いいな、いいな、人型魔物っていいな
河上さんが池から離れたのは、十分以上経過してからだった。
赤く腫らした目元を拭いながら、こちらへと歩いてくる。
河上さんは一瞬だけサナギの脱け殻へと顔を向けたが、すぐに目を伏せ正面に向き直った。
「すみません、お恥ずかしい所をお見せしました」
『いや、気にしなくて良いよ』
俺は触手を左右に振りながら、軽い調子で返事する。そのまま、正面に来た河上さんの姿を改めて観察した。
進化して人型の魔物になった河上さん。
彼女は今までの不気味なイモムシの体を脱ぎ捨て、雪のような白い髪に瑠璃のような青い羽を生やした外見へと変貌していた。
人形のように整った美少女フェイス。その中で淡く桃色に色づく唇の端がゆるく弧を描いている。
河上さんから自然とこぼれる笑みが、彼女の人間らしさを強調していた。
『進化して姿変わったけど、特に違和感とかはない?』
「はい。羽はちょっと慣れるまで時間かかるかもですけど、それ以外は前世の自分と同じなのでむしろ動きやすいです」
河上さんは髪を指先でいじりながら、元気に返事をした。
そんな彼女の進化後ステータスはこれだ。
ーーー
名前:河上静香
種族:シルクフェアリー
進化ゲージ:0%
固有スキル:不可侵領域
所持スキル(4/10):粘糸、鋼糸、鱗粉、風魔法、
パーティ:タノウエ
ーーー
【不可侵領域】
あらゆる攻撃を通さない不可視の障壁を生み出すスキル。
スキルは所有者に危害が迫った時に自動で発動する。
手動でスキルを発動した場合は本体から離れるごとに効果が弱まる。
ーーー
河上さんから教えてもらった情報をもとに、脳内でステータス画面を想起する。
まず、種族名はシルクフェアリー。
シルク、とつくことから糸に関した二つのスキルを持っている。
粘糸と鋼糸、ともに巨大イモムシだった頃から使っていた河上さんのメインウェポンだが、進化に伴って消えたりはしなかったらしい。
イモムシの時は口から吐き出していたが、今は両手の手首あたりから糸が出せるんだとか。
そして、固有スキルの【不可侵領域】。
こちらはイモムシ時代から変わっていないらしい。
だが改めて詳細を聞くと、その性能は破格の一言に尽きた。
まずスキル説明にある通り、河上さんの障壁はあらゆる攻撃を完全に遮断する。
しかも、スキルの発動に《《生命力も魔力も消費しない》》。
その気になれば、河上さんは何時間でも敵の攻撃を無傷でやり過ごすことが可能なのだ。
欠点らしい欠点は無い。
強いて上げるなら、スキル発動中は障壁の内側からも攻撃できないことくらいか。
それだってデメリットと呼ぶほど致命的な内容ではない。
「実は強さ自体はそんな変わってないんですよね。【不可侵領域】も【鋼糸】も前から使えましたし、新しく手に入れた【風魔法】はタノウエさんと比べると全然だし……」
そこで言葉を区切ると、河上さんは自分の青い羽を広げた。
「でも、羽が生えたのは嬉しい誤算でした。これで空から敵を探したりできそうです」
彼女は笑いながら羽を動かすと、そのまま空へと舞い上がった。
あっという間に高度を上げていく河上さん。
そのまま旋回したり宙返りしたりと、飛ぶのが初めてとは思えないほど、彼女は自由自在に空をかける。
が、それも長くは続かなかった。
彼女は途中で急に動きを止めると、急に地上に戻ってきた。
「タノウエさん!」
珍しく声を荒げる河上さん。
何かあったのか問いかける前に、彼女が続けて叫んだ。
「建物が! 山の上の方に建物が見えました!」
◇
――建物が見えた。
河上さんの証言を頼りに、俺達は山をさらに駆け上った。
建物、つまり人工物があるということは、必然的に異世界人が近くにいる。
元々、この世界に文明があることはわかっていたが、まさかこんな近くにいるなんて。
道中の魔物を惨殺し、最短距離を突き進む。
