5.異世界の常識
「おっはよー! 初めまして! 沙良木撫子、一応魔物討伐隊の専属医師やってます!」
病室に運ばれてきた朝食を食べていると、ドアがバンっと大きな音をたてた。
驚いてドアに目を向けると、病室に入ってくる小鳥遊さんと、その隣には金髪の美人な女性。
百七十センチはありそうな身長に、履いているジーンズが長い脚をさらに強調している。ぱっちり二重に色素の薄い瞳。見た目だけなら、すごく儚げな美人だ。
……先ほど勢いよくドアを開け、廊下にも反響するくらいに大きな声を発していた人にはとても見えない。
「食事中にすみません」
「いえ……」
元気な女性とは対照的に、静かにドアを閉める小鳥遊さんに首をふる。
私目が合った小鳥遊さんはぺこりと軽く頭を下げ、隣に立つにこにこと満面の笑みを浮かべる女性を紹介してくれた。
彼女は沙良木撫子。魔物討伐隊の専属医師の一人で、ふだんは魔物の研究をしていることが多いそう。
そんな彼女がここにやってきた理由は――
「もちろん未来ちゃんに会いにだよ! 鎌鼬に遭遇して生きてた子なんて珍し――」
「沙良木さん」
「あー、そう! 未来ちゃんの怪我の具合を確認しにきたよ!」
「……そうなんですね」
怪我なら今朝もおじいちゃん先生に見てもらったんだけどな。体調も問題なさそうということで、昼過ぎに退院が決まっている。
首を捻る私に、沙良木さんの顔がぐいっと近づいた。
「ところで、鎌鼬に襲われたんだよね? どんな感じだったの?」
「え……」
「沙良木さん……、言いつけますよ」
沙良木さんの勢いに若干引き気味の私を見てか、小鳥遊さんがぽつりと低い声で呟く。
沙良木さんの肩がぴくりと跳ねる。拗ねたような顔で、ぷくっと頬をふくらました。
「もう、わかってるよぅ。未来ちゃん、怪我の具合はどう? 見てもいい?」
「……はい」
頬のガーゼを外し、大袈裟に巻かれた足や腕の包帯をほどいていく。
大したことのない、ただのかすり傷をまじまじと確認され、なんだかそわそわする。
……ほんと、大袈裟なんだよね。入院するほどでもないのに。
「思ったより深くないね。体調も悪くないんだよね?」
「はい」
「じゃあ……」
「では、こちらの書類を」
何かを話そうとした沙良木さんを遮り、小鳥遊さんがすっと私に数枚重ねた書類を渡した。
「ここに損害物を記入してください。ここには振込口座の記入、それから――これにサインを」
ぴらりと一番上に置かれたA4サイズの紙。
えーと、 乙は、甲との間で生じた一切の事実について、事前の甲の書面による承諾なく、第三者に開示または漏洩してはならない……どうやら守秘義務についてのようだ。
まあ、もともと今回の件は誰にも話す気も…というか、別の世界から来た私には話せる人すら存在しないので問題はない。
……だから、こんなサイン意味ないのに。
そう思うとつい、ふっと笑ってしまった。
「流田さん?」
小鳥遊さんに名前を呼ばれはっとする。
目の前にはボールペンが差し出されていた。
「すみません、すぐ書きます」
「……損害物については名前も金額もだいたいで大丈夫ですよ」
記入を終えるとすぐに全ての書類が回収される。
「……そういえば未来ちゃん。今更だけど、なんで警報が出てたのに外に出たの?」
二人に見つめられ、一瞬どこまで正直に話すか悩んだ。
「……き、気づいていませんでした」
「えっ!? 気づかないって、あんなにうるさいくらいにラジオが鳴ってたのに!?」
……ラジオが鳴ってた?
目をぱちぱちしていると、沙良木さんの表情が徐々に驚愕に変わっていく。
「ねえ、未来ちゃん。……もしかして、ラジオ持ってない?」
「何言ってるんですか、沙良木さん。今どき外に出るのに持ち歩かない人なんているわけないでしょう」
「……」
「いやだって、警報に気づかなかったって言うから……」
「あの、」
私が声をかけると、二人の顔がこちらに向く。
「私、ラジオ持ってません……」
この時の二人の表情を、きっと私は忘れることはないだろう。
「……え?」
「……はっ?」
どうやらこの世界では、ラジオを持ち歩くのが当たり前らしい。
信じられないものを見るような表情の二人から、ラジオがどれだけ重要か説明された。
魔物が発生した時、その付近の地域はラジオから警報が鳴る。警報が鳴ればすぐに屋内にこもるのが常識のようだ。
そして魔物はいつどこで発生するかわからない。ラジオがないと、近くで魔物が発生しても危険に気づけない。
「ほんっとーに、ほんっとーに持ってないの? 一つも?」
「さすがに危険すぎる。すぐにでも買うべきです」
「……はい、そうします」
なんだか常識のない子どもに言い聞かせているような二人の姿に、ちょっと微妙な気持ちになった。
……この世界の常識なんて知らないから、仕方ないんだけど。
「これ、俺の名刺です。魔物討伐隊の連絡先が載ってるので、何かあればこちらに」
ラジオの重要性を説かれた後、小鳥遊さんから名刺を渡された。
受けとると、小鳥遊さんは私に軽く頭を下げ、背を向け歩き出す。その後ろ姿を見て、沙良木さんがさっと私の手に何かをにぎらせた。
「これ、渡しとくから。また何かあったら、そこに書いてる番号に電話して!」
最後に小鳥遊さんは深々とお辞儀をして、沙良木さんは元気よく手をふって去っていった。
手元を確認すると、沙良木さんから渡されたのは名刺だった。裏面にはおそらく彼女のであろう携帯番号が書かれていた。




