河上さんが感度3000倍の餌食に!?
「残念。交渉は決裂ですか」
エレノアが先程までと変わらない淡々とした調子で告げる。
そのまま、彼女はくすんだ茶髪を指先で弄りながらそっぽを向いた。
『余裕だな』
「まぁ、そうですね。こういう事態も初めてではありませんし」
エレノアの声に動揺は見られない。
俺達のことを路端の石ころとでも思っているのだろう。
戦闘になっても十分対処できる、そんな余裕が感じられる。
「――ところで、本気で勧誘のためだけに長々と説明したとお思いですか?」
「くっ!」
エレノアがそう言った瞬間、すぐ横で河上さんが蹲った
額に脂汗を滲ませ、荒い息を吐いている。
『何をした!?』
「食事に少し細工を。命に別状は無いので安心してください。ただ少しの間動けなくなってもらうだけです」
『毒か』
「苦労したんですよ。魔物に効く麻痺毒なんて中々ありませんから。……だから発想を変えたんです」
「うぐっ!」
河上さんが横向きに倒れ込む。
元々白い顔からさらに血の気が引き、歯の根が合わずに震えている。涙や涎、鼻水までもが止めどなく溢れ出していた。
『河上さん!』
「麻痺毒は効果が薄い。だけど国に引き渡すまで傷付けずに無力化したい。だから与えることにしたんです。痛みを」
河上さんは言葉を発しないまま、丘に打ち上げられた魚のように身を捩る。
青い羽が体に押し潰されて形をたわませた。
「痛みは生体信号。麻痺や毒は防げても元々備わってる感覚を無くすことはできません。この薬剤は血中に溶け込み全身に広がった後、全身の感覚神経を強化する――いわゆるバフなので下手な固有スキルは無視することも確認済みです」
「あ、がっ……」
河上さんが過呼吸を繰り返す。
エレノアは痛みだけと言っているが、このまま放置すればショック死してもおかしくない。
「ごめんなさい。風が肌を撫でるだけでも痛いですよね。でも痛いのは今だけですから我慢してください。国に渡って、ちゃんと隷属の魔法を受けてくれたら解毒剤を渡しますから」
『外道が』
「タノウエさんは毒の効きが悪かったようですね……さすがゴブリン。でも後数分もすれば同じ道をたどることは実証済みです」
エレノアがにこりと微笑む。
慈愛を感じさせるその笑みの中に、わずかに勝ち誇る気配が混じっていた。
だが――。
『あいにく俺には効かない』
返事とともに、擬態を解除する。
小さなゴブリンの体から元の巨大な触手の姿に戻り、エレノアを睨みつけた。
「あら、ローパーでしたか。痛覚無効持ちとは運が悪い」
眼鏡の位置を直し、俺を正面から見据えるエレノア。
その様子を視界の端で捉えつつ、【麻痺毒】を発動し河上さんに投与する。
河上さんの呼吸が少し落ち着く。
依然として強い痛みで動けそうには無いが、少しでもマシになれば幸いだ。
『観念したらどうだ?』
「まさか。ローパーならローパーでやりようはありますよ」
エレノアが、カツンと足を踏み鳴らす。
途端に、彼女の足下の影が大きく膨れ上がった。
「出てきてください。ジュンペイさん」
エレノアの呼び声に対し、影の中から腕が飛び出した。
丸太のような浅黒い腕が地面を掴み、水から上がるように全身が這い出てくる。
「紹介しましょう。ゴブリンキングのジュンペイさんです」
ジュンペイ、と呼ばれたゴブリンキングは、身の丈三メートルは越える巨体に、岩で出来た不格好な棍棒を握っていた。
肌は浅黒く、発達した下顎の牙が突き出ている。
よく見ると、左腕は黒紫の毛皮に覆われており、鋭利な爪を生やしていた。
「エレノア。あいつらが俺たちの敵?」
「はい。勧誘を断られてしまいまして、無力化できますか?」
「問題ないよ」
ジュンペイが流暢な言葉使いで返事をする。
明らかに魔物そのものの見た目をしているが、名前からして彼も異世界人なのだろう。
「……にしても、あんた馬鹿だな。せっかく成り上がるチャンスをふいにして他の奴隷どもと同じ道選ぶなんて……信じられない、ぜ!」
そう叫びながら、ジュンペイが棍棒片手に走ってくる。
その速度は重量級の見た目からは想像がつかないほど速い。
だが、進路自体はまっすぐだ。
『くらえっ!』
風魔法による見えない斬撃で迎え撃つ。
だか、その刃があたる直前、ジュンペイは身を屈めて攻撃を避けた。
「ローパーのくせに魔法使うとか生意気だな。……でも残念、俺の【危機察知】の前じゃ無意味だぜ!」
