EP〜藍色の竜編〜 第六話 地下室で眠るもの
「真っ白になっちゃいました……」
ーー翌朝。
床にマントを敷いて寝ていたものの、寝返りをうった際に床へ転がり、モーネは埃でひどく汚れてしまった。
「ふっ……表の井戸で水が出ればいいが」
ゴッソは悲しそうに服を払うモーネを見て、雑草が生い茂る庭へ足を運んだ。
きらり、と朝日が肌を刺す。
ざらざらと風が吹き抜けるたび、葉の擦れ合う音が心地よかった。
かつて花壇であった場所の横に、煉瓦で縁取った井戸がある。
滑車は壊れてしまい、水を汲むにはほつれたロープを引き上げるしかない。
ゴッソが力を込めてロープを引き上げると、先端についていた桶が顔を出した。
そこには枯葉と茶色い水が溜まっていて、飲めそうにはないが軽く濾過すれば掃除くらいはできそうだった。
ゴッソは暖炉に残っていた炭、それから花壇の土や砂、枯れ草を集めて転がっていた桶を手に取り底に穴をあける。
集めてきたものを層にして、水を上から注ぎ急いでからになった桶をその下にくぐらせた。
少しずつ浸透して、抹茶色だった水が濾過されて流れてくる。
どんな病原菌があるかはわからない。
しかし、臭いと透明度はマシになった。
「ほら。これで洗うといい」
「あ、お水ですか?」
「濾過してきた。多少はマシだろう」
「少し臭いますね……あ、ハーブを入れましょう」
モーネはハーブをすり潰して香りをだし、水の中に沈めた。
それによって泥臭さが消えて、モーネは手拭いを浸して埃まみれの服を拭いた。
ひと通り拭き終えたモーネは、余った水でソカピの像を拭きはじめた。
穴だらけの天井、腐りかけた柱、軋む床板。
多少の掃除ではどうにもならない荒れ具合だが、モーネは「せめてこれだけでも」と丹念に拭いていく。
「信心深いのか?」
ゴッソはソカピ教徒だろうか、とモーネに尋ねた。
「いえ、せっかく上手な銅像なので、磨いて覚えておきたいなって」
「あー、なるほど。描きたいんだな」
「えへへ」
小一時間、モーネは古びた像を吹き上げて、頭に草の冠をつけた半裸のそれを、嬉しそうに眺めた。
「あ、せっかくなら……」
銅像の前にある教壇が邪魔で、大きなステンドグラスを背景にした構図が見づらい。
モーネはゴッソへ頼み、二人で教壇を動かすことにした。
「せーのっ!」
二人が教壇を持ち上げた瞬間、カチャリとどこかで音が鳴る。
すると、銅像が少しだけ揺れた。
モーネは気づかなかったが、ゴッソは違和感をおぼえて像の周りを調べはじめる。
「薄っすらと溝があるな……動くのか?」
ゴッソが軽く力を込めると、銅像は少しだけ動いた。
「なるほど……本来なら仕掛けで勝手に開くのか」
教壇の後ろに立つのは、教会の関係者ばかりだ。
つまり、ここにある仕掛けはこの教会の主だった人物、あるいは近しい者しか知らない可能性が高い。
「ゴッソさん? どうしたんですか? 邪魔なんですけど……」
離れた位置から構図を考えていたモーネは、いつまでも動かないゴッソへ頬を膨らませながら声をかけた。
「ああ、すまん。どうやら仕掛けがあるようだ」
「えっ」
パタパタと駆け寄ったモーネは、膝が汚れることなどお構いなしに四つん這いになり、銅像の足下へ目を凝らした。
「本当だ! さすがゴッソさんですね!」
「邪魔で悪かったな」
「いやぁ……あははっ」
軽口を笑って受け流したモーネは、動かしてほしいとゴッソへ頼んだ。
教壇のあった場所には、四角に小さな窪みがあった。
これが連動して歯車をまわし、本来であれば自動で銅像は動くのだろう。
しかし、長らく放置されていたせいで、その仕掛けに不具合が生じている。
「力技しかないよな」
ゴッソは銅像へ腕を回し、それの下半身を抱くように掴む。
そして、腕の筋肉が張り裂けんばかりに力を込め、目一杯の力で持ち上げた。
ゴッソの身の丈よりひと回り大きな銅像は、金属が折れたような音をだし、床板から数センチ浮き上がった。
