12 過去の出来事(ライオネルside)
「フォーレン副団長っ! 失礼しまぁっす!」
部下のデービスが筋骨隆々な体を直角に折り曲げるように一礼し、執務室に入ってきた。
「こちら報告書です、確認お願いしまぁすっ!」
「……あぁ」
デービスは太い指で書類を机の上に広げる。
「こちらの書類にはサインをお願いしますっ!」
「……あぁ」
「終わりましたら自分が団長の所に持って行きますんでっ!」
デービスの大音声が頭に響き、耳を押さえる。
「……デービス、悪いがもう少し静かに話してくれ……」
「あ、申し訳ございませんっ!」
「……」
デービスは謹厳実直、訓練も一生懸命で、部下として信頼しているが、少々声がデカい。
俺は渡された王都内の警備隊と魔物討伐部隊からの報告に目を通し、頭を抱えた。
「やはり深刻な事態だな……」
魔物の活発化により様々な問題が誘発している。各地で魔物による被害が起き、比較的安全な王都に人々が押し寄せているのだ。
その混乱に乗じてならず者が紛れ、スリ、強盗、人身売買などの事件が増加した。住む場所や、家族を失った者達が犯罪に手を染めるケースも少なくない。
先頃から王都内は厳重に警備しているが、それでも問題は後を絶たないのだ。
「とうとう王都周辺にまで魔物の被害が出たのか」
「そうらしいですね。しかも厄介な植物系の魔物だそうですっ」
「植物系か……」
植物系の魔物は種子が風に乗って飛び、王都の城壁を飛び越えて来る恐れがあるのだ。しかも、どこで発芽するか分からない。
数年おきに起こる魔物の活発化。周期的なものなのか、気象状況が影響しているのか。神がお怒りになっていると言う者もいるが……。根本的原因は不明だった。
俺は書類にサインをし、デービスに手渡す。
「頼む」
「はいっ、お預かりしますっ。では失礼しましたっ!」
デービスは短髪の頭を深々と下げ、執務室を出ていった。
「はぁ、静かになったな……」
報告書を保管しようと机の引き出しを開けると、ガチャンと瓶のぶつかるような音がした。神殿から貰ってきた小瓶に入った聖水だった。
(……そういえば、今日はまだ飲んでいなかったな)
魔物による傷の後遺症に苦しむ俺は、聖水が手放せなかった。服用すると一時的に症状が緩和する。
定期的に大聖女様にも治療を施してもらってはいるが、完治することはない。どちらもその場しのぎのようなものだった。
しかし、この苦しみはずっと背負っていくべきものだと思っている。それが俺の贖罪だからだ。
首の後ろから背中に続くこの傷跡は、八年前に負ったものだ。あの年も、今年と同じように魔物が活発化した年だった。
『母上、湖に行きませんか? スノードロップが咲き始めたらしいですよ』
俺のこの一言で、大切な人を失うことになったんだ。
フォーレン公爵家の家系では珍しく、貴重な光属性の膨大な魔力を持って生まれた俺は、三男だったこともあり、魔術師として嘱望された。
俺も魔術の勉強は苦ではなかったので、魔術師の道を志すことに決めた。
十歳の時、魔術師の家系であるゴードン伯爵家に婿入りするという形で、長女フェリシティ嬢との婚約が決まる。
俺は一年の大半を、母と妹のエリゼと公爵領で過ごしていた。
十三歳になったその年の春から、俺は王都の魔法学院に入学することになっていた。
寮に入れば、いつ領地に戻って来れるかわからない。その思い出作りのつもりだった。花が大好きな母に、湖に行こうと誘ったのだ。
屋敷から馬車を走らせ湖に向かった。一緒に来るはずだったエリゼは、昼寝をしていて起きなかったので、乳母と留守番になった。
湖畔には春の訪れを知らせるように、白いスノードロップが一面に咲いていた。
母とお茶を楽しんでいると、護衛騎士の緊迫した叫び声で空気が一転する。
「奥様ーっ、ライオネル様っ、ま、魔物ですっ。直ちにお逃げくださいーっっ」
