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「冗談じゃありませんわ」
怒れるティアンナは立ち上がった。
その手には早朝に届いた一枚の便せんがくっしゃくしゃに握りつぶされている。
ここは家族の朝食の場。
「急ぎとのことでしたので」との言付けでチョウさん(姉)が持ち込んだ手紙を読むなり、ティアンナの表情はみるみるこわばり、目はつり上がり頬は紅潮し、しまいには立ち上がった。
家族はその一部始終を固唾を呑んで見守っていたのである。
「ティアンナさん、いったい何があったの・・・」
「馬鹿も休み休み言えってんですわ」
そう言ってケイナに投げて寄越したのは、ずいぶん久しぶりなウィリアム・マクライネンからの手紙だった。
「どれどれ、
『競技ダンス大会への出場辞退を求める』
・・・それだけ?!なにこれ?!理由もなし?!」
「ね、妄言でしょ」
「ほ、本当かい、それ。見せて」
ケイナから奪うようにふんだくった、ウィリアムとは長年の付き合いであるカイは、その手紙が本物であると分かって天を仰いだ。
「あんの愚物が・・・!!!」
との呪詛付きで。
怒れる兄妹たちをおろおろして見守っていた両親は、さすがの小物感満載で呟いた。
「マクライネン公爵令息の仰ることなら、
仕方ない、わよね・・・?」
「ああ、残念だが、辞退するのが良かろうな。
な、分かってくれるな、ティアンナ?」
両親からすれば、国王の血族である公爵家嫡男の言いつけに逆らうことなど万に一つもできないといったところであるが、世代変われば世論は変わる。
ティアンナはすかさず声を上げた。
「辞退致しません。絶対に」
「辞退、しちゃだめよ!!ウィリアムの横暴に負けるな!」
ケイナももはや敬称を投げ捨てて抗議する。
「辞退する必要ないよ。
あのうすらトンカチは僕が始末する」
頼みの綱の嫡男カイですら臨戦態勢である。
子の勢いが圧倒的に強いオーブリー家、両親はたじたじとその口を閉じた。
「穏便に、ね・・・」
という悲壮感溢れる懇願を残して。
「ウィリアム・マクライネン、許すまじ!!
目指せ優勝!!倒せ皇女!!」
ーーーーーーーーーーー
そしてついに、競技ダンス大会ははじまりの日を迎える。
本日は開会式。
各国の代表選手たちが一同に介するダンスフロア。
国ごとの呼び込みで選手たちが続々入場する。
隣国の名が呼ばれ、ウィリアムはメアリーローズ皇女をエスコートして堂々と入場した。皇女は相変わらず豊かな黒髪を流し、露出の多いドレスを纏っているものの、その健康的な筋肉美から、いやらしさというより潔い女性という印象を周囲に与えた。
「いよいよね」
観客に大きく礼を取り、手を振る皇女の表情が硬い。
「緊張していますか」
「さすがにね。武者震いって言いたいけど」
肩をすくめておどけるメアリーローズは、珍しく年相応の少女のような不安げな表情を見せた。
「大丈夫です。
僕も全力で勝ちに行きますから」
「頼もしいわね」
そして、二人が一斉に視線を寄越した先。
開催国の名が呼ばれ、代表選手が入場する。
勇猛果敢な武者令嬢キーラ・ゴーシュ、それを後ろから見守るギルバート・イルアニアペアの後ろには、フリフリのドレスをわさわさ揺らして愛想を振りまくアミー・マクライネンと飄々としたカイ・オーブリーペア。
続々と入場する各ジャンルの選手たちの、最後尾。
「・・・来たわね」
メアリーローズが苦々しく呟いた先には、競技ダンスという場には少々格式の高いフォーマルな品の良い燕尾服を着こなし、金の髪を撫でつけた褐色の肌の男。
そして、
「・・・・・・」
半泣きのウィリアムの視線の先には、これまた格式高いノーブルなドレスを身に纏った美しき淑女ティアンナ・オーブリーが、手に手を取って仲睦まじく現れた。
しずしずと歩むふたりの視界には、観客は入っていないようだ。ただお互いを気遣い、慈しみながら決められた道のりを歩いて行く。
「段差がある、足元に気をつけて」
「まあ、ありがとう」
その小さなやりとりの甘さに、周囲の人からはため息が漏れる。
「まぁ、なんて素敵なふたり」
そう呟くご婦人もいた。
行程の途中、嫋やかに歩くティアンナと、穴が開くほど彼女を見つめていたウィリアムの目が合う。
たった2秒。
それだけで彼女の視線は逸れ、それ以降一切こちらを振り向きもしない。
代わりに彼女のパートナーであるアレハンドロが意味ありげにこちらをちらりと見、ニッと口角を上げたのが分かった。
ウィリアムは全身の血が引き、あやゆる感覚が自分の手から離れるのが分かった。
『拒絶された』
自分の手紙を呼んでなおこの場にいるという時点で半分拒絶されたようなものではあったが、改めて寄越されたその冷たい表情に、ウィリアムは己の心の臓を砕かれたような心持ちになった。
「終わった・・・終わったんだ、俺は・・・」
そう半泣きになるウィリアムの尻を、メアリーローズは膝で蹴り上げる。
「何べそかいてんのよ、
死ぬ気で勝たなきゃいけないんでしょ」
その衝撃でウィリアムは我に返る。
そうだ。たとえこの想いが届かずとも、ティアンナを遠い国のどこぞの馬の骨に明け渡す訳にはいかない。
それにあの不埒な男!優勝したあかつきには彼女を求めると言っていた!そうはさせてたまるか!!
