EP〜藍色の竜編〜 第四話 水の町ベルフェール
ベルフェールの町は、水の町として観光名所になっていた。
深い渓谷から流れ込む清流が、栄養素の高いものとして認知されている。
「なんだ……これは……」
「川……茶色ですね」
町の中央を流れる川を中心に、大きな橋で左右に分かれている。
木造家屋が建ち並び、人口は三千人ほど。
橋の中央に立って流れゆく川を眺めると吸い込まれそうになるが、この汚れ具合では遠慮したい。
そんな気持ちからか、二人は手すりから距離をとっている。
町の道路の端で、人々はぐったりと座り込み、顔色は一様に悪い。
なんらかの病気が蔓延しているのか、とゴッソは警戒を強めた。
「大丈夫ですか?」
そんなゴッソの心境とは裏腹に、モーネは寝転んでいる少年へ声をかけた。
「うぁ……」
少年は視線だけを動かして、虚な瞳で見つめ返し、何かを言いたそうに口を動かしている。
乾いた唇は血が滲み、喋ることすらままならない。
「これ、飲んでください」
モーネは水筒を差し出し、少年へ手渡した。
まるで奪うように水筒を掴み、少年は喉を潤していく。
「ぶはっ……ハァハァ……ありがとう……」
「何があったのか教えてくれませんか? 私はモーネ。旅をしています」
「オイラはヨシュア。お姉ちゃん、とりあえずそれをしまっておいた方がいいよ」
遠くからの視線は、モーネへ返された水筒に向けられていた。
ゴッソは頷き、それをみてモーネは水筒を鞄へしまう。
「いま、この町では飲み水がないんだ……みんな泥水を啜って病気になってる」
力なく立ち上がり、ヨシュアは周囲を見渡した。
その視線の先には、かろうじて歩いているもの、足がもつれて転ぶ者がいて、モーネは眉を顰めた。
「井戸はどうした?」
「井戸の水も同じさ。濁ってて飲めやしない」
「ふむ」
ゴッソは顎に指をあて、早めに去るべきだろうと考え込む。
この町で情報を得たいが、水を分け与えているところを見られてしまった。
ひそひそと、住人たちがこちらを見て耳打ちしている。
おおかた、水を奪う算段でもしているのだろう。
「あの、この絵に見覚えはありませんか?」
モーネは鞄から父親の絵を取り出し、ヨシュアへみせた。
ヨシュアの半分はあろうかという絵を見て、彼は首を傾げてみせる。
「うーん……わからないなぁ。町長ならわかるかも」
「そうですか……」
「力になれなくてゴメンよ」
小柄な頭は下を向いて、擦り切れた靴を見つめていた。
「モーネ。町長に話を聞いたら、すぐにここを出よう」
「えっ、あ、はい……」
「行くぞ」
ゴッソは軽くモーネの背を叩いて歩きだし、ヨシュアの様子を気にしながら彼女は後を追いかけた。
ひときわ大きな屋敷は、町の端の方にあった。
代々受け継がれているであろうそれは、外から何らかの攻撃をうけたようで、外壁に穴があいている。
立派な門や屋敷の囲いも、落書きや殴られたような傷で荒んでいた。
「ずいぶん立派な屋敷だな」
ゴッソは皮肉めいた言葉を発し、ため息をついた。
おそらく、この町の惨状は町長が原因なのだ。
屋敷の様子がそれを理解させる。
「うーん。魔物に襲われたんですかねぇ?」
モーネはボロボロの建物を不思議そうに眺めていた。
「聞けばわかるさ」
ゴッソは敷地内へ足を踏み入れ、玄関へと足を向ける。
モーネはキョロキョロしながら、離れないように追いかけた。
「誰かいるか! 旅の者だ!」
ドアノッカーを鳴らし、大声で呼びかけると、家の中から物音がした。
「開けるぞ! ……モーネ、退がっていろ」
「は、はい」
どんっ、とゴッソが両開きのドアを開く。
直後、薄暗い中から花瓶が飛来した。
ゴッソは片手でそれを殴って砕き、破片がモーネにあたらないように気を使う。
「クソッ!!」
老人が飛び出してきた。
片手にサーベルを持って。
「やめておけ」
