6.出勤
正午。無事退院した私は小鳥遊さんが手配してくれていたタクシーに乗る。
アパートに到着したのは、午後一時頃だった。
ちなみに私の自転車は、すでにアパートの駐輪場に置いてくれていた。
玄関の鍵を開けていると、テレビが付けっぱなしだったことで、無人のはずの室内から聞こえる音に泥棒かと思わず叫びかけた。
……私がテレビを消し忘れたことを、一瞬忘れていたのだ。
台所には料理をしようとIHに置かれたフライパンやお皿がそのままで、その光景になんだかほっとした。
たった半日ぶりなのに、ずいぶん久しぶりに帰ってきた気がする。きっと半日が濃すぎたのだ。
少しお腹が空いていたので、カップ麺を食べることにした。
ついでに携帯で"魔物について"と検索してみる。
【"魔物"とは、人を襲う危険な存在である。古くから存在し、時代によっては「化け物」や「物怪」とも呼ばれていたが、現代では"魔物"と呼ぶのが一般的だ。魔物は二百種類以上存在すると言われているが、現代では絶滅したと言われている種類や新たに発見された種類などもあり、正確な数の把握は難しい。また、地域や環境によっても発生する魔物が異なる。】
つまり、この世界では昔から人を襲う妖怪が存在するのは当たり前で、その妖怪のことを魔物と呼ぶってこと?
続いて、関連ページにあった〝魔物の生息地について〟をクリックする。
【魔物は地域や環境によって発生する種類が異なる。だが、現代の技術では生息地を突き止めるのは不可能。それも、魔物は何もない空間から突然現れるからだ。魔物が現れる直前、その場所には『高魔力濃度のエネルギー』が集まることが分かっている。そのため、発生源の特定は可能だが、高魔力濃度のエネルギーが集まる原因や、そこから魔物が発生する理由については現在も調査中だ。】
高魔力濃度のエネルギー? 魔力……って、もしかしてこの世界には魔法とか存在する!? ファンタジーだ……!!
冷静に、と自分に言い聞かせながらもわくわくする気持ちを抑えきれず、微かに震える指で〝魔法について〟と打ち込む。
【魔法とは、人間の力ではなしえない不思議なことを行う術。一般的にはファンタジー小説など、さまざまな文脈で描かれます。】
……まあ、そうだよね。この世界はファンタジーのようでファンタジーほどファンタジーしてないんだよね。うん、知ってた。
その後もいろんな種類の魔物の紹介ページを流し見しながらカップ麺を食べ終えた私は、ネットサーフィンにも飽きてきたので仮眠をとることにした。
夜勤の私の勤務時間は、夜十時から朝の七時まで。それまでに仮眠をとらないと、仕事中が眠たすぎるのだ。
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午後九時三十七分。
腕時計から視線を上げ、満天の星空を眺める。
この時間の田舎道は暗闇につつまれている。ぽつぽつと小さな街灯だけが頼りで、星が綺麗に見えるのだ。
初めて歩いた時は道が見えなさすぎて、小石に何度も躓いてたけど。
お気に入りの赤いマフラー――鎌鼬に襲われた時に奇跡的に無事だった――を鼻まで覆い、今では慣れた道を黒い厚手のジャンパーのぽっけに両手を突っ込み歩く。
いつも着ていたコートは鎌鼬の被害であちこち破けてしまっていて、急遽箪笥の奥からひっぱり出してきたジャンパーからは、少し埃っぽいにおいがした。
ちなみに、今日はなんだか歩きたい気分だったので、早めに家を出てバイト先まで歩いている。
もちろん私も学んでいるので、テレビやネットニュースでしっかり魔物警報を確認済みだ。
今日は関西の方が魔物警報が鳴り止まないらしい。私の住む県周辺は比較的落ち着いていた。
たまーに『蝙蝠男』の落下にご注意下さい、って注意報が天気予報のニュースかのように流れるくらいだ。
……実際に蝙蝠男が落ちてきたら怖すぎて叫ぶ自信ある。というか、どんな状況なんだ。
まあ、警報ではなく注意報なので大丈夫だろう、きっと。
少し不安になるが、見上げている空にはいつも通り、数えきれないくらいの星がきらきらと輝いている。
これはこの町に住み始めた時からの、私の好きな景色の一つ。
