怒りは高カロリー【セオドア】
早く、早く、早く。
俺は体を可能な限り前傾にして馬を走らせる。どうしてすぐに気が付かなかったのか。
あの陰湿な男の事だ。最初から小馬鹿にするつもりで俺に声を掛けたのだろう。
ガウンから転がり落ちたのは、俺が明け方カリンに渡した指輪だった。指輪は既製品とは違い、俺の為に誂えられた品物で、カリンから渡す以外には手に入れようがない。
それをあの行商の男の商品に混じっていたという事は、少なくともあいつらは今朝以降カリンに会っているのだ。
見たところ、あの鼻の曲がった行商もポメラも怪我をしている様子はなかった。それはつまり、あの血が…
「カリン…!」
祈るような気持ちで手綱を握る。一刻も早く。
俺は全身の血を震わせながら道を駆けた。
--------
「……あれか!」
隊商一行は荷台に灯りをぶら下げなら、薄暗い森を進んでいた。
一行は特に急いでいる様子も、警戒をしている様子もない。
「すまない、そこの隊商、少し止まっていただけないか!」
声を張り、一団に叫ぶ。御者がそれに気付き、荷台を牽く馬を止める。
俺は御者に近寄り問う。
「引き止めてすまない。私はパラガーデン第三王子、セオドアである。この隊商はザッカーリ帝国、ポメラ伯のものか?」
王子という言葉に驚いたのか、御者は畏ってこちらに腰を折り返答する。
「い、いえ。我々はパラガーデンの祭事に行商で出向いた隊商一行です。ポメラ伯爵はどなたか存じませんが…」
おかしい、グリフィルムとザッカーリへ行くにはこの道を必ず通るはずだ。
衛兵は最後に退城したのはポメラだと言っていた。
「…そうか。他に行商は見ていないだろうか?」
「へぇ、我々以外の行商は沢山おりましたから……あ!そういえば、個人で荷物を運んでいた男が途中まで一緒でしたね。この森に入る少し手前で別れましたが」
「…!男は一人か?」
「いえ、二人おりました。なんだか大きな麻袋を持って、卸す前の点検作業があるとかで。その点検に時間がかかるので彼らと一緒にいた女性達をザッカーリまで乗せて欲しいと言われまして。ええ、ザッカーリは私どもの行く先とは方向が少し違うのですが、破格の運賃でしたからお受けした次第です」
御者が荷台の帆を捲ると、確かに街でポメラと一緒に居た女達が詰め込まれていた。
「そうか、ありがとう。もう夜も深い、道中気をつけて」
--------
俺は森に入る手前まで戻り、二つに分かれた道のもう一方の路に進む。普段なら使う事のない小径だ。
狭い道を良く見ると、新しい轍がある。俺は馬の爪音を出来るだけ鳴らさぬように、慎重に進んだ。
しばらく進むと、少し開けた場所に出る。そこに小さな荷馬車を見つけ、相手に見つからぬように俺は馬から降りて近付いた。
荷台のすぐ側まで近付いて身を潜めると、中から話し声が聞こえる。
「これを元に戻すにはどうすればいいのか?儂はこれに聞きたい事があってな」
聞こえるのはポメラの声だ。
「えぇ、えぇ、最初の薬は随分と効きが薄まっておりますけどねぇ、この針を刺しますと、数刻で元に戻ります。中々に元気なお嬢さんですからねぇ、気をつけてくださいねぇ」
「そうか、一応…目の前で戻るまではやってもらおうかな。儂は自分の目で見えない物は信じない性質でね」
「さすが旦那。やはりそのような用心深さが今の地位を築いたのでしょうねぇ。ええ、ええ、ではこの針を…」
何やら中で麻袋を解く音がする。しかし途中でポメラが「待て」と制した。
「……蝿がおるな」
聞こえるようにそう言って、荷台の帆を大きく開ける。すぐに俺を見つけると、ポメラは大きくニヤリと笑い、こちらへ話し掛けてきた。
「おお、これはこれは、王子様の登場ですか。こんな場所まで如何された?まだ何か買い足りないのですかな?」
