20.姉
私の手首を掴んだ人は、戸坂さんと言い合っていたあのゴスロリ女性だった。
腰まで伸びたさらさらストレートの黒髪と、頬にかかる姫カット。ぱっちりした瞳と真っ赤な唇で、顔までお人形さんみたいだ。
「貴女、久しぶりじゃありませんか」
全く見覚えのない女性に話しかけられ、ぱちぱちと瞬く。
「え? 人違いじゃ……」
「こんなところではなんですし、わたくしとゆっくりお話いたしましょう」
私の否定に被せるようにそう言い、ゴスロリ女性はこちらににこりと微笑みを向けた。
……な、何この人。宗教勧誘……?
さりげなく掴まれた腕をひいてみる。
しかし、繊細なレースの施された手袋にがっしりと掴まれていて、容易に振り解けそうにない。
「け、結構です。今忙しくて……」
「そんなにお時間はいただきません。きっと貴女もわたくしと話したいはず……ええ、そのはずですわ」
強引なお誘いとともに、ぐいぐいと引っ張られる腕。
再度断ろうと口を開こうとすると、ゴスロリ女性の顔がぐっと近づいた。
「……貴女、哨悟を知っているでしょう?」
「え?」
「わたくしは、戸坂哨悟の姉です」
「……え?」
ゴスロリ女性――もとい、戸坂さんのお姉さんにほぼ強引に連れてこられた場所は、小さな喫茶店だった。
店内にはカウンターに並ぶイスは三つ、テーブル席は二席しかないのに通路が狭く圧迫感がある。
……私たち以外に人がいない。
戸坂さんのお姉さんはすたすたと進み、一番奥のテーブル席に座った。
「飲み物はどうされますか?」
するとどこから現れたのか、一人の男性がメニュー表を持ってくる。
髪をオールバックに撫で付けて、漆黒のスーツをピシっと着こなし、白い手袋までしている。
まるで執事のような風貌で、古風な喫茶店の中で明らかに浮いている。
思わず男性を凝視していた私に、平然とドリンクを注文した戸坂さんのお姉さんが声をかけた。
「わたくしはアイスコーヒーを。貴女は?」
「……私もアイスコーヒーでお願いします」
……これ、あとから数千円とか数万円とか請求されたりしないよね?
注文を口にしてから急に不安が大きくなる。
戸坂さんのお姉さんのについてきたのは、彼女が強引だったのもあるが、戸坂さんへの興味と……結局、その場の勢いに流されてしまったのだ。
頭が冷静になってきた今、その時の判断を後悔している。
「――それで、貴女。哨悟とはいったいどういう関係なのかしら?」
「哨悟……?」
……あ、戸坂さんのことか。
そう私が思い当たると同時に、戸坂さんのお姉さんがダンっと両手をテーブルに叩きつけた。
「まあっ! あの子を呼び捨てにする仲なのね!?」
「いや、違います……」
お人形さんのようなお顔のあちこちに皺ができている。
戸坂さんのお姉さんの勢いに思わずのけ反ると、スーツの男性がちょうど飲み物を運んできた。
「お嬢様、アイスコーヒーです」
「ありがとう」
「……ありがとうございます」
テーブルにアイスコーヒーが二つ置かれる。
戸坂さんのお姉さんはコーヒーをひとくち飲むと、顔の皺を消した。
いったん落ち着いたのかこほんと咳払いをする。
「失礼。哨悟のこととなるとつい……自己紹介がまだでしたわね。わたくし、戸坂哨子と申します。先ほども言いましたが、戸坂哨悟の姉ですわ」
『……うるさい姉が一人。しばらく会ってないけど』
そう言い、嫌なことを思い出したかのように顔を歪めていた戸坂さんが頭に過ぎる。
「……初めまして。流田未来です」
座ったまま軽く頭を下げる。
哨子さんは私を見定めるように目を細めた。
「それで、貴女は哨悟とどういう関係かしら?」
「ただバイト先が同じなだけです……」
「まあっ! わたくし騙されませんわよ!?」
正直に答えたのだが、哨子さんはくわっと目を見開くと持っていた黒いポーチから何かを取り出した。
ばさっ、とテーブルの上に乱雑に広げられたのは、何十枚とある大量の写真。
テーブルに散らばった写真に目を滑らせ、思わず顔が引き攣る。
広げられた写真の全てに、戸坂さんが写っていた。
完全にプライベートなものから勤務中のものまである。
戸坂さんのよだれが垂れてる寝姿とか、食事中や入浴写真まで、ほかにもたくさん……見てはいけないものを見てしまった。
また、戸坂さんの勤務中の写真の何枚かには、見切れてはいるが私も写っている。
いつ撮ったのこれ。というかこの人、戸坂さんのストーカーじゃ……?
