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ノイローゼ



     ❖ ❖

 



 ―――――

 ―――


 場所は変わり、同日。


 歌舞伎御殿かぶきごてん控室ひかえしつ


 がやがやとした大部屋はたたみ張り。


 黒子くろこが体操をしたり、狩衣が、両手を広げて前方にしこを踏んでいたりする。


 清蓮たちを見つけて、「気にするんじゃないよ、俺の客だ」と言った者が鏡の前。


羽衣門ういもん殿でございますか」


「へい、さようで。わっちが紅茶一座の座長、羽衣門でございやす」


「自分は陰陽師、阿部清蓮あべのせいれんと申します」


「あべの・・・?」


「いえ、かの御仁ごじんとは特になんら関係はありません」


「ああ、そうなんざんすか」


「それで、さっそく本題に入りたいのですが」


「へい。こちらで」


 案内されたのは、大部屋の着物が記帳きちょうのようにかけられた部屋の隅。


 その裏に、ひざをかかえぶつぶつ何かを言っている青年がいる。


「この青年が例の・・・?」


狐憑きつねつきかなんかじゃねぇかって」


「ほう・・・」


 清蓮は青年の側にしゃがみこんだ。


 そしてしばらくその青年を見つめたあと、声をかけた。


「何があったんだい・・・?」


 それは、優しい発音だった。


「殺したんだっ・・・」


「誰が、誰を?」


「刀で斬ったんだっ」


 直志は首をかしげた。


「『藤大樹』のことでしょうか?」


「直志、少し黙ってろ・・・君、名前は?」


「ねぇ」


「ん?」


「俺は、名前、ねぇんだ・・・だから、「やさかひこ」になりてぇんだ」


「うん、そうなのか」


「そうなんだ・・・」


 青年の目から、涙が落ちた。


「ととが、かかを、斬り殺したんだ・・・思い出しちまったんだ・・・」


 座長の羽衣門がはっとした顔した。


「どういうことですか?」


 直志が聞くと、羽衣門は苦々《にがにが》しく言った。


「そいつは、ててに名前すらつけてもらなくて、かかをととに斬り殺されたんだ」


「なぜ?」


「よくは分からねェ・・・そいつが幼い頃に橋のあたりで拾って、なんとなく聞いて」


「それっきり?」


「ああ、それっきり詳しいことは聞いてない」


「うんうん・・・」


 その情緒、分からなくもない、と、直志は小さく何度かうなずく。


 清蓮は、座長に狐憑きらしき青年の現在の名前を尋ねた。


 座長は、「とうみょうのしん」と答えた。


 清蓮は優しい声で、青年に言葉を続けた。


「思い出してしまったんだね?いつから?」


「舞台中に・・・突然、閃光せんこうが頭ん中走って、ととがっ・・・」


「うん」


「かかが斬られて死じまったんだっ、俺は見てたっ。生きなきゃなんねっ」


「うん」


「かかが、紅茶一座に行きなさいって言ったんだっ」


「うん」


「かかが、お前がお腹にいたとき豆苗よく食べてたって座長に言ったんだっ」


「うん」


「そしたら、座長が「豆苗之進とうみょうのしん」って名前くれたんだっ」


「君は、昔とは違う。君は今はもう、「豆苗之進」だ・・・・」


 はっと青年が顔を上げた。


「・・・え?」


「君の、名前は?」


「とうみょうのしん」


「そうだ」


「そうだ」


「それでいい」


「本当に・・・?」


「本当だ。君は、豆苗之進でいいんだ」


「やさかひこに、ならなきゃいけないんじゃないのか・・・?」


 座長がはっとした。


「なんてこったっっっっ、お前をに入れてよかったよっ」


 豆苗之進がぽかんとしている。


「俺、やさかひこしたいけど、とうみょうのしんでもいたいんだ・・・」


 清蓮が座長を見た。


 座長が叫んだ。


「お前はお前として、「やさかひこ」すりゃいいんでぃっっ」


「なんや・・・」


 青年は涙をぬぐった。


「なんや・・・それでよかったんか・・・こんな幸せなこと、あっていいんやろか」


 清蓮はつぶやいた。


「ノイローゼ」


 不思議そうな、すがるような目で、豆苗之進は清蓮を見た。


 清蓮は少し微笑んで見せた。


「心の中の「心労しんろう」と言わるる「鬼」、ぬぐりまして候」




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