中間層のハッキング完了。あるいは、新井空軍の誕生
「ひ、ひいいいっ! 降伏だ、降伏する! 喉元のその不吉な牙をどけてくれ!」
大裂溝の頭領が、鋼の飛膜をだらりと垂らし、虚空に拘束されたまま涙目で叫んだ。
首皮一枚のところで静止した俺の『ダイヤの牙』の威圧感に、空の支配者のプライドは完全にへし折られたらしい。
「物分かりが良くて助かるぜ、頭領の旦那」
俺は牙を収めると、絡みついていた植物の糸を器用に緩めてやった。
自由になった頭領は、なおも激しく吹き荒れる上昇気流の中、驚くほど自然な動作でふわりと滞空してみせる。その無駄のない洗練された身体操作は、まさに風の申し子だ。
「……信じられん。地を這うだけのジャンガリアンが、我が空軍の気流ルートを完全に予測し、罠を張るなど。貴様、一体何者だ?」
「ただのドブネズミだよ。東京の換気ダクトをナワバリにしてたな」
「トウキョウ……? ダクト……?」
頭領はわけのわからない単語に首を傾げたが、俺の背後に控えるもふもふ軍勢――結晶の盾を構えたギルバート、凄まじい脚力を持つミニ・ラプトル、そして頬袋に黄金の蜜をこれでもかと詰め込んだマヌケの姿を見て、すぐにすべてを察したように深い溜息をついた。
「完敗だ。我らの敗北条件は、風を奪われること。それを成し遂げた貴様を、今日からこの大裂溝の新たな主(覇王)と認めよう。私はロボロフスキー空軍を率いる将、【旋風のハヤテ】。これより、我が軍の全翼は貴様のインフラとなる」
「ハヤテ、か。いい名前じゃねえか。よろしくな」
ハヤテが鋭く口笛を吹くと、周囲のどろりとした空気の壁に突っ込んで目を回していたロボロフスキーの偵察兵たちが、一斉に統率を取り戻して俺たちの周囲に整列した。
これで、ただ落下するだけだった俺たちの周りに、完璧な『飛行護衛艦隊』が形成されたわけだ。
「ボス! すごいよ! これで僕たち、空も飛べちゃうってこと!?」
マヌケが目を輝かせながら、ハヤテのフカフカした飛膜を物珍しそうに突く。
「飛ぶだけじゃねえ。おい、ハヤテ。お前らのその『風を操る三次元技術』、俺たちの群れ(ジャンガリアン)の身体構造なら、ちょっと骨格をハックすりゃあすぐにコピーできるよな?」
「な、何だと……!? 我らの飛膜は、何世代にもわたる大裂溝の環境適応の果てに得た固有の能力だぞ!?」
驚愕するハヤテの横で、俺はすでに己の『腸内環境ハッキング』を起動させていた。
さっきハヤテの喉元に牙を突き立てた際、俺はあいつの皮膚から「高高度の風圧に耐える常在菌」と「飛膜の伸縮性を司る特殊な代謝酵素」のサンプルをバッチリ齧り取っていた。
それを俺の胃袋の中でグツグツと培養し、群れ全体の腸内環境へシグナルとしてフィードバック(共有)する。
「う、うわっ!? ボス、なんか脇の下の皮が……むずむずして、急に伸びてきたんだけど!?」
マヌケが叫んだ通り、俺を筆頭に、群れのハムスターたちの脇腹から後ろ足にかけての皮膚が、驚異的な細胞分裂によってグングンと広がり、頑丈な『飛膜』へと変質していった。
第一層のムカデの肉で得た「耐酸性の毛皮」の応用だ。
「馬鹿な……我が一族の聖域を、一瞬でコピー(ハック)したというのか……!」
ハヤテが恐怖に身を震わせる。
「これがドブ底のアップデートだ。野郎ども、新しい翼の使い心地を試すぞ!」
俺は新しく生えた自らの飛膜を大きく広げ、下からの上昇気流をガッチリと捉えた。
落下速度が急激に減速し、重力をコントロールする快感が脳髄を突き抜ける。
今や俺たちは、ただ大裂溝を落下するだけの哀れなネズミじゃない。
空の支配者を従え、自らも翼を得た、最強の【もふもふ空挺部隊】だ。
「ハヤテ、この大裂溝の最深部には何がある?」
滑空しながら、俺は隣を飛ぶハヤテに問いかけた。
ハヤテは表情を引き締め、さらに深く、暗黒が渦巻く縦穴の底を指さした。
「この先は、第二層……地平線すら存在する超巨大空洞『神代の冥府』だ。だが、そこを統治する奴らは、我ら空軍とは比較にならない『超越種』だぞ」
「へっ、上等じゃねえか。どんな大物が相手だろうが、美味い資源があるなら根こそぎ齧り取って、俺たちのナワバリに変えてやるだけだ」
俺たちはハヤテ率いる空軍を先頭に、翼を煌めかせながら、中間層の暗黒を切り裂いてさらに深くへと急降下していった。