そもそも姉というのすら怪しく感じていると、哨子さんはとある写真を私の方へ滑らせる。
「こちらを見なさい。貴女、哨悟から何かを受け取っているわね」
その写真には、見切れた私の姿が写っていた。
これはつい最近、というか二日前に戸坂さんから数珠を受け取っているタイミングだ。
「そしてそれを、今も持ち歩いてるのではなくて?」
なんで戸坂さんから貰った数珠を持ち歩いてることまで知ってるの。
腕を組み睨みつけるように私を見つめる哨子さんに、仕方なく鞄の中に手を入れる。
「これですか?」
取り出した数珠をテーブルの上に置く。
「やっぱりそれ、哨悟のじゃないっ! あの子、自分の居場所がばれるのをわかっていて貴女に渡すなんて……」
「……どういうことですか?」
哨子さんは私をキッと睨みつけ数珠を指差す。
「この呪具は、外部から呪力を感知できないようにするためのもの。そして、哨悟が自作した特別製!」
「呪具……?」
「……一般的には結界だとも言われているけれど」
「結界……」
この数珠は呪具? 呪具なのに結界? ……でも、そういえば戸坂さんはこれを『お守り』と言っていた。
あの時のことを思い出しながら数珠から視線を上げると、哨子さんが怪しげな顔で私を見ていた。
「あら? こんなこともわからないなんて……貴女も同業者なのでしょう?」
「……違います。きっと何か勘違いされてると思います」
同業者が何を指すのかわからないが、なんとなく哨子さんが思っている存在とは違うことはわかる。
首を横に振って否定すると、数珠と私へ何度か視線を動かした哨子さんが驚いた顔で口元に手をあてた。
「まあっ! なんてこと……わたくしったら勘違いを! だって、貴女からあまりにも……」
と、何かに気づいたかのように、そこで言葉を切った哨子さんが俯いた。
数秒後、ぱっと顔を上げた哨子さんからは今までの見定めるような眼差しが消え、心配そうな顔に変わっていた。
「まって、貴女一般人なの? それは……魔物がよってきて、今までさぞ大変だったでしょう?」
「え……」
「もしそうなら、哨悟がこれを渡したのも少しは理解できるわ。あの子、お人好しなところがあるし」
どういうことだろう。この人も、何かを知っている?
「あの、私がよく魔物と遭遇する理由がわかるんですか?」
「……わたくしたちは、お互い同業者がわかるのだけど。稀に貴女のような出自を知らない方もいますの」
それは私が聞きたかった答えではないけれど、気になる話だった。
「ただ……不思議なのが、貴女はなんて言えばいいのかしら。纏っているというか、たまたま香りがついただけのようにも視えますし」
首を傾げながら、じっと私を見る哨子さん。
「原因は何なんですか?」
「……そうね。教えてあげたいのだけれど……そう簡単に規定を破ることはできないわ」
ふう、と息を吐いた哨子さんがちらりと彼女の近くに控えていたスーツの男性へ視線を向ける。
「この場合、少しくらいなら話しても許されるかしら? 八代はどう思って?」
スーツの男性――八代さんは、目を細めて私を見たあと、哨子さんと目を合わせる。
「判断致しかねます。……ただ、出自が関係しているのであればいつかは同業の誰かが接触するはずです。どのみち知ることになるのは時間の問題かと」
八代さんの言葉に哨子さんは考え込むように目をふせる。
「……まあいいわ。せっかくならわたくしもこの状況を利用させていただきましょう」
そして、こくりと頷くとまっすぐに私を見た。
「わたくしが教えてあげましょう。……その代わり、わたくしに協力してくださいな」




