり項垂れながら謝ってくれた。ライオネル様が大きく息を吐いた。
「まぁいい。さっさと行け」
「へい、本当にすんませんでした。じゃ失礼します」
二人が立ち去ろうとしたので、私は呼び止めた。
「あの、待ってください! 私じゃあまり効果がないかもしれないですが、回復魔法をかけさせてください」
「え?」
「君は何を言ってるんだ」
三人は驚いた顔をして同時に私の方を向く。
「折角来てくれたんですし、気休め程度ですけど楽になればと。どうでしょうか?」
「そりゃ、やってくださるってんならありがたいが……、なぁお前?」
「え、えぇ……」
夫婦はそう言いながら顔を見合わせつつ、ライオネル様の様子をちらちらと窺っている。
ライオネル様は眉間に皺を寄せていた。
(怖いよ、ライオネル様~。この顔は普通の人が見たらすごく怖いって。私のことを心配してくれてるんだろうけど)
「いいですか……? ライオネル様?」
「君が大丈夫だというなら、俺は反対はしない」
「ありがとうございます!」
先日、他の聖女に治療してもらったという魔物の傷跡は塞がっているし、これ以上治すとなると時間がかかるだろう。
回復魔法をかけてみたが、特に様子は変わらなかった。私は恐る恐る奥さんに尋ねた。
「あの……、痛みはどうですか?」
彼女は傷跡の残る腕を動かして確認している。
「あれ……? 動かしても痛くないわ」
奥さんの言葉を聞いた旦那さんが声を上げた。
「本当か!? 本当に痛くないんだな!?」
「えぇ。見た目はあまり変わってないけど、痛みだけスッと消えたような感じなの」
「そうか、良かった。本当に良かった……。聖女さん……、いや聖女様、ありがとうございました」
旦那さんが深々と私に頭を下げた。それに続いて奥さんも頭を下げる。
私は恐縮してしまって、両手を振った。
「いえいえ、少しでもお役に立てたなら良かったです」
そして二人は笑顔で神殿を後にした。遠ざかる背中を見つめていると、隣にいたライオネル様がぼそりと呟いた。
「お人好しだな」
「そうでしょうか? 聖女ですから当然ですよ、まだ見習いですが。でも……役に立てて良かったです」
「他の聖女ならそこまではしないと思うが。君は少し……、まぁ、君らしいか」
そう言って優しく微笑んだライオネル様を見て、心臓が音を立てる。
(破壊力がっ、破壊力がホント半端ないんですってば!)
「あ、先程は助けてくださってありがとうございました」
「また騒ぎに巻き込まれていて驚いたな」
「あ、あはは……そうですかね……?」
笑って誤魔化したが、心当たりが多すぎる。……気を付けよう……。
「ライオネル様は今日は神殿にどのようなご要件で?」
「あぁ、そうだった。エリゼに用事があるんだ」
「エリゼですね。私、呼んできますよ!」
「悪いな」
「いえ、じゃあお待ちください」
私はエリゼを呼びに向かった。
自室にいたエリゼを呼びにいき正門に戻ってくると、ライオネル様の隣に白い聖女服の人がいた。遠目ではベールで顔がよく見えないが、何か会話している様子だった。
(……誰だろう?)
ライオネル様が、聖女と話しているところなんて見たことはなかった。胸の奥がざわつく。
近づくとベールの横から銀色の髪が見えた。聖女は私とエリゼに気付き、こちらに振り返る。
(フェリシティ様……!?)
「あら、いらしたようね。それでは私はこれで。ライオネル様、ごきげんよう」
「あぁ」
フェリシティ様はライオネル様に挨拶をした後、私達に微笑んで去っていった。
去っていくフェリシティ様の後ろ姿を見つめながら、私は自分の胸に湧き上がってくる靄のようなものを感じた。
「えっと、じゃ私は戻りますね!」
私は湧き上がる気持ちを振り払うように明るく言って、その場を離れようとした時、
「あ、アイリス。後で私のお部屋に来てくださいませんか?」
エリゼがそっと私の耳元で囁いた。私は驚いてエリゼを見つめると、彼女は優しく笑みを浮かべる。
私は戸惑いながらもコクンと首を振った。




