22.飴
「あれ? 何かあったんですか?」
「……っ」
出勤してバックヤードに入ると、秋田ちゃんがパイプ椅子に座って俯いていた。その隣には戸坂さんが立っている。
私が呼びかけると、二人の顔が同時にこちらに向いた。
「秋田ちゃん?」
目が赤くなっている秋田ちゃんに思わず声をかける。
秋田ちゃんは私を見るなり立ち上がると、勢いよく胸元に飛び込んできた。
「えっ!?」
「ぅう〜、うわぁあん……! っ、ひっく、ぅう……っ」
「ど、どうしたのっ!?」
胸元で号泣する秋田ちゃんの肩を撫でながら、状況を説明してもらおうと戸坂さんへ顔を向ける。
戸坂さんは目を細めてひらひらと片手を振った。
「流田ちゃんオハヨ〜。なんか、さっき彼氏にフラれたらしいヨ」
「えっ!」
秋田ちゃん、彼氏いたのか……。
初めて知る事実に思わず目を見開く。
「えと、大丈夫……?」
「なんかぁっ、他に好きな人できたって……っひっく、さっきケータイみたらっ、連絡きててぇ……」
「……そっか」
……こういうとき、なんて声をかけたらいいんだろう?
秋田ちゃんには申し訳ないが、生まれてこの方彼氏ができたこともなく、告白すらしたことのない私には慰め方がわからない。
瑠美も泣いたと思えば怒って愚痴って、気づけばけろっとしてるタイプだったし。
助けを求めて戸坂さんを見る。
「流田ちゃん、オレが店頭に出とくから、秋田ちゃんのお迎えが来るまでヨロシク〜。こーゆーのはオンナノコ同士の方がいいって聞いたヨ」
「ちょっと待ってください! 戸坂さん!」
そう言うが早いか、引き止める声が聞こえないかのように泣いてる秋田ちゃんと私を置いて、戸坂さんはバックヤードから出て行ってしまった。
たしかに店頭に誰もいないのはだめだから仕方ないんだけど! こういうの慣れてない私に任されても困る……!
「……とりあえず、椅子に座ろっか」
パイプ椅子に誘導して秋田ちゃんを座らせる。
鞄を置くため少し動いた私の腕を、ぎゅっと秋田ちゃんが掴んだ。
「ジュンくんが、好きになったこっ……清楚系なのぉ〜! 令美と正反対じゃん〜!」
大粒の涙を流しながら私を見上げる秋田ちゃん。
……ジュンくんは彼氏かな? ……たしかにギャルの秋田ちゃんとは正反対だね。
慰めの言葉を探しながら、しゃくり上げる秋田ちゃんを見つめた。
いつも笑顔で明るい秋田ちゃんが泣いている姿を見ていると、だんだん胸が痛くなる。
「なんで令美じゃだめなのぉ」
「そんなことない」
秋田ちゃんの言葉に被せるように、口が勝手に動いた。
『お父さん、未来もいるよ。……私じゃ、だめなの?』
母の写真を前に泣き崩れる父に、私の声は届かなかった。
蘇る記憶に、ぐっと拳を握りしめる。
「……でも、そう思うことなんて、そう信じることなんてできないよね」
繋いでいた手。父の後ろ姿。母の写真。最後に見た、父の虚ろな瞳。
頭の中に溢れだす過去の記憶に、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
「……未来ちゃん?」
秋田ちゃんの目が見開かれる。
燈ノ万屋で見たあの写真に写っていた、私が覚えてもいない父の笑顔が頭に浮かんだ瞬間、頬が濡れていた。
「っごめん! 悲しいのは秋田ちゃんなのにね」
「……」
「……でもね、秋田ちゃん。悲しい気持ちも、いつかは思い出に変わる時が来るんだよ」
目が合った秋田ちゃんはすでに涙が止まっていて、静かに私の話を聞いていた。
「その時に、ああしとけばよかったなんてならないために……自分の思いをちゃんと相手にぶつけた方が、私はいいと思う」
「未来ちゃん……あの、ティッシュ使いますか?」
眉を下げて心配そうな秋田ちゃんの表情に、はっと我にかえる。
「……急にごめんね、ずずっ……ありがとう」
……恥ずかしい。突然感情的になって、私自身今何を話したのかよく覚えていない。
ティッシュで涙を拭いながら、こっそり秋田ちゃんの様子を伺う。
「……そうですよね。このまま泣いてるだけじゃダメですよね」
顔を引き締めた秋田ちゃんが、ぐっとハンカチを握りしめて立ち上がった。
「最後に一言、がつんと言ってやります! それからあんなやつ、さっさと忘れてやるっ!!」
前向きになった秋田ちゃんの姿に頬が緩む。
「……お迎えは大丈夫?」
私が声をかけると、秋田ちゃんが慌てて携帯を確認する。
「あっ! えーと、ちょうどもう着くみたいです!」
「そっか、気をつけてね」
後輩の前で泣いてしまった気恥ずかしさに、視線を逸らしながら微笑む。
「はい! 未来ちゃん、ありがとうございます。私、未来ちゃんのこと大好きです!」
