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「さすがに忙しいわねぇ」
ケイナは腰に両の手を当て、凝った首を回して呟く。
大会までの準備期間は1ヶ月。
各国の代表たちは思い思いのタイミングで入国し、国の気候に身体を慣らしたり、ゆったり観光などをしながら楽しんでいる。
貴族身分の出場選手も多い今大会、社交の面での重要性も謳われ、王家をはじめとした各貴族家は連日夜会だのパーティーだの自領の観光ツアーだのといったおもてなしに奔走していた。
毎日筋肉痛で帰ってくるティアンナとカイに代わり、養女ではあるもののオーブリー侯爵家長女として、ケイナは奮闘しているのである。
「ええと、
明日は我が家の養蜂所に見学の方が来られて、
夜はエルスワース家の夜会ね」
「さようでございます」
ケイナは現在、①オーブリー家長女②エルスワース侯爵家次男の婚約者③王宮事務員の3つのわらじを履いている。
正直、侍女である業務調整員がいなかったら首が回っていなかっただろう。
「ティアンナさんは今日はもう戻った?」
「はい、先ほど」
「ちょっとお部屋覗いてくるわ」
ということでやってきたティアンナの部屋。
扉を叩く前から、室内からうめき声が漏れ聞こえてくる。
「ああ、こりゃ大変」
ケイナは急いでドアをノックし、開けて貰った室内に身を滑り込ませた。ティアンナは予想通りカウチに脚を投げ出し、天を仰いで呻いている。
「ティアンナさん、大丈夫?
筋肉痛?」
「あぁお義姉様、家のことをお任せして申し訳ないわ」
「いいのよ、大会に集中して!
それより明日は衣装の打ち合わせでしょう?
どんなデザインにするかもう決まったの?」
「候補がそれよ」
顎でしゃくったローテーブルには、男女の衣装が3パターン描かれている。
「確か、アミー嬢からは出場ジャンルの報せがあったのよね?」
ティアンナは力なく頷く。
「これが『闘牛』用ね。
軍服のような男性服に、
女性はやっぱり赤が定番なのね。
すごい布量、これ重いんじゃない?」
「なんのこれしき」
「で、このパンツスタイルは?」
「『跳躍』用ですわ」
ジャイブは脚を高く上げる振りも多く、貴族令嬢としては脚の形を見せるのははしたない、ということで、女性でも緩やかなパンツスタイルが一般的らしい。パンツにフリルやフリンジをつけボリュームを出し、脚の形を隠せるシルエットにするのだとか。
「で、こっちは?
明らかに『流麗』用に見えるけど」
最後の図案は燕尾服にこの国の伝統的なドレス。『情熱』カテゴリの動きには耐えられないように見えた。
「『輪の踊り』も出るのよ」
「ワルツも?!」
「なんだか評判が良くてね。
どうせなら出ちゃおうかと」
「そりゃ大変だ」
「でもこの衣装、ちょっと面白みがないのよね。
アレハンドロも同意見なんだけど」
「そうなんだ」
ケイナはあらかじめ用意してきたスポーツドリンクもどきをティアンナに渡し、自らもソファに深く座った。
「ティアンナさん、アレハンドロはどう?」
「彼?いいですわよ。
求めるものが同じだからか、
妙に馬が合うわ」
「そう。
ティアンナさんの気分はどう?」
そう問われてキョトン顔のティアンナに、ケイナは追って問いかける。
「ほら、ウィリアム様のことが知らされてから、
ちょっと無理しているように見えたから」
「・・・お義姉さまには敵いませんわね」
スポーツドリンクに軽く口を付けて、ティアンナは目を閉じた。
「・・・ああ、またか、って、
少し落ち込んだんですわ」
「そうよね」
「ウィリアム様なら、って期待してたんですわ。
でもまた駄目だったみたい。
あれから一度もお手紙はくださらないし」
「・・・うん」
「でも、よく考えたら、
別に初めてじゃなかったんですわ、
こんなこと。
あなたの婚約者様の時しかり、
ギルバート様の時しかり」
「ごめん」
ティアンナは恨みがましくケイナを見る。
ケイナは今や義姉であるが、最初の出会いは恋敵としてだったのだ。
「でも、振られっぱなしじゃ悔しいから。
・・・ウィリアム様に見せてやるのですわ、
ティアンナはあなたとの出会いを糧に、
もっと強く美しく咲くのですわ、ってね」
「・・・ティアンナさんらしいね」
あーあ、と大きな伸びをし、ティアンナはカウチに身を預ける。
「アレハンドロという同士がいるのは、
今のわたくしには心強いですわ。
彼が貴族だったらいいのに。
あれほど見栄えが良くて周りをよく見ている男、
なかなかいなくてよ」
そうぼやくティアンナに笑いかけ、
「結構お似合いのパートナーだと思うけどね。
じゃ、ゆっくり休んで」
とケイナは退室した。
夜更けの暗い廊下を自室まで歩く。
侍女のチョウさん(妹)が不思議そうにケイナに問うた。
「・・・どうかされましたか」
「ううん、根深いなあ、と思って」
ケイナは大きな窓に近寄り、白く浮かぶ月を眺める。
・・・以前、ティアンナはクレム・コットン子爵令息の陰謀に巻き込まれ、妙な薬効成分のあるお茶を飲まされていた。
