見えない風の支配者。あるいは、空軍の包囲網
「ボ、ボス! 前方、右、左、あ、上からも……! 何かが、ものすごいスピードで迫ってくるよ!」
マヌケが必死に耳を伏せ、風圧に耐えながら叫ぶ。
暗黒の縦穴を覆う上昇気流の嵐。その暴風を文字通り『衣服』のように身にまとい、重力を無視した自由自在な三次元軌道で滑空してくる影――それらは、俺たちと同じジャンガリアンに酷似した、だが圧倒的に軽量化された細躯を持つもふもふの集団だった。
大裂溝の真の支配者、飛空隠密種――【ロボロフスキー・グライダー】の軍勢だ。
彼らは手足の間に張られた頑丈な飛膜で風をハックし、落下する俺たちの周囲を、目にも留まらぬ速度で旋回している。その動きはまるで、東京のビル風が吹き荒れる換気ダクトの中に放り込まれたかのような、圧倒的な包囲感だった。
キィィィィィッ――!!
鋭い口笛のような鳴き声が響いた瞬間、旋回していた影たちが一斉に牙を剥き、俺たちをハサミ状に挟み込む形で肉薄してきた。
「ギルバート、下だ! マヌケ、お前は右を向け!」
「応ッ!」
「ひ、ひえええん!」
俺は即座に指示を飛ばし、自らも気流を蹴って跳躍する。
だが、相手は風そのものを味方につけた空の軍勢だ。俺たちが一撃を繰り出そうとした瞬間、彼らは風圧の壁をピンポイントで爆発させるかのように飛膜をひるがえし、物理法則をあざ笑うような鋭角ターンで俺たちの攻撃をスカリと空振らせた。
「チッ……! 完全にこの縦穴の『気流インフラ』を掌握してやがるな」
空中での戦闘において、足場を持たない俺たちは圧倒的に不利だ。ギルバートのダイヤの盾によるパイルドライバーも、この変幻自在の機動力の前にはマトモに焦点を合わせることすらできない。
それどころか、すれ違いざまに放たれる彼らの鋭い爪が、俺たちの体毛を正確に切り裂いていく。このままでは、ただ風に弄ばれ、なす術もなく最深部へ叩き落とされるのを待つだけだ。
「……だがよ、風を読んで動いてるってことは、その『風の流れ(ルート)』さえバグらせちまえば、お前らもただの操り人形だろ?」
俺は落下スピードをあえて加速させ、ミニ・ラプトルの背中に深く爪を立てた。
「マヌケ! 第一層から持ってきてる、あの酸性植物の『粘着質な髄液』の袋をこっちに投げろ!」
「う、うん! はい、ボス!」
マヌケが必死に放り投げてきた、ドロドロとした液体の詰まった植物の袋。
俺はそれを口にくわえて引きちぎると、上昇気流の最も激しい『風の収束点』に向けて、中身を豪快にぶちまけた。
ただ撒き散らしたんじゃない。
前世の厨房で、換気扇のフィルターに油と埃が詰まって風の流れがガラリと変わる瞬間を、俺は何度も見てきた。超強力な粘着性を持つ髄液の霧は、下から突き上げてくる激しい上昇気流の粒子と混ざり合い、一瞬にしてそのエリアの『空気の密度』をハチミツのようなどろりとした重さへと激変させた。
「なっ……気流が……重い!?」
滑空してこようとしたロボロフスキーの偵察兵たちが、突然牙を剥いた「目に見えない空気の壁」に突っ込み、その翼(飛膜)を大きく取られて激しくバランスを崩す。
風のハッカーたちが、自分たちの愛する風によって、逆に雁字搦めにされる瞬間だ。
「形勢逆転だな、空軍の旦那。――ギルバート、マヌケ、野郎ども! コントロールを失ったもふもふどもを、一匹残らず『スカベンジ(回収)』しろ!」
「ははっ、了解!」
「わ、わかったー!」
体勢を崩してジタバタと虚空でもがくロボロフスキーたち。
俺たちは落下する重力をそのまま推進力に変え、無防備に晒された彼らの背後へと回り込む。ギルバートの糸が次々と彼らを絡め取り、マヌケが即席のケージへと押し込んでいく。
正面から戦えば無敵の空軍も、インフラをバグらされればただの「空飛ぶネズミ」に過ぎない。
「キィィッ……! 愚かな地這いどもが、小細工を……!」
大裂溝の底、さらに濃い暗黒の中から、一際巨大で、耳を引き裂くような超音波を放つ「頭領」の影が、怒りに震えながらこちらを睨みつけていた。
だが、俺はそいつを見据え、ダイヤの牙をニィッと剥き出して笑う。
「小細工じゃねえ、これがドブ底のハッキングってやつだよ。おい、お前がここのボスだな? ──死にたくなきゃ、その風の乗り方、俺たちに全部教え込んでもらおうか!」




