無茶振りで頭がいっぱい【カリン】
「ッ!おい、溢れてんぞ!」
その言葉にハッとして私は手元を見る。注いでいた葡萄酒がしっかりグラスから溢れていて、作業台に薄い紫が広がる。
「わぁ、ごめんなさい!ちょっとボーッとしてました!」
私は素早く布巾でゴシゴシと台を拭く。早く洗わないと染みになってしまう布巾を持ったまま、また思考の波に飲まれ、ぼんやり空を見つめ考える。
花の月までもう何日もない。初夜の準備…といっても、一体何を?自分に出来る事が何一つ思い浮かばないまま、私は汚れたタオルを握りしめてため息を吐いた。
結婚そのものの準備は王である父が手筈を整えてくれると言っていた。私は第三王子の攻略を…。
「って言われてもねー…」
第三王子はとにかく情報が少な過ぎる。情報が少ない、というのが一番有名な情報といわれるまである。私がうっすら知っている事といえば、パラガーデンの第三王子は放蕩王子、というくらい。基本的にはずっと国外にいて、外交的な事をするわけでもなく、ひたすらに配下にある国の軍事力をあげるために指導しているらしい。故に彼の異性の好みも、思想も、得られる情報が殆どない。
「脳みそ筋肉タイプ…なのかな?」
「ん?どうした??」
ポツリと呟いた私の言葉を横から濃い茶色の髪をした背の高い男が反応した。
「テオ…」
いつものように気安く話しかけてくれる彼に向かって、私は布巾を握ったままどうにか笑顔を作る。
ここは私の大切な秘密の場所だ。
「ちょっと考え事を…」
へへ、と笑って誤魔化そうとすると、髪色と同じ濃い茶色の瞳が私を無言で見つめてくる。彼の視線に作り笑いを見透かされているような居心地の悪さを感じ、私は布巾を持つ手に妙な力が入る。
しばし私を見つめた後、テオは軽く息を吐いてからニヤリと笑った。
「カリンが考える事なんてあるのか。珍しいな」
「ちょ…失礼な事言わないで、冷めない内にそのお皿、運んでくださいね!」
私は作業台をもう一度拭きながら、ホカホカと湯気のたつ料理を指さす。
「お前ね、仮にも俺は客だからな。お客様に料理運ばせる店がどこにあんだよ」
「ここがそうです。マスターが風邪ひいちゃってるんですから常連さんは協力してください」
「にしたって、こんなに客が店員みたいな事してる店、中々ねぇぞ」
「だから、ここはそういう『あっとほーむ』なお店なんですってば。はい、ツマミに魚のすり身も付けときましたからね。終わったらどうぞ」
「『あっとほーむ』ねぇ。…お、すり身か。お前、俺の好み覚えてるんだな」
そう言われ、私は鼻を膨らませる。
「そりゃ勿論!常連さんの好みはバッチリです!マスターの味にはまだまだ追いつけませんけど…このお店を好きで来てくれる人には、いつでも美味しくてお安くて、心もお腹も満足する物を召し上がって欲しいんですから!」
大袈裟なくらい胸を張ってドヤ顔をする王女、カリン様である。
「その割には中々高い酒、溢してたけどな」
口の端を上げて、テオはこちらのおでこをパチンと小突く。
「ちょっとだけです!…多分、3杯分くらい?」
「は、しっかり溢してんじゃねぇか。その分ちゃんと働けよ。これ、あのテーブルでいいのか?」
「はい、お願いします!ありがとうございます!」
私は昼間に父から告げられた高難易度なミッションを頭の中で反芻しながら再び厨房の鍋をかき混ぜる。
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【梟亭】は城下町にある大衆食堂と酒場をごちゃ混ぜにしたようなご飯屋さんだ。
お料理上手なマスターと美しい奥さまで切り盛りをしている………のは、一応表向きの設定で、実は私が個人的に出資をしていて、それだけでは飽き足らず、見習いとして働いている。
開店準備のお手伝いをしている内に、携わりたい欲がどうにも止められず、一日お手伝いをするだけ…が延びに延びて、今や王室の公務以外は此処でお手伝い三昧を満喫する入れ込みようである。
キャティお姉さまも私も、どうやら好きな物にどっぷりハマる性格らしく、私もこの梟亭で働く事に痺れるほど幸せを感じているのだ。
一応、身分はバレていない。多分。