・・・己の愚策、不手際を棚に上げて今度は怒りだしたウィリアムに、メアリーローズはぼそりと、
「・・・男って皆こんな愚かなのかしら。
嫌になっちゃうわね」
とため息をついた。
ーーーーーー
「今日のあなたはますます素晴らしい」
ビタリと決めたピクチャーポーズのあと、思わず座り込んだティアンナにアレハンドロが手を差し伸べる。
「ありがとう、いよいよ明日だと思うと力が入っちゃって」
「それはいけませんね」
開会式の後、『流麗』カテゴリ本番を明日に控えた夕べ。
アレハンドロはティアンナをカウチに導くと、自分はその場に跪き、ティアンナの脚を取った。
「ちょ、なにを」
「少しだけ」
貞淑な淑女であるティアンナは、このように自分の脚を異性に触れされたことなどない。不敬としてこの場で扇で打ってもいいくらいであったが、アレハンドロの真剣な目がそれを躊躇わせた。
「力を抜いて。
履き物を取ります。
足首を回して・・・そうです。ここが固くなりやすい」
アレハンドロは丁寧に、高いヒールと各ジャンルの多彩なステップに耐えている細い足首を回し、後ろの筋をほぐし、ふくらはぎを伸ばした。
アレハンドロはティアンナの脚を大切な宝物のように扱いながら、優しい声色で語りかける。
「大丈夫です、心配しないで。
あなたは素晴らしいダンサーだ」
「本当?」
「ええ、明日の『輪の踊り』はただ楽しみましょう。
奥ゆかしい淑女の顔を見せつけてやるんです。
きっと『情熱』を踊るあなたとのギャップに皆驚きますよ。
ここしばらく共に踊って分かりましたが、
あなたは根っからの『情熱』カテゴリ向きの女性ですね。
ながでも真骨頂は『闘牛』だ。
本物の「戦う女」の気概を持つダンサーはそういない」
度肝を抜いてやりましょう、と楽しそうにアレハンドロは笑う。
「優勝できなかったらどうしましょ」
脚をアレハンドロに委ねたまま、ティアンナはホールのシャンデリアを見上げる。
「どうもしません。
アドリアナへの当てつけのつもりで誘いましたが、
ここ数週間の練習が楽しくて、
当初の目的を忘れていました。
僕はもう、あなたと良いダンスができれば、
それでいい」
「・・・そうね」
「ねえ、もし、この大会が終わった後の話ですが。
僕がこの国に移住するとしたら、
お傍に置いてくれますか」
「え?移住するの?」
「報われない愛の相手が皇族として在る国なんて、
ちょっとつらいじゃないですか。
この国はいいところだし、心機一転移住もいいかなと」
「そんなの、大歓迎よ!」
ティアンナも嬉しそうに声を上げる。
「ついでにこの大会で名を上げたら、
夜会のエスコート役を務めるくらいは許されるかな」
「それはどうかしらねぇ・・・
成績次第ね」
「じゃあ張り切って優勝しないと」
顔を見合わせて、二人は笑う。
「あなたに出会えて良かった、ティアンナ嬢」
「私もよ、アレハンドロ」
さあ、最後に軽く流して終わりましょう、と立ち上がったアレハンドロの手をとり、ティアンナは再度ホールに駆けだした。