そのときの様子から、ケイナがずっと考えていたことがある。
「ティアンナさんは、
愛され慣れていないのよね」
「愛され慣れ・・・」
「選ばれ慣れていない、というか。
選ばれるはずがないと、
傷つかないようにあえて思い込んでいるというか」
「まさか、あんなに自信満々のティアンナお嬢様が」
「あれは彼女の『武装』なのよ。
彼女の人生の中、
選ばれなかった傷を、彼女なりに昇華した結果。
努力した結果報われなくて、手元に残ったその残渣を、
彼女は鎧として纏っただけなの。
・・・強い女が、弱くないわけじゃない」
ハッと口をつぐんだチョウさん(妹)に、「咎めたわけじゃないのよ」とフォローを入れると、
「あのお茶…
コンプレックスを増強させるという、
コットン家のお茶を飲んでいたティアンナさんの日記に、
繰り返し書かれていた言葉があるの。
『どうしたら、ティアンナを愛してくださいますか』
って。
・・・ウィリアム様、
まだティアンナさんを愛していると思いたいけど」
「・・・父は、何も言ってきません」
チョウさん姉妹の父は、ウィリアムの侍従を努めている。もともとチョウさん姉妹はティアンナの様子を窺うため、諜報員でもあるチョウさん(父)の指令でオーブリー家にやってきたはずだ。
白い月はゆっくりと雲にその身を隠す。一層暗くなった廊下で、ケイナはため息をついた。
「眠りましょう。明日も忙しいわ」
「はい、ケイナお嬢様」
白い月が再び世界を照らす頃、オーブリー家は皆寝静まっていた。
ーーーーーー
「貴殿は・・・」
夜半、ウィリアムはメアリーローズ一行に宛がわれた宿の廊下をひとり歩いていた。
連日の拘束に息が詰まったというのもあるが、何となく眠れなかったのだ。
厚い絨毯は足音を殺し、ウィリアムは少し解放された気分で大股で歩く。すると夜半であるにも関わらず、向こうからこちらへ歩いてくる人影が見えた。
『宿のスタッフか』
そう考えたウィリアムは歩調を落とし、驚かせないよう軽く咳払いをする。向こうも自分に気がついたようで、暗がりから顔を上げるのが見えた。
ちょうど相手が窓に差し掛かった時、白い月の明かりが彼の横顔を照らす。
「夜更けにごきげんよう、マクライネン公爵令息」
そこにいたのは、金髪の長身の男。
「貴殿はたしか、皇女の劇団の・・・」
「光栄です、アレハンドロと申します。
このような夜更けにどうされました」
「いや、少し寝付けなくてな。
貴殿こそどうした」
「私はダンスの練習帰りです。
毎日踊り倒しですよ。大会まで間がありませんからね」
「貴殿も出場するのか!
それは大変な好敵手となりそうだ」
ウィリアムは隣国の王宮で、彼が一人舞う演目を見たことがあった。跳躍の高さが素晴らしく、観客の目を引いていた。
「まぁ、ジャンルが被った際には優勝は頂きますよ」
一見高慢に聞こえる言動も、彼の人好きする笑顔の前に悪意は感じられない。
「皇女の調子はいかがですか」
「特段不調はないように見えるが」
「・・・そうですか」
アレハンドロの少し伏せた目にまつげの陰がかかる。
「・・・皇女は本番前、
少し練習に熱を入れすぎるところがあります。
あと」
言葉を出すのを躊躇うように、眉間に皺を寄せるアレハンドロ。
ややあって、
「・・・右足首。
古傷から故障しやすい。どうか、お気遣いを」
と絞り出すように呟いた。
「ああ、分かった。ありがとう」
「ふふ、あなたは誠実で良い方だ。
私のパートナーが目移りしてしまうかも知れないな」
「貴殿のパートナーは?劇団の者か?」
「いえ。実はこの国で、運命のパートナーに出会ったのです。
もし優勝できたら、身分違いでも交際を申し込もうと」
「ほう。身分違いということは、相手は貴族か」
「ええ。ご存じかも知れません。
名をティアンナ嬢と言います」
「!!!」
驚きのあまり、思わずウィリアムはアレハンドロの腕を掴んでいた。じっと見返してくるアレハンドロの目は月の光を反射しぎらぎらと輝いている。
「・・・皇帝の指示か」
「皇帝?何を仰っているか分かりかねますが」
「・・・知っていて、彼女を訪ねたのか」
「何のことやら」
緩く腕を振って拘束を逃れたアレハンドロは、見せつけるようにホールドの姿勢を取る。
「彼女は素晴らしい。
しなやかな足さばき、柔軟な体幹。
そしてこの腕に納まる華奢な身体。
・・・僕は彼女を優勝に導きますよ」
「貴様・・・!」
「おお、怖い。
言いたいこともおありかとは存じますが、
こうなった以上、お互いダンスでぶつかりましょう。
あとはステージの上で、ってね」
それではよい夢を、と頭を下げ、アレハンドロは去って行く。
ウィリアムは沸いてくる怒りをどこにぶつければいいか分からぬまま、呆然と立ち尽くす。
しばしのあと、
「こうしてはいられない・・・!」
と踵を返し、急いで自室に帰って行った。
・・・・・・それを柱の陰から見ていた者がいた。
口の端から、「ティアンナ・・・」と呟き、その陰もまた、暗闇に消えた。