マスターと奥さまには私が世間知らずな金持ちだと伝えていて、社会勉強の為、と無理を言って働かせてもらっている。二人から時々含んだ視線を感じる気もするが、そこは王族で培った気付いていないフリで乗り切っている。
「まぁ、さすがに王族とは思ってないだろうけどねー」
ふふ、と笑いながら私は鍋底が焦げ付かないように、再び鍋をグルグルとかき混ぜた。
「おい、カリン。もうあと二組しかいないから帰る準備しとけよ。どっちも清算は済んでるからな」
お皿を洗っていると、厨房にテオが入って言う。
「駄目ですよ、ちゃんと最後のお客様までお見送りしないと」
テオはまた濃茶の瞳でこちらをジッと見つめ、指で私のおでこをパチンと小突く。身バレはしていないけれど、時代が時代なら大不敬である。
「お前ね、こんな時間まで働いてたら帰りが危ねぇだろ。残りの片付けは俺がしとくから、準備出来たら言えよー」
どうやらテオは私を送っていくつもりらしい。口は悪いが優しい人なのは、こういう些細なやり取りで充分に分かる。
「駄目ですよ!私これでも従業員なんですから、ちゃんと締めまでお仕事を….ッて痛い!」
話の途中で再びをおでこを弾かれたらしい。大不敬罪である、時代が時代なら。
「『あっとほーむ』な店なんだろ?常連のテオ様が締め作業やるって言ってんだからいいんだよ。ほら、行くぞ」
気づけば残りのお客様は退店していて、店内の灯りも落とされていた。
「お前今日はボーッとしてるからな、さっさと帰んぞ」
片方の眉毛を軽く上げて、テキパキと準備をしているテオを見て、あっという間に一日が終わってしまっている事に愕然とする。あと九日。
大事な一日を使って、父からの『白き初夜(出来れば心は掴む)』という高難易度なミッションの解決法が何も思い浮かばなかった。
「…?おーいー?カリン、行くぞー?」
私の混乱した頭の中に構う事なく、テオが戸締りをしながらこちらに声をかける。
〜あと九日〜
もう一度残された日を考えると、不意に鼻の辺りがツンとして、奥歯に力を入れていても涙が溜まるのを止められない。ショッキングな王命に情緒が乱されたのが、どうやら今頃きいてきたらしい。
テオがいるのは分かっているのに、涙の粒はどんどん大きくなる。
「行くぞ…って…わー!お前ホントにどうした?調子でも悪い?」
軽口を叩きながらも、瞳には心配の色が宿っている。どうすればいいか分からず眉毛を下げた彼を前に、私の涙はポトリと落ちてしまった。
「…おい、大丈夫だって、ちゃんと戸締りもするし、今日の営業も無事に出来てたってマスターにも言っとくから。ほら、涙拭けって」
眉尻を下げながら、テオはハンカチで私の涙を拭く。無骨に見えてちゃんとハンカチ持つタイプなんだ…と変な所に気付いた所で、私はテオの手をハンカチ越しに握る。
その瞬間。
パッと名案が降って来た気がしたのだ。
彼は驚いた様子を見せたが、指を振り解くことなく私の言葉を待ってくれている。
「テオ!あの、お願いがあります!」
「お、おう」
「私、もう時間がなくて…、あの、他にお話出来る異性も普段は梟亭以外にいないので…、急に無茶なお願いをする…の、は重々承知なの…です……が……」
言いながら言葉が萎んでいく。流石に図々しいお願いだと分かっているから、言葉を続けるのが躊躇われる。しかし、言わねば。時間がない。
「…カリン?」
〜残り、九日〜
私は意を決して彼の手をグッと握り、まっすぐ見つめた。
「テオ、私に初夜を教えてください!」
『白い』を付けるのを忘れた気がするけど、男女のイロハを何も知らぬまま、大国の王子を惑わすなんて私みたいな小娘にはやはり難題すぎる。
男性の事は男性に訊くのが一番な近道な気がする。うん、何かそれ以外の名案なんて浮かばない気しかしない!そうしよう!
「何だかこれ以上ない名案な気がしてきました!テオ、お願いします!」
「こらこらこら待て待て待て、お前の言ってんのは迷案だよ。本当にどうした?思春期か?」
「違います!最善策です!私、初夜を完璧に遂行したいのです!」
「……は?」
王に結婚を打診された時の私と同じ素っ頓狂な顔を、目の前の色男がしていた。




