7.また遭遇
店内に出ると、戸坂さんがすでにレジ前に立っていた。今のところお客さんは一人もいない。
雑誌棚のガラス越しに、外の駐車場で秋田ちゃんがちょうど車に乗り込むところが見えた。
私の働く時間帯は、基本的にいつも暇だ。
一応某チェーン店なので二十四時間営業をしているが、この辺に住む若者が少ないからか夜中に屯されることもない。
駅からコンビニまでは徒歩三分の距離だが、そもそも終電が九時半くらいなので、私の出勤時間にはお客さんがほぼ来ない。
たまに終電を逃してタクシーで家に帰る途中にコンビニに寄る人とか、夏だと多いのは自転車でアイスを買いに来る人がいるくらいだ。
「……暇だ」
「いつもどおりだネ〜」
「……そうですね」
ついこぼした独り言に、声が返ってきたことにびっくりする。
…正直、この世界の戸坂さんの方が話しやすいかも。
しばらくいつも通りの静かで平和な時間が流れる。
お客さんも来ないしモップでもかけようかと、ロッカー室へ向かおうとした私の背中に戸坂さんが声をかけた。
「そいえば流田ちゃん。昨日この辺で鎌鼬がでたみたいなんだケド、知ってた〜?」
「あ……はい。ニュースでもやってましたよね? 魔物討伐隊が討伐したって」
足を止めて振り返ると、どこから引っ張り出してきたのか戸坂さんはパイプ椅子に座っていた。レジ台に右肘をつき、ドアのガラス越しに外を眺めている。
「そうそう、怖いよネ〜。二ヶ月前にもこの辺でヒトが『雪女』に襲われた事件あったジャン。この辺も魔物の被害が増えてくのかなァ〜」
戸坂さんの後頭部を見つめながら、ふとレジのおばちゃんの話を思い出した。
「……あの。坂田さんの事件のこと、知ってますか?」
「あ〜、知ってるも何も、二ヶ月前にその雪女に襲われたのが、坂田さんジャンか」
「……そう、だったんですね」
坂田さんという人が襲われたのは、雪女だったらしい。
――雪女。
バイトに来る前、ちょうどネットサーフィンをしている時に、雪女についてどんな魔物か読んでいた。
……たしか、冬の嵐の日に現れる魔物で、吹雪を呼び寄せるんだっけ。
眷属の鎌鼬を三頭〜五頭従えていて、雪女と目が合うと容赦なく氷漬けにされるらしい。
雪女は目が合わなければ襲ってこないから、そこさえ気をつければそんなに危険じゃない、と書いてあった。
「あンときは大変だったよネ〜。襲われた場所がココから近いから、店を休業しようとした店長と働きたいオバチャンたちが揉めて、さすがのオレもめっちゃ気まずかったモン〜」
「戸坂さんは昼もシフト入ってましたもんね」
「たまに人が足りない時だけだけどネ〜。結局多数決で閉まることはなかったケド。……流田ちゃんは店長に、どっちがいいか聞かれなかった〜?」
「えっ? あー、そういえば、聞かれた……ような気がします……」
……聞かれてません。むしろそんな話、初めて聞きましたし。
私の曖昧な返事に、戸坂さんの顔が急にこちらを向いた。ばっちりと目が合う。
とっさに苦笑いで誤魔化しながら、「モップ取ってきますね」とその場を離れた。
床をモップをがけしている間、レジ前でパイプ椅子に座っている戸坂さんはずっと、ぼーっと外を眺めていた。
モップがけの後は、店内に出ている残り少なくなった商品を確認していく。
あとで持ってきて補充しないと。…というか戸坂さん、ほんとに何もしないな。
「流田ちゃん、ちょっとこっち〜」
さすがにちょっとは働こうよ……と、もやもやしながら商品の数をチェックしていると、戸坂さんに呼び出される。
「なんですか? 忙しいんですけど」
何もしない戸坂さんに、つい返事がそっけなくなる。
だが、戸坂さんは特に気にする様子もなく、私を手招きした。
レジ台を挟んで戸坂さんの前に立つと、「タバコの補充ってどこにあったっけ〜?」と首を傾げられる。
……やっと働く気になったのかな。
「いつもの場所にありませんでした?」
戸坂さんは私より長くここで働いているので、分からないはずがないと思うんだけど。
もしかしたら在庫の保管場所が変わったのかもしれない。
そう思ってレジ台をぐるりとまわり、戸坂さんの目の前の引出しを開けた。
いつもここに、色々な種類の煙草がカートンで積まれていたはず。
「……あれ? ここにありますよ」
「あ〜そこだったかぁ。ヒサビサすぎて、忘れてたヨ〜」
ピーンポーンパーンポーン〜
戸坂さんがカートンの煙草を取り出したタイミングで、学校のチャイムのような、個性的な入店音が店内に鳴り響いた。
「いらっしゃいま――」
相変わらず変な入店音だなあと入口に顔を向けて、声が途切れた。
目を見開いたまま、全身がその場で凍りついたように動かなくなる。
――ビシャ……ビシャ……ビシャ……
水溜まりを踏みしめて、何かが歩いているような音がする。
視線の先には何も見えないのに、音がするたび、モップをかけたばかりの綺麗な床に水の足跡が残っていた。
水の足跡は、平均的な成人男性の足よりも二回りくらい大きく、足の指は三本。
隣で戸坂さんが「ビシャだ」と呟く声が聞こえた。
びしゃ……? もしかして、魔物!? 警報なんて出てなかったのに! ど、どうしよう、どうしたらいい?
内心パニックになっていると、頭の上にぽんっと手が置かれる。
左上を仰ぎ見ると、戸坂さんがじっと私を見ていた。口元に左手の人差し指を添えて、微かに首を横に振る。
その間も、ビシャ、ビシャ……と、見えない魔物が店内を歩きまわる足音。
姿の見えない魔物は、出入り口からすぐ左に向かって歩き、突き当たりを右に曲がり……店内を一周ぐるっと回っている。
レジ台から見て、一番右側の通路の手前まで来ると、そのままレジ前を歩く。
姿が見えなくても、音と足跡ですぐ目の前を歩いているのが分かった。
身体中に緊張が走り、鼓動が速まる。
どくどくどくと鳴る心臓の音。私は呼吸を数えることで、必死で冷静さを保った。
しばらくして、音と足跡はそのままドアの方へ向かっていき――ピーンポーンパーンポーン〜
び、びっくりした……。何もなくて、よかった。
緊張感からは解放されたが、まだ心臓が落ち着かない。無意識に、胸元の上で右手をぎゅっと握っていた。
「流田ちゃん、念のため魔物討伐隊に通報ヨロシク〜」
「は、はい!」
戸坂さんの言葉にはっとする。
煙草の棚の近くに置かれたラジオのチャンネルをいじり始めた戸坂さんを横目に、急いでロッカーへ向かった。
ロッカーから携帯を取り出して、はたと指が止まる。
魔物討伐隊の電話番号って何番だっけ……? そういえば今日貰った名刺! ……は家に置いてきたんだった……。
慌てて店内に戻り「魔物討伐隊って何番でしたっけ?」と聞くと、戸坂さんに信じられないものを見るような顔をされた。
……これもこの世界の常識なのか。
どうやら私はこの世界に慣れるまで、まだまだ時間がかかりそうだ。




