4.ここは…
鎖骨までのびたパサついた黒髪。目にかかる前髪が鬱陶しく横にながすと、細められた黒い瞳に映るのはこれといって特徴のない見慣れた平凡な顔。
唯一気になるとすれば、頬を覆う大きな白いガーゼが貼られているくらい。
「……私だ」
何度見ても、鏡の中に映るのは私――流田未来だった。
『鎌鼬』という魔物に襲われていた(?)ところを助けてくれた、黒髪の軍服の男性――小鳥遊さんと言うらしい――に連れてこられたのは、車で一時間くらいの距離にある病院だった。
小鳥遊さんは、診察室まで私を見届けると、携帯を片手に早々と去っていった。
まだやることがあるようで、補償についての詳しい説明は明日してくれるみたいだ。
診察室に入ると、瓢箪のように膨らんだ頬に垂れ下がった眉の、小柄なおじいちゃん先生が椅子に座っていた。
「鎌鼬に襲われたんだってねぇ。家を出る前は、ちゃんと警報を確認しないといけないよぉ」
「……はい」
「君は運がいいねぇ。野生の鎌鼬に襲われてかすり傷だなんて、よっぽど弱ってたんだねぇ」
野生じゃない鎌鼬もいるんだ……。
おじいちゃん先生は、のんびりした口調とは対照的に、手際よく傷口の手当をしていく。
その後は、健康診断のような検査を一通り受け、解放されたのは二時間後くらいだった。
「――じゃあ、体調が悪くなったらナースコールを押すんだよぉ」
おじいちゃん先生はそう言うと、看護師さんとともに病室から出ていく。
容態が急変したときのためにと、一泊だけ強制入院になってしまったのだ。
案内された病室は個室で、窓際にテレビが置いてある。部屋の中に洗面所とトイレ、そしてウォーターサーバーまで完備されていた。
ベットの横にある机には、みかんとバナナが置かれていて、お腹が空いていた私はありがたくそれに手をつける。
……ちらちらと視界のはしに映る、窓ガラスの外にある鉄格子にはあえて触れない。だって、なんか怖いし。
深く考えないように、とりあえずテレビをつけてみた。
チャンネルをぽちぽちしていると、聞き覚えのある内容に指が止まる。
〝「――捕獲した鎌鼬の三頭のうち逃げ出した一頭は、本日午後六時ごろ、魔物討伐隊により討伐されました。逃げ出した鎌鼬による影響で、道路や建物の一部損壊があったものの、人的被害は確認されておりません――」〟
……『魔物』。
こうやってテレビで普通に流れているくらい、魔物が存在するのが当たり前なのなら、きっと知らない私のほうがおかしいのだろう。
私を病院に連れてきてくれた小鳥遊さんの腰には、拳銃と短刀が差してあった。
拳銃はわかる。警察の持ってる武器だ。だけど、刀ってなに!?
びっくりして思わず「かっこいい刀デスネ」と言ってしまった。
小鳥遊さんはこくりと頷き「ありがとうございます。これは『脇差』と言うんですよ。魔物討伐隊に入ると支給される『得物』です」と、さも当然のことのように、丁寧に説明してくれた。
テレビでは『鎌鼬脱走事件』について、アナウンサーやコメンテーターの人たちの会話が流れている。
〝「それにしても、今回の事件でやっぱり魔物を生きたまま捕獲するのはリスクが大きすぎるんじゃないか、という声がでています。また、魔物討伐隊の縮小も検討すべきだとの声もあるようです」
「魔物を知ることでより戦いやすく、そして素材を有効活用できるように、という言い分もわかりますが…それで民間人を危険にさらすのは違いますよねぇ」
「ええ。聞いたところによると、彼らに支払われている防衛費は自衛隊をも大きく超えると。事実は知りませんが、支払われる金額に見合った働きをして欲しいものです」
「幸い、今回は人的被害がなかったとのことですが。捕獲後に脱走されるなど、あってはならないことです。魔物討伐隊にはしっかり再発防止に取り組んでいただきたいですね」〟
……魔物討伐隊は、あまり好かれていないのかな。
魔物討伐隊に助けてもらった身としては、コメンテーターの発言になんだかもやもやとした気持ちになる。
そこでちょうどニュースの時間が終わったのか、画面が切り替わった。
「えっ、これ……」
毎週放送されているバラエティ番組だ。出演する芸人が面白くて、予定がない日は毎週見ていた。
そういえば、今日は金曜日だったっけ。
今回の番組の内容は、最近人気のお笑い芸人の二人が美味しいと評判のゲテモノ専門店に食べに行くようだ。
漫才のような二人の掛け合いに、私は自然といつものように笑っていた。
だが、私が何も考えずに楽しく見ることができたのは、芸人の二人がゲテモノ専門店に着くまでだった。
〝「やっとお店に着きましたー! さっそく入って行きましょう! うわっ! 見てください皆さん!! 入り口には立派な『牛鬼』の燻製が飾られています!!」「オレこんなでかい魔物初めて見た!! やばー!!」〟
顔から力が抜けた。
スタジオでは「すごい」「迫力ある!」と声が上がる。
その後も出てくる料理が『一旦木綿ノ布端』や『鉄鼠肉』、『牛鬼の鼻』など、聞き慣れない料理を芸人が食べる姿を見て、スタジオはキャーキャーと大盛り上がりで番組が終了した。
静かにテレビを消すと、背中から白いシーツに倒れ込む。
『魔物』なんて、ファンタジー小説に出てくる空想の生き物だ。『鎌鼬』や『一旦木綿』は、昔話に出てくる『妖怪』だ。
だけどここではそれらを魔物と言い、それらが現実に存在することも当たり前。
……気づいてはいた。だけど、気づかないふりをしたかった。夢だと思いたかった。
ここが、私が生きてきた世界とは、別の世界だなんて――。
「……パラレルワールド」
ふと、その言葉が頭に浮かんだ。
私がいつ、この世界に来たのかはわからない。だけど、私の家はちゃんとあったし、この世界に私が存在していることは、この病院の受付で渡した健康保険証が問題なかったことからもわかる。
また、一応洗面台の鏡で私の容姿を確認してみたが、特に変わったところは見当たらない。
「明日になればわかるかな……」
ここが本当に、パラレルワールドなのか。
職場はどうなっているのか。明日の夜勤で、今まで一緒に働いていた人たちに変化があるのか。
「……とりあえず、寝よう」
夕方まで寝ていたので、眠れるかはわからないけど。
そんな心配をしながらベッドに横になる。だが、頭を使いすぎた疲労からか、気づけば私は眠りに落ちていた。