……魔物が存在したり、その討伐隊が存在したり……全部、夢の中の出来事だったりして。
――そんなわけ、ないんだけど。
「…………うわぁ、物騒だぁ」
バイト先のコンビニに到着すると、ついそんな言葉がもれた。
まるで某ゾンビ映画のように、周りからの侵入を拒む頑丈なフェンスが、コンビニの周りをぐるりと囲っている。
コンビニのガラス張り部分の上側には、全てシャッターが付いていて――今はシャッターが上がった状態だ――扉のガラスは防弾ガラスのような厚さだ。
その光景に、ふと思い出した。
そういえば昨日寄ったスーパーにも、ガラス張り部分は全てシャッターが付いていたし、扉も分厚かった気がする。
あらためて、私がいた世界より物騒だと思った。
「っちース。秋田ちゃんオツ〜。あ、流田ちゃんオハヨ〜」
「っ、……おはよ、ございます」
出勤してすぐ、戸坂さんから声をかけられた。
思わず目を見開き、戸坂さんを凝視する。
両耳にじゃらじゃらと付いたシルバーのピアスに、睨んでいるようにも見えるつり目。
関わりづらい雰囲気ではあるが、私が驚いたのは彼の見た目ではない。
……この人、こんなふうに自分から周りに挨拶する人じゃなかったはずだ。しかも、話し方もなんか変だ。
「あ! 戸坂さん、未来ちゃん、おはようございます!」
「おはよ……!?」
挨拶を返そうとして――今度は視線の先の秋田ちゃんにぎょっとする。
綺麗な黒髪が、金髪に染められていた。化粧もしっかりひかれたアイラインに、瞼にはぎらぎらした濃いアイシャドウ。一言でいえば、ギャルだ。
「……秋田ちゃん、髪染めたんだね」
「? 何言ってんるんですか、令美はずっとこの髪色ですよ」
「そ、そうだった、ソウダッタ……」
「オレも秋田ちゃんのこの髪色以外見たことないケド、見てみたいなあ〜」
秋田ちゃんには怪訝な顔をされ、無愛想だったはずの戸坂さんにはへらへらと笑顔を向けられ、私の頬はひきつる。
「お疲れさまです、お先に失礼しますね」
「……あ、お疲れさまです」
唯一変化の少ない百田さんの姿にほっとした。
今までと変わったところといえば、銀縁の丸メガネが黒縁の丸メガネになったくらい。二人に比べれば、微々たる変化だ。
百田さんはいつも通り十時になるとすぐに、三人で話している横を微笑みながら、会釈をして早々に去っていった。
「百田さんのメガネ、銀縁じゃなかった…」
「前は銀縁だったんですか? 令美は黒縁しか見たことないかも」
「オレも〜」
「………見間違いだったかも」
「未来ちゃん大丈夫ですか? 疲れてるんじゃないですか?」
くすくすと笑う秋田ちゃんの性格は、話している感じは変わっていない。だが、口元を覆うその指先には見慣れない真っ赤なネイルが施されていた。
……やっぱり、ここはパラレルワールドなのか。今まで私が出会った人たちがいても、きっと別人なのだろう。
名前や顔が同じだから、見た目や性格が違うことに違和感しかない。
「……ねぇ、秋田ちゃん。今日の私って、どこかいつもと変わったところはない? み、見た目とか!」
「えー? 言われて見ればいつもと違う気がします? どこがと言われれば難しいんですけど……あ! 前髪三ミリ切ったとかですか!?」
「……うん。実はそうなの。さすが秋田ちゃん、よく気づいたね!」
ふと、私も周りの人たちに変化を感じているように、周りの人たちも私に変化を感じているのではと思ったのだが。
よかったのかは分からないが、この感じだと周りから見た私は何も変わってなさそうだ。
この世界がパラレルワールドだとすると、気になることがある。
それは、この世界の『私』はどうなっているのか? 元の世界の私はどうなったのか? 私は、元の世界に帰れるのだろうか。
……考えても、わかるわけないんだけど。
「未来ちゃん! ママが迎えに来たので、令美は帰ります!」
「あ、うん。お疲れさま、……気をつけてね!」
ロッカー室から出ていく秋田ちゃんに手をふり、ふうっと息をはく。
……私には現状をどうすることもできないし、とりあえず今は、この世界に馴染むことだけを考えよう。