その先で、森の中にぽつんと佇む洋館を発見した。
洋館は、ひどく荒れ果てていた。
窓はひび割れ壁も所々崩れかけている。草木や蔦も伸び放題で、洋館の全容を覆い隠していた。
「誰かいますかね?」
『いると嬉しいけど……わからないね。探索もしたいけど、このままじゃ狭そうだな』
人間サイズの河上さんはともかく、巨大な触手である俺は洋館の探索に不向きだろう。
……ここはスキルの使いどころか。
【生命を喰らうもの】の効果で手に入れた雑多なスキル群の中から、お目当てのスキルを発動する。
――【擬態】。
元はトレントの持ってたこのスキルの効果は、何かに擬態するというもの。
トレントはもっぱら木に擬態していたが、俺の場合はこれまで食べたことがある魔物に擬態することができる。
これだけ聞くと便利そうに聞こえるかもしれないが、擬態中は擬態先のスキルしか使えないという欠点があるため普段は使ってなかった。
そんなスキルではあるが、効果自体は問題ない。
スキルを発動した途端、俺の全身の触手が急速に縮んでいく。
そして――。
「ゴブリン、ですか?」
『そうだよ』
返事とともに、グガァという汚いダミ声が出る。
触手が幾重にも重なり、小柄なゴブリンの四肢を形づくる。
良く見れば赤黒い触手の集合体だが、ぱっと見は色違いのゴブリンにしか見えないだろう。
この小ささなら、洋館の探索もスムーズに進むに違いない。
『何か見つかると良いけど……』
そのまま、慣れない体を使って洋館へと進む。
洋館の中は、外観のイメージとは違いそこまで荒れていなかった。
家具や壁には老朽化が見られるが、屋敷全体を通して物は散乱していない。
通路など、人の通るところは蔦が意図的に退かされている所も見受けられる。
そして何より、キッチンには腐敗してない食材が置かれていた。
「誰か住んでそうですね。部屋回った感じ誰にも会いませんでしたけど」
『もしかしたら外出しているのかもしれない』
「どうしましょうか?」
『とりあえず外に出よう』
家主がどんな人かはわからないが……少なくとも留守中に勝手に家に上がられてて良い気はしないだろう。
特に俺達は魔物だ。
第一印象が少しでも良くなるように下手なことはしないほうが良い。
だが、その時。
――キィ、と入口の方から扉の開く音が響いた。
「っ!」
振り返った俺の目に入ったのは、くすんだ茶髪の女性。
彼女は俺と河上さんを視界に捉えるや否や、両腕を広げて魔力を込めた。
「誰だあなた達は!?」
女が叫ぶとともに、空中に黄色と緑の魔法陣が浮かび上がる。
『待ってくれ!』
そう言ったつもりだったが、喉から絞り出されたのはゴブリンの鳴き声のみだった。
女が渋い顔のまま、魔法陣をこちらに向ける。
彼女の眼鏡がその光を反射した。
「私たちは怪しいものじゃないです」
「人語を話すに至った個体か?」
河上さんが声を上げるが、女は魔法陣を下げず伺うようにこちらを見たままだ。
一触即発の雰囲気の中、ふいに思い出しステータスを呼び出す。
画面の下、パーティの部分を見ると表記が更新されていた。
パーティ:河上静香。申請対象あり(エレノア・キルケウス)
――と。
エレノア・キルケウス。
これが目の前の女の名前なのだろう。
急ぎ画面を操作し、パーティ申請を送る。
直後、いつもの電子音声が脳内に響いた。
――ピコン!
――エレノア・キルケウスにパーティ申請を送付しました。お相手の承認をお待ちください。
直後、エレノアの翡翠の瞳が大きく見開かれる。そして納得したような表情を浮かべ、魔法陣を消した。
部屋に漂っていた緊張の糸が切れる。
エレノアは俺と河上さんを交互に見回し、ゆっくりと口を開いた――。
「あなた達は、《《異世界人》》、で合っていますか?」
――そう、俺達の出自を言い当てる言葉とともに。
――ピコン!
――エレノア・キルケウスがパーティ申請を受理しました。