そう言った秋田ちゃんは、いつもの明るい笑顔だった。
……ちょっとつけまつ毛が外れかけていて、ヨレたアイメイクがパンダになっていたけど。
それでもやっぱり笑顔の秋田ちゃんは、とても可愛かった。
「あ、流田ちゃんオツ〜」
「戸坂さん……」
秋田ちゃんがバックヤードから出て行くのを見送った後、赤くなった目が落ち着くのを待ってから私も店頭に出た。
「大丈夫だった〜?」
「はい……」
レジ前に置いたパイプ椅子に座り、のんびりと声をかけてきた戸坂さんに、つい恨めしげな視線を送る。
しかし、戸坂さんは全く気にしていない様子で、くぁっとあくびをした。
その姿にため息をつき、車の止まっていない駐車場に目を向ける。
泣いている秋田ちゃんにかけた言葉が、今になって私の胸に重くのしかかる。
……私は、過去を後悔していたのか。その気持ちに初めて気づいた。
でも急に泣き出した私に、秋田ちゃんが引かなくてよかった。
「流田ちゃん、ちょっとこっちきて」
「なんですか?」
ぼーっと駐車場を眺めていた私に戸坂さんが声をかける。
いつのまにか、両手に一つずつ飴を持っていた。
「いちごかミルク、どっちがすき〜? どっちも食べればいちごミルクもできるヨ」
そう言うと両手を近づけ、飴同士をぶつけてこつんと鳴らす。首を傾げて私の返事を待った。
「ミルクで……」
「ハーイ!」
私が答えると、戸坂さんはにこにことミルク味をくれた。
お礼を言って受けとり、勤務中なので少し悩んで飴を口に入れた。
ミルクの甘さを感じながら、ちらりと戸坂さんの様子を伺う。
今日の戸坂さんはお守りをもらった日よりテンションが高い。いつもの戸坂さんだ。
『簡単なことよ。哨悟が家を出た本当の理由を聞き出してくれればいいの』
頭の中に響く声。
話しかけやすい戸坂さんの雰囲気に背中を押され、私は口を開いた。
「あの、戸坂さん」
「どうしたの〜?」
戸坂さんはパイプ椅子に座り、いちご飴の袋を破る。
「飴もういっこほしいノ? コレね、最近オレがハマってるおやつなの」
「いえ、飴はもうもらったので大丈夫です」
「そう?」
言いながら、戸坂さんは飴を口に入れる。
「……あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「うん? なになに〜?」
私を見上げながら、飴を噛み砕いて飲み込む。
するとまたポケットから飴を取り出して口に入れた。がりがりと音がする。
「戸坂さん、前にお姉さんがいるって言ってましたよね」
「……そうだね、いるヨ」
一瞬、音が止んだ気がした。
戸坂さんはすぐにポケットから次の飴を取り出す。
そのポケット、どれだけ飴が入ってるの…。
スナック菓子のようにぱくぱくと飴を食べ、ポケットから無限に出てくることに気を取られるが、とにかく話を続けることにした。
「こないだ、ほんとに偶然なんですけど……私、会いました」
「……誰と?」
「戸坂さんのお姉さん、哨子さんに」
その名前を口にした瞬間、飴を噛み砕く音が止む。
「トサカ、ショウコ……」
座っている戸坂さんが正面に顔を向けたことで、立っている私から彼の表情が見えなくなる。
「……ああ、アイツか」
数秒後、いつもより少しだけ低い声でそう呟くと、口の中に残る飴を噛み砕いた。
「えっと……戸坂さんのこと、心配してました」
「フーン」
「家に戻ってきて欲しいって……」
「へー」
明らかに、どうでもいいと思っているような返事だった。
「……戸坂さんは、どうして家に戻りたくないんですか?」
思い切って質問すると、戸坂さんが顔を上げる。
その表情は、思っていたよりも飄々としていた。そしてこてんと首を傾げる。
「さあ……戻りたくないんじゃネ?」
「どうしてですか?」
戸坂さんは私の問いにすぐ答えることなく、再び飴を口に入れる。
「ウーーン。ソレは本人に聞くのがいちばんデショ」
「…………えっ?」
見つめ合う二人の間に流れる沈黙。
「…………アッ、今のなしデ!」
どういうこと? 本人って、自分のことじゃないの?
思わず目の前にいる戸坂さんを凝視する。
戸坂さんは慌てた様子でポケットから片手いっぱいの飴を取り出し私に押しつけた。
「コレっ! 飴あげるから今のなしネ!!」
「大丈夫ですっ、こんなにいりません……!」
必死に差し出してくる手を掴んで押し返す。
お互いの指の隙間から、ばらばらと飴が床に落ちた。
「そっそれより、今の発言はどういうことですか!?」
「ダメ、怒られる! 飴あげた! 忘れる! 忘れた!」
「意味がわかりません!」
それからは戸坂さんに何を聞いても「ダメ、忘れる!」と返事は同じで、まともに会話にもならなかった。




