未遂のダメージたるや【セオドア】
宿に戻ると、疲れがドッと襲ってくる。軍の指揮を執るより疲れている気さえする。
「お疲れですね、殿下。店、混みましたか?」
先に部屋にいたリーリが書き物をしながらこちらに問う。
「まぁ店はいつも通りだな」
「その割には随分と顔に疲労が…」
リーリは書き物をしていた手を止めて、こちらが脱いだ薄手の外套を受け取ると、軽くブラシをかけて収納する。
一応は公式ではなくこの国へ来ているので、警備の都合上リーリとは同室だ。
同室の為、リーリは主が帰ってくると先にこちらを休ませようといつも気遣ってくれるので、申し訳なくなってしまう。
俺たちは二人ともそこそこ強い。なので別室でもいいと何度か提案したが、緊急時にすぐに駆けつける事が出来ないから、とそれは却下された。
服を渡した後、俺は先ほどのやり取りを思い出して大きなため息を吐いた。
一人掛けのソファに座り休んでいると、リーリが気を利かせて温めた葡萄酒を用意してくれたのを見て、随分と表情に出ているんだろうと察した。
「珍しいですね、殿下がこの国で疲れるなんて」
「まぁ……そうだな、悪い疲れでは無いんだろうけど。確かに疲れたな」
「梟亭で何…」
ガシャン
うっかり葡萄酒の入ったグラスを滑らせる。幸いサイドテーブルに少し溢れただけで済んだが、俺はその染みを見て、同じように今日葡萄酒を溢していた娘を思い出す。
いつも一生懸命に働く、どこか良いとこ出身のお嬢さん。妹を見守るような気持ちで彼女の働く姿を見ていたが、今日急にそれとは違う部分に気付かされたような気がして、俺は自分の手のひらを見つめる。
ハンカチ越しの手は小さく、胸の中に抱いた華奢な肩を思い出すと、何とも言えない感情が自分の中に燻るような気がした。
ちょっとしたイタズラ心で頬を撫でると、陶器のような触り心地のよい頬を真っ赤にして目を瞑られた。 俺の理性が仕事したから色々と未遂で済んだものの、あれを初夜でやれば彼女の悩み事など万事解決なのでは?と思ってしまう。
「あんな場面で、目ぇ瞑るんじゃねぇよ…ほんとに」
俺はもう一度ため息を吐く。
「セオドア殿下?」
「あぁ、悪い悪い。少し溢した。何か拭くものあるか?」
「お体にかかっていませんか?大丈夫ですよ、私が片付けますから。湯浴みして休まれてください」
「そうか?じゃあ悪いけど頼む。あと、花の月になるギリギリまでここに居る予定にしようと思う」
「構いませんが何か困り事ですか?」
「そんな大した事でもねぇけど、ちょっとカリンの相談のってやりたくて。あいつ、世間知らずの癖に無駄に行動力あって心配んなるわ」
だいたいあのタイミングで煩悩を断ち切った俺を、是非褒めて欲しい…とブツブツ喋っていると、リーリが怪訝な顔でこちらを見る。
「殿下?」
「悪い、独り言だよ。ちょっと湯浴みしてくる。リーリも休め」
今日何度目かのため息を吐いて浴場へ向かう俺を、リーリは何やら思案しながら見つめていた。
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「ねぇテオ、今日こそヒントをもらいますからね!」
「しつこい。教える事なんて何もねぇよ」
「もうあと何日もないんです。とりあえず、抱擁、口付け、それから…それから?どうするんですか?女性から何か出来る事はあるんでしょうか?…もう一度抱擁?…は、流石にちょっとはしたない気がしますね。えへへ。あ!男性が何かするんでしょうか?ねーえーテオ、聞いてます?」
「聞こえてるから返事してねぇんだよ」
「あ!前にテオがしてくれたみたいに、頬を…むぐぐ…」
元気に実況を始めてしまいそうなカリンの口を手で塞ぐ。どこか吹っ切れたのか、カリンは小型犬のようにまとわりながら絡んでくるようになって、俺は食事の度にあしらうのが恒例になりつつあった。
最初の頃はリーリが助け舟を出してくれていたが、最近は生暖かい視線を送りながらこちらを見るだけで助けてはくれない。
「どうにかして、満足のいく初や……むぐぐぐ」
塞いだ手を両手で外し、懲りずに質問攻めをしてくる娘を再び拘束して手で口を塞ぐ。
一捻りで捕まってしまう危うい娘に教えてやれるのは、先に護身術な気がして俺は頭が痛くなる。
相変わらず華奢な体。いつでも全力で取り組む姿は好ましいが、この突っ走り方はいただけない。俺が大変理性ある男である故に、色々大丈夫なだけだという事をカリンはちゃんと理解しているのだろうか?…していないだろうな、多分。
「ちょっとテオ、聞いてますか?ねーテオ!」
「うるせぇよ。そんなに作戦が思いつかねぇなら、酒でも飲ませて潰せばいいんじゃねぇの?そしたらその日はノーカンだよ、ノーカン」
適当にあしらって気づかれぬようにため息を吐くと、カリンが何やらへの字口で考え込んでいる。
そのうちに、そっか、それだ!とキラキラと瞳を輝かせるので、俺は悪い予感がして、一応尋ねる。
「カリン?お前なんか変な事考えてねぇな?」
「どうしましょう、テオ!今また閃きが降ってきました!お酒…どうして思いつかなかったんでしょう…私ったら。相手を酔いつぶして、こっちが既成事実を作ってしまえばいいのですよね!」
「いい訳ないだろが。どうやったらそんな突拍子もない発想になるんだよ」
「いえいえテオ、私に閃きをありがとうございます!何だか第一関門突破できそうな気がします!」
「何にも突破出来てねぇよ」
そういってこちらに笑顔を向けるカリンは、とんでもなく良い作戦を思いついたかのように瞳を輝かせていた。
俺が彼女の後ろ姿を見ながら、もう何度目になるか分からないため息を吐いていると、横にリーリが来て静かに言う。
「殿下、この際カリンちゃんを連れて帰って香油女避けに協力願ってはどうですか?あんな可愛らしい娘、変な男に汚されるのは私もあまり良い気分になりませんし…」
「馬鹿言え。あいつの家の事情に他国の王子が口出ししたらややこしくなんだろ。確かに非常に心配ではあるけどな…。でも困ったらすぐに助けに行けるようにはしておきたいけどなぁ」
こっちは仮にも王族になるから、カリンを連れて帰ったらややこしくなるのは目に見えている。
それにあの無垢な娘をドロドロの色欲まみれの世界に使うのも御免だ。
「次は、いかに私とバレないか…また難しい問題です。むむむ…」
能天気な娘は眉間に深い皺を作って悩んでいる。
俺たちが国に戻るまで、あと数日になっていた。