軽くそれをいなして、同時に足を引っ掛けたゴッソは、家主の行動に呆れ果てていた。
「ワシの屋敷に水はない! 帰れ!」
「そんなことはどうでもいい。俺たちは旅人だ」
「たび……びと……そうか……それはすまなかった……」
住民と比べて、幾分か町長の顔色は良かったが、初老の男は痩せこけていた。
強いストレスによるものか、はたまた別の要因か。
「少し話を聞きたい。入ってもいいか?」
「あ、ああ……」
ゴッソとモーネが中へ入ると、町長はドアを閉めて鍵をかけた。
二人はリビングへ案内され、質の良いソファーへ腰掛ける。
テーブルを挟んだ反対側へ座った町長は、震える指先で葉巻を持って火をつけた。
「話とは……なんじゃ?」
「モーネ」
「はい。この絵を見て欲しいんです」
「絵……」
モーネがテーブルへそれを広げると、この世界で信仰されている神、全能神ソピカの姿絵が光に照らされる。
「おぉ……これは……」
葉巻を吸うことも忘れ、町長は両手で端を掴み、室内を照らしているランプのそばへ移動する。
後ろから光をあてると、透かされて別の絵が浮かび上がり、ソピカの背後に大きな虹が映し出された。
「間違いない。アドルフの作品じゃな……どこでこれを?」
「私のお父さんです。アドルフは……」
「……そうか。お前さんが」
丁寧に絵をテーブルへ戻したあと、町長は書斎へ行き、封のされた封筒を引き出しから取りだした。
そして、よれよれと部屋に戻り、モーネへ封筒を手渡す。
「お前さんが来たら渡してくれと……五年前に頼まれたんじゃ」
「お父さんからの手紙……ですか?」
「ああ。不思議な男じゃったよ。アドルフは」
町長は遠い目をし、書斎に飾ってある竜の絵を見つめた。
その視線に誘われ、モーネとゴッソも視線を移す。
そこには、地底湖にいた竜とそっくりな、藍色の竜が描かれていた。
「アドルフはこの町で、ひたすら絵を描いておった。あれは、あやつが旅立つ前に残していったものじゃよ」
「じゃあ、お父さんはもういないんですね……」
「行先はわからん。だが、どうしても描きたいものがある……とは言っておった」
「お父さんの描きたいもの……」
半分ほど燃えてしまった葉巻を手にとり、深く吸い込んだ町長は、一気にそれを吐き出したあと背もたれに体を預けた。
そして、天井を見つめながら呟く。
「約束の地……この世のものではない絶景。それを世界で唯一、描いた者になりたいと語っておったよ」
「約束の地……ソピカ教の聖歌に、そんな歌詞が含まれていたな」
「お前さん、物知りじゃな」
「多少な」
「この町から三日ほど歩いた場所に、放棄された教会がある。そこへ行ってみてはどうじゃ」
「わかった。情報に感謝する」
ゴッソは立ち上がり、会釈してモーネへ合図をした。
「行こう」と言いたげな顎の動きに反応して、モーネも立ち上がり絵を鞄へしまう。
「あの……どうして水があんなことになったんですか?」
部屋を出る直前、モーネはどうしても気になっていた町の惨状について尋ねた。
「わからんよ……皆はワシのせいだと責める。もう疲れたんじゃ……」
「そうですか……わかりました。お父さんを見つけたら、また来ますね」
「……ああ」
ぺこり、と頭を下げて、モーネはリビングを出ていく。
残された町長は、燃え尽きかけた葉巻を最後まで吸いきって、そっと瞳を閉じた。
「アドルフ……約束は守ったぞ……」
ランプの光が、油を燃やし尽くして消えてゆく。
暗くなった部屋で、葉巻の煙だけが静かに泳ぎ続けていた。
まるで、行き場を失くしたかのように。
♢
町長の屋敷を出ると、数人が待ち構えていた。
ゴッソは気配を探り、目の前にいる三人のは別に、身を隠している二人がいると悟る。
「何か用か?」
威圧するわけでもなく、極めて淡々と声をかけると、三人は鍬や斧、鎌を構えた。