わざとらしい物言いで、ポメラが荷台から見下ろす。俺がここにいる理由など分かっているくせに、相変わらず性格の悪いジジイだ。
「…ポメラ卿、色々と勘違いされるような行動は慎まれた方がいい。さすがに国家間の問題になりかねない」
「……はて?何の事か?」
「貴公の荷物はどこから持ち去られたものか?失礼は承知だが、中を見せて欲しい」
「これはこれは…一国の王子が何と不躾な。儂の荷物は全て個人的な物ですわ。それを急に見せろとは…礼儀のなっておらぬ王子様ですな」
「貴公が持ち去られたのは、私の大切なものだ。何度も言わせないで欲しい」
頭に血が上る。しかし相手の挑発に乗ってはいけない。
「旦那ぁ、大丈夫ですか?」
鼻の曲がった男がやり取りを聞いて出てくる。俺は男に向かって大声で問う。
「ああ、丁度いい。先ほどそちらから買い上げたガウンに、私の私物が入っていたのだ。これについて説明を頂きたい」
「…それは偶然ですねぇ。似たような商品は世間に沢山ありますからねぇ」
「王家でしか誂えない、王族でしか持ち得ない指輪だ。そのような言い訳は通らない」
その時
『ぐぅ』
麻袋から音が鳴る。俺は麻袋に向かって声を掛けた。
「カリン、迎えに来た。すぐ片付けるから待っていてくれ」
それを聞き、男は舌打ちをしてからニヤリと笑った。
「…それは家畜の餌だと申し上げましたでしょう?疑り深い王子さんですねぇ。その、指輪、拝見しても?」
許可も取らずに男が手を伸ばしてくる。俺は本能で体を屈めた。その瞬間、ヒュと刃物が空を切る音が聞こえた。
「….貴様、王族相手に何をしているのか分かっているのか!」
「へぇ、勿論でさぁ。俺は一流の商人ですから、商品にケチをつける相手には容赦しませんからねぇ」
相手はどこからか小刀を持ち構えている。その所作は素人のそれではない。
しかし、これでも俺は一国の防衛を任されているくらいには強い。それは接近戦であっても、だ。
「あまり調子に乗るなよ」
俺の言葉を聞いて、男がもう一度小刀を振る。確かに素人ではない動きだが、俺を傷付けるのは難しいだろう。そんなにこちらは弱くない。
武器を持つ手の反対側はガラ空きだ。俺はその横腹を思い切り蹴る。男は小刀を大きく振りかぶるが、俺は腰にある剣を鞘ごと外し、振りかぶった小刀を受ける。
キン、と高い音がして、男の小刀が飛ぶ。動きも筋力もこちらの方が優っている。
鞘ごと男の首を狙って打ち付ける。グヘと潰れた声がして男がうずくまる。剣で打てば死んでいるだろうが、聞かねばならない事もあるので仕方がない。
「いてぇ…いてぇ……」
男はうずくまりながら、打たれた部分をさする。
「お前は自分が少しばかり強いと思っているかもしれないが、所詮は素人だ。我が国の者ではない故に、死罪に出来ないのが悩ましいところだな」
俺はうずくまった男を尻目に、麻袋を開ける。
「…いた」
分厚いベールを被った姫は、小さくなってそこに居た。足には痛ましい傷があり、寝着が乱暴に開かられている。呼吸がある事に安堵し、ベールを外してやった。
「…う、、……あ………」
俺の顔を見てその瞳に驚きが宿る。どうやら何か薬を盛られているようだ。
「……テ……オ…?」
「そうだよ、カリン。迎えに来たぜ」
痺れているのか、指先にはあまり力が入っておらず、どこかを指さそうとしている。
「ん?とりあえず聞きたい事は山ほどあるが、一回帰んぞ。ほら…」
俺がそう言った瞬間、グッと眉間に皺を寄せてカリンが体を起こす。
「おい、無理すんな。あいつに解毒の薬もらえば…」
カリンは体を起こして俺の後ろに回る。そのままもつれて転んでしまいそうな勢いだ。
急に彼女が動けるとは思っていない俺は、一瞬動きが遅くなった。
「…テ…オ……うし…ろ……!」
彼女が急に動いたのは、後ろで剣を振り上げたポメラがいたからだった。