黒い大きな犬に似たヘルハウンドの群れが唸りを上げながら、こちらに近づいてくるのが見えた。
「まっ、魔物!?」
国境近くの山間部では魔物がいると聞くが、まさか領地内に出没するとは想定外だった。
「母上、早く逃げましょうっ!!」
母の手を引き、馬車に向かって走っていった。
普段走り慣れない母は、スカートの裾を踏み転倒してしまう。
その時、一匹のヘルハウンドがこちらに向かって攻撃してきた。母を庇おうとした俺は背中に爪を立てられ、その場に倒れ込む。
「くっ……」
「ライオネルッ」
ヘルハウンドはとどめを刺すかのように、俺に向かって鋭い牙をむけ襲いかかろうとした時だった。強く抱きしめられる。
「うっ……」
温かな体温に包まれ、耳元で聞こえたのはうめき声だった。鉄のような臭いが鼻に纏わりついて離れない。
「は、母上……」
「ライ……ネ……ル……。にげ……て……」
そう言って僅かに笑みを浮かべた母は、俺の胸の中に倒れ込んだ。
「母上……っ。母上――っ!!!」
必死で呼びかけるが、もう二度と母の綺麗な金色の瞳を見ることは叶わなかった。
あの後知ったのだが、魔物は強大な魔力に吸い寄せられる習性を持つ。だとすると、俺が魔物を呼び寄せたも同然だ。
あの時湖に行きたいなんて言わなかったら。魔物の性質をしっかり把握していれば。もっと魔力のコントロールができていれば……。
……そうすれば、母が被害に遭うことはなかったのに。
いくら後悔しても、もう遅い。
父や兄達、まだ甘えたい盛りのエリゼから母を奪ったのは、この俺だ。だから俺は大事な人達を守る。この命をかけてでも。
この国の魔術師は魔物と直接戦うことはない。俺は最前線で魔物を討伐する為に、騎士団に入団することに決めた。
母の死のきっかけになった膨大な魔力は必要ないと、魔術師団長に魔力抑制魔法で抑え込んでもらった。
騎士団に入った時点で、ゴードン伯爵家との婚約は破棄される。
それから俺は魔物の傷による後遺症に耐えつつ、懸命に剣の訓練に励んだ。そして、いつからか『氷のようだ』と言われるようになってしまった。
俺は聖水の入った小瓶を取り出し、ふと昨日の出来事を思い出した。
昨日、アイリスから護衛を頼まれて市場に行った。
買い物の途中から背中の傷跡が痛みだし、聖水を所持しなかったことを後悔した。
どうにか我慢をしていたが、もうすぐ神殿という所で俺は意識を失いかけたのだ。
「ライオネル様、大丈夫ですか!? 歩けますか? 回復魔法をかけますね!」
朦朧とする意識の中、アイリスの心配する声が聞こえてくる。
(大丈夫だ。心配するな。いつものことなんだ)
そう言いたいが、思うように声にならない。
白い温かな光に包まれると、段々と呼吸が楽になり痛みも治まってくる。
(……なんて心地良い光なんだろう。忘れていた、懐かしい優しい光だ。母とエリゼと過ごした穏やかな日々のような――)
――目を開けると、俺はアイリスの膝の上だった。
「! な……っ!?」
慌てて飛び起きる。
(なんてことだ。あのまま寝てしまったのか。しかも、彼女の膝の上でなんて、どうかしている……)
アイリスは木にもたれ掛かりながら、寝息を立てていた。魔力が少ないというのに俺の為に使ったから、疲れたのだろう。
アイリスの護衛を引き受けてから、神殿で彼女のことが目に入るようになった。きっと今まで会ったこともあったかもしれないが、大勢の聖女の一員としてしか認識できていなかった。
彼女は他の聖女達よりも小さく華奢な体なのに、人一倍動き回っていた。
患者の案内をしたと思ったら、洗濯物を抱きかかえ走り、治療が終わった患者を笑顔で見送る。
お菓子を口いっぱいに頬張った姿も、ころころと変わる表情もなぜか見飽きない。
辺りが夕日に照らされている。もう神殿に彼女を送り届けなければ遅くなってしまう。
それなのに、その時の俺は、穏やかに眠る彼女の寝顔を、もう少しだけ眺めていたいと思った。