「み、水をおいていけ!」
「俺たちも乱暴はしたくない……」
よほど切羽詰まっているのか、顔色の悪い三人は目が血走っている。
「俺に勝てると思うのか?」
ゴッソはじろりと睨みつけ、長剣に手を伸ばした。
「待ってください!」
モーネはそんな一触即発の空気へ割り込み、鞄から三つの水筒を取り出す。
「これを差し上げます。だから落ち着いてください」
「モーネ!」
「いいんです。そりゃ、魔物を簡単に倒しちゃうゴッソさんなら勝てるんでしょうけど……」
その言葉に、三人は後退りをした。
強そうだとは思っていたが、そこまでの実力者だとは想像していなかったらしい。
「はぁ……ったく。しょうがないな」
ゴッソは長剣から手を離し、モーネから水筒を受け取って三人へそれぞれほうった。
「それを持って今すぐ消えろ」
「ひ……ひぃぃっ!」
手に持っていた武器を捨て、三人は一目散に逃げ出した。
ゴッソは追うこともなく、物陰から覗いていた二人を一瞥する。
「俺たちの水がなくなったな」
「いいじゃないですか。また汲みに行けば」
「水筒はどうするんだ?」
「あっ……」
モーネは慌てて鞄を漁ってみるものの、出てきたのは聖水をいれていた小瓶くらいだった。
「こ、これで?」
「ひと口で終わるな」
「うぅ……ゴメンナサイ」
ゴッソはひとつ息を吐いて、モーネの頭を軽く撫でた。
「気にするな。それもまあ、お前らしいさ」
「ゴッソさん……はいっ」
怒ってはいないのだと、モーネは笑った。
背を向けたゴッソが、人知れず微笑んでいたことに気づかないまま。
こちらを覗いていた二人は、いつのまにか姿を消していた。
手持ちの水がもうないのだと理解したからだ。
町を出た二人は、教会へ向かって歩きだした。
ベルフェールから西へ三日の道のり。
水がなければ、とてもじゃないがたどり着けないだろう。
「おーい!」
二人が歩き始めた直後、町から誰かが追いかけてきた。
「ヨシュアくん?」
「ハァハァハァ……こ、これ……」
「水筒……どうして?」
「隣のおっさんが嬉しそうにしてたからさ。オイラ、いいことあったのかって聞いたんだ。そしたら、姉ちゃんたちから水筒をもらったって聞いて……」
よくよく見ると、ヨシュアは傷だらけだった。
頬や額に切り傷、服はもともと汚れていたが、争ったのか破れている。
「取り返してきたの? これを?」
「一個だけ……なんだけどさ。ゴメンな」
モーネは屈託なく笑うヨシュアを見て、感極まって抱きついた。
おろおろとするヨシュアを、ゴッソは口角を上げながら眺めている。
「……ありがとう」
「いいんだ……けど、一つだけ教えてくれないか? どこで水を汲んだのか」
モーネが顔を向けると、ゴッソは小さく頷いた。
「少し遠いんだけど、東北の山の奥に泉があるの。もう枯れかけているんだけど……」
「わかった! 町の人を集めて行ってみるよ!」
「うん。気をつけてね」
「姉ちゃんたちもな!」
ヨシュアは大きく腕を振り、町へ戻っていった。
その背中が見えなくなって、モーネとゴッソは教会の方向へ向きなおる。
「……行くか」
「はいっ!」
ぽんぽん、とモーネの肩をゴッソが優しく叩く。
モーネは水筒を抱きしめて、とても嬉しそうに笑っていた。
人っていうのは、こうでなければいけない。
こうあるべきなんだ、とゴッソは思う。
戦場に居続けて、忘れていたものや失くしていたものが、少しずつ蘇ってきている感覚だった。
モーネと出会わなければ、きっと修羅の道を歩んだのだろうと振り返る。
「モーネ」
「なんですか?」
「親父さん、見つかるといいな」
「ゴッソさんがいてくれれば、きっと見つかりますよ」
「ふっ。だといいんだが」
抜けるような青空が広がり、ぽつりと白い雲が漂っている。
吹き抜ける風が街道脇の草花を揺らし、二人の頬をそっと撫でた。




