三坑
タチバナはブラックメールの送り主から自分の問いかけに合わせた返信が来るたびにここからも教えられることもあると感じとれるようになり、拒絶するだけではない受け止めとソフトな受け流しをするようになっていた。
ブラックメールの送り主がユカリだとは知らないが、フィッシング詐欺などではなく、京都に来るまでに自分が関わってきた多くの女性の誰からのものであってもおかしくないと、文面から感じていたからだ。
人間同士のやり取りでプリミティブな感覚を大切にしてきたタチバナは、頻繁に届くブラックメールの送り主と仲良くなったり恋人になったりすることは絶対にあり得ないが、自分への執拗なメールからは悪意よりも孤独や不安が見え隠れしている気がして、本当はそう自分とかけはなれた人間だとも思えなかった。
タチバナはブラックメールの送り主から問われたことのいくつかはよく考えても答えがでないし、相手の心の深い闇を覗くようで心がヒリヒリすることもあり、学校関係者以外に関わる人間がいない今はメールの相手の心を落ち着け、可能であれば楽しみを探すことをゴールにしようと決めていた。
ユカリはずっとひとりで生きてきて、旅行にも行かずエステや美容院も使わないし外食もしなかったのでタチバナと何度か外食してホテルに行ったことが人生の一大事だったところから今も全く進展していなかった。
この世に生きている意味を掘り下げて論じるメールのやり取りが続いていたタチバナから、お金と時間を全てつぎ込んで何かを集めたりすることに興味を持つ大人の心理は、と質問されたユカリは自分が非日常に浸れるような稀少な衣装をネットで買っていることに言及しそうになってしまった。
タチバナはユカリの部屋に来たことはなかったので、高価で美しいコスプレ様の和服や洋服が部屋にたくさん飾ってあることは知らないはずだ。
なぜ給与のほとんどを衣装購入につぎ込むのか?という話や、スマホで読んだアニメを本で何10冊もまた通販大人買いしてしまうのはどうしてか?という話なども心理的に掘り下げて論じ合えるタチバナとのメールで、ユカリは自分にも自由な楽しみがあることを思い出した。
大人になればもう決められた多すぎるカリキュラムを無理にこなさなくても良くて、買い物も食事も起きる時間も寝るタイミングも自由なのだ。
なのに自分が学生の時より強い不安に包まれるのは、退職するくらい年を取るまでずっと長く社会搾取され続け、体力も気力も小さくなった初老になると次は不要とされる日がやってきて老人認定式を設けられ、現役社会から抹殺されて死ぬ日を待つだけだと、ユカリ自身は若い世代とはいえ、ちゃんと知っているからではないのか。
日本の平均寿命は100歳になるというが、80代や90代の人間が年金だけでは足りない生活費や医療費をどうやって手にするのか?
30代前半のユカリはタチバナと関係したことでおひとりさまで生きるということが芯から恐ろしくなってしまっていたのだ。
タチバナは、エミが自分から大学受験で少しでも良い結果を出すために努力しているのを信じて心から応援し、自分へのブラックメールを生き甲斐にしているこの相手にも、もちろん生涯会わないままにするとしても、何かしら幸せの糸口を見つけておきたいと思っていた。
’明日は日曜だし、じっくりウイスキー富士でも飲みながらブラックメールの相手をしてあげようじゃないか…‘
タチバナは、学校でも生徒達に人気があるだけでなく頼りになる若手の先生のひとりに育っていた。




