勇者仮登録中!
「…っ!!」
ガバリ、とベッドから跳ね起きる。全身、汗でベトベトだった。
見れば、窓の外はまだ暗い。音一つ聞こえない深夜。
まるで全力疾走した後のように、息が乱れている。
なんだか、酷く嫌な夢を見たような気がする。けれど、それがどんな夢だったかは思い出せなかった。
ともかく、喉が渇いている。マリアベルは、ベッドサイドに置いてあった水差しを手に取り、一気に水を飲み干した。
ここは、教会のあったレテの街から南に行った小さな宿場町だ。
そこにある宿に、私はシスティシャさんとともに泊まっていた。いや、あの、泊まってるといっても別の部屋ですがね!
相部屋よりも少々値は張るが、貴女は女性なのですからちゃんと鍵の付いた部屋を、とシスティシャさんが宿を探してくれた。
あの後、勇者の仮登録をシスティシャさんにして貰った私は、システィシャさんとともに教会からほど近い迷宮へと向かうことになったのだ。
どうやら、仮登録というのは、見込みのある勇者候補を神官さんが手助けをして神剣を入手するための制度、といいますか。
手助け、とはいっても最低限度のものらしいけれど、それにしてもシスティシャさん!
私のこと見込みがあると思ってくれたという訳で。正直、すごく嬉しかった。
まあ、システィシャさんにそう言ったら、試練に受かってもいないのに、とかなんとか怒られちゃったけれど、私は見逃さなかった。
システィシャさんの、耳の先がほんのり赤く染まっていたことに!
(ふふ、可愛いなんていったらまた怒られちゃうよね。それにしても、迷宮ってどんなところなんだろう。神剣、ちゃんと手に入れられるかな)
静かな夜は、ほんの少し不安な気持ちにさせる。
何より、夢見が悪くて起きてしまったのだ。明るい気持ちになれる筈もない。
それに、こんなに落ち着いた場所で寝るのは何日ぶりなのだろう。
-必死だった。自分でも呆れるくらいに。
このままでは何かが駄目になる。そう思った。
(何が駄目になる、って思ったんだろ)
順当に考えれば、自分の心だろう。けれど、それ以上に、何かを守ろうと思った。
その“何か”がまるでわからないけど。
今頃、家族は心配しているだろう。特に過保護すぎる兄と弟が、何をしでかしているか考えるだけで頭が痛くなる。同時に、酷く心配をかけているという事実に胸が痛んだ。
ルイ様は…そう考えたところで、クロヴィスに渡されたペンダントに手が触れた。
おそらく、これはすごく貴重で大切なものに違いない。そう思ったからこそ、無くさないように服の下に大切にしまっている。
考えれば、考えるほどに色々わからなくなる。
そうして、マリアベルはいつの間にか眠りに落ち、再び夢の続きを見るのだった。
「いい天気ですね!システィシャさん」
「…アリスティシャ帝国で良い天気でない日があるというのならば教えていただきたいものですね」
カラリと晴れた青空に、マリアベルは大きく伸びをする。
青空の日は気持ちいい。貴族の令嬢はこぞって焼けないようにと、晴れの日を嫌うが、マリアベルにしてみれば、青空の下で思いっきり身体を動かすのは何よりも好きなことだった。
アリスティシャ帝国は、国土の大半が砂漠に覆われ、国土全体が乾燥した空気をはらんでいる。
各街は、オアシスごとに作られており、昼は照りつける灼熱の太陽に焼かれ、夜は一転して急激に温度が下がる。
移動するならば、格段に夜の方が楽だが、夜はそうした旅人を狙い多くの盗賊が出る。
迷宮までは教会から3日程の距離であり、とりたてて急ぐ旅でもないため、マリアベルとシスティシャは比較的ゆっくりと移動をしていた。
どこもかしこも見たことのない新しい景色。
人々が身に纏うのは、極彩色の不思議な形をした衣装。街並みも、マリアベルが知るフェルトリーリエの街並みには程遠い。至る所で目にする幾何学模様の飾りは、とっても綺麗だった。
街を歩けば、異国の香りがする。何かの香辛料の匂いだろうが、それは甘かったり、辛かったり、予想もつかない香りだ。