その言葉通り、何発魔法を放ってもジュンペイは避ける。そしてついに敵の攻撃圏内まで近付かれた。
「潰れろ!」
上段から迫る棍棒に対し、触手を盾とすることで軌道をそらす。だが、少し触れただけで何本もの触手が弾け飛んだ。
「まだまだ!」
間髪入れず、左腕の爪が振るわれる。
こちらも触手で防ぐが、紙切れのように切り飛ばされた。
触手が宙を舞い、勢い良く体液が吹き出す。
だがジュンペイは自分の体が俺の体液濡れになるのも厭わず次の攻撃の準備に移っていた。
……接近戦は相性が悪い。
一度後退し態勢を立て直す。
だがジュンペイは追いかけてこず、代わりに足下に横たわる河上さんをマジマジと見つめだした。
「エレノア、この子可愛いね。俺がもらっても良い?」
「ダメですよ。異世界人はみんな軍で働いてもらうんですから。また国から人を呼びますので我慢してください」
「ちぇ。しかたないなぁ、モン娘にも興味あったのに……まあ少し触るくらい良いよね」
横たわる河上さんめがけジュンペイの手が伸びる……が寸前でその動きが止まった。
【不可侵領域】……河上さんに迫る危害を自動で防ぐ、彼女の固有スキルの効果だ。
ジュンペイは目に見えない壁を攻略しようと数秒手を動かしたが、意味がないとわかると手を引っ込めた。
「君も俺のこと拒否するんだ。あー、何かイラついてきたなぁ!」
ジュンペイが地団駄を踏む。
その度に彼の体の筋肉が膨れ上がり全身から湯気が立ち昇った。
先程までよりさらに圧迫感をましたジュンペイ……明らかに何らかのスキルが発動している。
「あんたに八つ当たりさせてもらうわ!」
叫びとともに、再度ジュンペイが迫る。
その速度は先程の比じゃないほど速い。
俺は迎撃のため手当たり次第に魔法を放つが、火、水、風、土、どの属性の攻撃もジュンペイは避けずに突っ込んでくる。
「痛ぇなおい!」
奴ももちろん無傷ではない。
だが、全身から血を流しながらも歩みを止めずに襲いかかってくる。
今付いてる傷は奴の体の大きさから考えたら全部軽症扱いなのだろう。
『くそ、強すぎる』
「魔物が叫んでも何言ってるかわかんねぇよ!」
――そしてそのまま棍棒が振り抜かれた。
衝撃とともに吹き飛ばされる。
機材の一部を破壊しながらゴロゴロと床を転がり、培養槽の光が届かないくらい遠くまで飛ばされてからようやく止まった。
急ぎ態勢を立て直そうとするが、体がうまく動かせない。見れば無数にあった触手はその大部分を消失しており、わずか数本しか残っていなかった。
……たった一撃でこれか。
おそらく連続で攻撃されたらすぐに死んでしまうだろう。
エレノアはこの期に及んで俺を殺すつもりは無いようだが、絶望的な戦力差がある事実は変わらない。
それでも負けるわけにはいかない。
一息おき、回復魔法を発動する。
【魔力炉】による無限の魔力で強引に生命力を回復すると、今度は超再生の効果で触手が一本、また一本と復活していった。
闇に紛れて元の場所に戻る。
広場には、無数の触手が散らばっていた。
ジュンペイは気怠そうに俺の体液を払い落としながら、俺が消えた方を観察している。
肥大化した筋肉は健在で、全身から蒸気を立ち昇らせている。そのジュンペイの皮膚についた傷は、早くも塞がりかけていた。
……先ほど傷を恐れずに攻撃してきていたが、どうやら回復能力も持ち合わせているらしい。
……このままジュンペイのバフが切れるまで待つか?
その後攻撃するとして、何を放つ?
生半可な魔法じゃダメージを与えれないことは確認済みだ。
かと言って接近戦はあの攻撃の餌食になる。【生命を喰らうもの】で回復しながら攻撃しても、回復が追いつかずに殺される可能性が高い。
ステータスを確認する。
ーーー
名前:タノウエ
種族:ブラッディローパー
進化ゲージ:95%
固有スキル:生命を喰らうもの
所持スキル(6/8):痛覚無効、ハイパーブースト、麻痺針、ドッペルゲンガー、超再生、魔力炉
疑似スキル(残り7日):堅牢、火魔法、水魔法、土魔法、風魔法
疑似スキル(残り4日):角突、斬爪、加速、鱗粉、擬態、回復魔法、頑丈
疑似スキル(残り1日):剛腕、闘争本能
パーティ:河上静香。エレノア・キルケウス。
ーーー
今ここにあるスキルで、なんとかジュンペイを倒す策を考える必要がある。
俺は、ステータスと敵を交互に見比べ、知恵を振り絞った。