大の大人が数人がかりで持ち運ぶような代物を、ただ一人で持ち上げたのだから驚嘆に値する。
銅像があった場所には、細いレールと錆びた鎖があった。
おそらく、滑車の力で車輪をひき、銅像を動かしていたのだろう。
よく見ると、銅像の下に鎖を引っ掛けるフックがあった。
それは経年劣化でくたびれて、本来の役割を果たせそうにない。
鎖がかけてあった場所だけが錆びていないものの、少し力を加えれば折れてしまいそうだ。
「こんな仕掛けがあったんですね」
銅像の下を覗き込みながら、モーネは興味深そうにしげしげと眺める。
「……すまんが降ろしていいか? さすがに重い」
「あ、すみません」
モーネが離れると、ゴッソは銅像を元の場所の横へおいた。
床板が沈む音が、室内に反響して壁を揺らしたかのように錯覚する。
「降りてみるか」
「そうですね。何があるんでしょうか」
「俺が先に降りる。モーネは後から来い」
「わかりました」
ゴッソは慎重に梯子を下る。
一段進むごとに、木製のそれは嫌な軋み音をだした。
五メートルほどおりると、ひらけた場所へ出る。
教会の地下にこんな広い空間があったとは、とゴッソはあたりを見渡した。
モーネが降りてきて、用意していた松明へ火を灯す。
ぼんやりと地下の全貌が浮かび上がる。
飾り気のない、石壁と石柱で補強された地下室の最奥には、幅十メートルほどの巨大な絵が飾ってあった。
「すごい……」
モーネは齧り付くように絵へ近づき、隅々まで観察をする。
「けど……これは……」
モーネが触れたのは、赤で描かれたテーブルクロス。
長いテーブルを挟んで老紳士や貴族、赤いドレスを着た女など二十人が食事をしている絵は、微かな違和感を彼女に与えていた。
「どうした?」
ゴッソが目を細めているモーネへ近づく。
「これ、絵具とは違うんですよ」
「どれ……」
鼻を近づけて匂いを嗅ぐと、鉄が錆びたような異臭がする。
ゴッソは顔を離し、嫌そうな表情をしながら口を開いた。
「……血液だな。人間の」
「血で描かれた絵……そんなことが……」
モーネは信じられないとでも言いたげに、数歩後ろへ下がる。
「なんなんだ? この絵は」
「わかりません……」
「ん? あれは……」
ゴッソはモーネと会話をしながら、ある一点を見つめる。
そこには黒金の金庫がおいてあり、いかにも何かを隠していそうな雰囲気を漂わせていた。
調べてみると、ダイヤル式の鍵がかけられている。
ゴッソは金庫の扉をノックし、おもむろに長剣を抜いて構えた。
「どうするんですか?」
「……これぐらいの厚さなら切れる」
「鉄ですよ? さすがに無理なんじゃ……」
「まあ、見てろ」
ゴッソは目にも止まらぬ速さで剣を振って金庫の扉を左右に断ち、ねじ込ませた剣先をテコにして扉をこじ開けた。
「どれ……」
中を覗き込むと、数点の宝石と本が一冊だけ。
ゴッソは本を手に取り、松明の灯りで目を通していく。
「……古の扉へつながる鍵は、虹色の橋にある。私はそれを求めた。しかし、届かなかった。あらゆる技法を、素材を試しても届かない。仲間を集めて最後の晩餐をする。そう。最後の……誰も届かせはしない。それが最後にできる私の意地なのだ」
「……あの絵に描いてある人たちは、みんな画家なんでしょうか?」
「だろうな。狂ってるヤツの末路だな」
「そうまでして描きたかったものって、なんでしょうね?」
「俺たちにはわからんさ。書いたのは……ゴヤン? 知らない名前だな。とりあえず、この本はもらっていこう。他にもページがある」
ゴッソはノートをモーネへ手渡し、鞄にしまっておいてくれと頼んだ。
地下室を出たあと、モーネはゴッソへ銅像を指差して頼む。
「銅像を元の位置に戻せますか?」
「ああ。けどいいのか?」
「はい。あの絵はあそこに眠らせておきましょう。きっとその方がいいと思います」
「わかった」
ゴッソは銅像を持ち上げ、地下室への入り口を塞いだ。
モーネの少しだけ悲しそうな顔が、やけに印象に残った。