フェルトリーリエでも、公爵令嬢としては驚くほどの自由を与えられていたと思う。
けれど、それはいつだって誰かの庇護の元だったし、本当の意味で自由だったのか、と問われれば疑問が残る。
「それで、この先に良い鍛冶職人がいるそうですから、そこで貴女の折れてしまったという剣を直して貰ってはいかがですか」
「え?あ、はい!そうですね!そうします」
「…話、ちゃんと聞いてましたか?」
じと、っとこちらを呆れたように半目で見るシスティシャさんに、正直にすみません、と謝る。
「でしょうね、全く貴女は…。子供のように、さっきから落ち着きのない様子で、迷子にでもなったらどうするんですか」
「うっ、気をつけます」
確かに、通りを行きかう人の数は多い。国境から離れるほどに、比例して人の数も活気も格段に上がっていた。
もしも迷子になってしまったら…探すのが大変とかそれ以前に、システィシャさんの静かなる怒りが爆発するのは間違いない。
システィシャさんは、銀縁眼鏡をくいっと持ち上げると、日除け用に被っている大きな布を手繰り寄せた。真っ白いその布には、ルチル教会の神官である証の模様が青い糸で複雑な蔦のように刺繍されている。
布からかすかに除くシスティシャさんの肌は、男性にしてはとても白かった。
ええ、私よりも。なんか、少し複雑な気分です。
「…さっきからジロジロとなんですか。何か聞きたいことでも?」
「えっと、美白の秘訣は」
「…私たちが向かっているのは、アズベラ迷宮。始まりの迷宮とも呼ばれている場所です。これまで数多くの勇者候補たちが挑みましたが、今まで一度たりともその神剣は誰にも所有されたことがありません」
わかってましたけれどね、無視されることぐらい!
システィシャさんの髪と同じ薄氷色の瞳が、眼鏡の奥から冷たくこちらを見ている。
こわっ!それに地味に傷つきますよ。
しかし、システィシャさんが真面目な話をしているので、私も気合を入れなおして、真剣にシスティシャさんに向き合う。
「確か、神剣というのは元は神様の持ち物だったんですよね?そのアズベラ迷宮にある神剣の持ち主は誰だったんですか?」
そう問えば、どこか遠い目をして、システィシャさんが答える。
「…神々は、その昔数多くこの世界に舞い降りていました。けれど、ルチルが神に祈った頃には、多くの神々が天高くお帰りになり、この世界に残った最後の神がルチルに力を与えたといいます。始まりの迷宮は、ルチルの希望の始まり、心なのです」
心、とはどういうことなのだろう。
ただ、どうしてか無性に切ない気持ちになった。
黙り込んだ私に、システィシャさんはどこか困ったように視線を彷徨わせた後、小さく咳払いをした。
「多くの勇者候補たちは、そのルチルの心に触れることは叶いませんでした。けれど私は、ベル、貴女ならばそれができるのではないかと思ったのです」
ほんの一瞬だったけれど、優しく微笑んでくれたシスティシャさんにつられて、思わず私も笑顔になった。
そうだ、前に進むしかない。進んで、壁にぶち当たったら、悩んで、壁をぶち壊してみせる。
それに、システィシャさんのおかげか、私はその剣を自惚れではなく、本当に手にできるような気がしていた。
「よーし!そうと決まればシスティシャさん!一刻も早く、その始まりの迷宮とやらにたどり着きましょうね!あ、その前に剣を直さないと!鍛冶屋さんはこっちですか?」
「違いますよ、ベル。逆です」
「なるほど…って、システィシャさん今、私のこと」
「貴女が呼べ、と言ったのでしょう。…ほら、早く行きますよ」
途端に早歩きで、少し前を行くシスティシャさんの耳は、やっぱり少し赤かった。
ちょっとずつだけど、旅の仲間としての信頼が出来てきている?!
人混みでシスティシャさんを見失わないようにしながら、私は嬉しい気持ちで一杯だった。
だからこそ、忘れていたのかもしれない。
迫りくる奴の影を。




