Ep.5 婚約してしまいました
正式にアッシュローズ公爵家と王家との間で婚約が結ばれることとなった。
お父様と二人で登城し、国王陛下の執務室で互いに契約書に署名をするわけだけれど……私もお父様も、本当に渋々、しぶっしぶ名前を記した。
その様子を、向かい側の席に座る両陛下と王子殿下がにこにこと微笑みながら見ている……。
臣下である我が家から婚約解消……もしくは破棄を願い出るには、それ相応の理由が必要だ。
例えば、私が原因不明の病などで身体的に不自由になったり、精神に異常が見られたり……公務に支障を来しそうな状態なら確実だろう。
……だけれど!王家からなら、もっと楽に解消出来るはずだ!
コイツは未来の王妃として相応しくない、と判断されれば速攻だ。
一応、家と家の契約だからね。
王子殿下に「他に好きな人が出来たから解消しよう!」なんて言っても、親たちが許さない可能性がある。
この国には側室制度がないけれど、子どもが出来ない場合のみ認められるんだよね……。
最悪、結婚後に白い結婚にされて数年後に側妃として娶る、なんてことになったら目も当てられないから。
出来ればその前に解消して頂きたい。
「ベアトリスちゃん。これからよろしくね」
王妃陛下が満面の笑みで声を掛けてきた。
現王家には第一王子の他に第二王子もいる。
王妃陛下は女の子も欲しかったらしく、私が王子殿下の婚約者となったことをとても喜んでいるようだ。
「はい……よろしくおねがいいたします」
顔が引き攣りながらも必死に笑顔を作り、か細い声で答えた。
せっかく王城に来たのだからと、王子殿下と「お茶をして交流するといい」とのお言葉に、庭園までドナドナされてしまった。
春麗らかな昼下がり……庭園の色とりどりの花々は庭師によって丁寧に整えられており、その一角にあるガゼボで王子殿下とテーブルを囲み、紅茶とお菓子を楽しむ……。
……何の苦行ですか?
ミルクたっぷりの紅茶に口を付け、チラッと王子殿下の様子を窺うと、バチッと視線が合ってしまった。
咄嗟に逸らしそうになったけれど、それは失礼が過ぎると言い聞かせて、そのまま見つめ合う。
「アッシュローズ公爵令嬢……うーん、ちょっと長いから僕もベアトリスと呼んでいいかな?僕のことも二人の時は名前で呼んでいいからね」
「はい。……えと、クロードでんか」
「殿下、は堅苦しくて距離を感じるからいらないかな」
「……では、クロードさまで。これいじょうはむりです」
公の場では、きちんと正しく敬称を付けなければならない。
基本的に王侯貴族は名前を名乗り合うまで『顔見知り』程度だと判断されるうえに、余程のことがない限り身分が上の者から声をかけられないと名乗ることも許されないのだ。
その中でも特に重要なのが、ファーストネームだ。
貴族社会において、ファーストネームは相手との親密度の目安の一つ。
基本的に婚約者でもない異性のファーストネームを呼ぶことは、マナー違反にあたる。
中には幼馴染同士で互いにファーストネームを呼び合っている人もいるようだが、婚約者が出来たら距離感を改めなければ社交界で眉を顰められかねない。
「うん、とりあえずはそれでいいよ。――――それで、ベアトリスはこの婚約は嫌なのかな?」
「……はい?」
予想外の方向から突如投げられた直球に、驚きで思わず目を丸くしてしまい、うっかり『淑女の微笑み』が剥がれてしまった……。
だって、まさかこんな直球が来るとは普通思わないよね?
何て答えよう!?と脳みそフル回転で必死に最適解を考えるけれど、その答えが出る前にクロード様が笑顔を崩さないまま口を開いた。
「アッシュローズ公爵やウィリアムが嫌がるのは予想していたんだけれど、今日の様子を見るにベアトリスも乗り気じゃないよね?」
……何故でしょう?笑顔なのに、妙な圧を感じるんだけれど……。
「そ、それはですね……わたしがクロードさまのおきさきさまになるのは、にがおもいとおもいますでですね」
何とかしどろもどろに答えたものの、クロード様の瞳を真っ直ぐ見ることが出来ず、目線が明後日の方向を向いてしまう。
うう……私の意気地なし!!
クロード様は「……ふーん、そっかあ」と、どこか黒いものを滲ませながら笑みを崩さずに一言だけ答えた。
……これ、絶対納得されてませんよね?
淑女の微笑みを必死に崩さないようにしながら、心の中だけでなく全身から汗が吹き出している気がする。
「……まあ、今日はここまででいいか。ところで、ベアトリスは領地の農業に関して助言したと聞いたよ」
「……それも、おにいさまからでしょうか?」
「うん。何でも今まで問題がなかった農地なのに、急に作物が育たなくなったとか」
そう……お父様が領民から「急に作物が育たなくなった」と報告があったと悩んでいたのだ。
作物が育たない→領民の生活が困る、そしてひいては公爵家の税収に影響が出る→私の快適ライフに影響が出る!という、完全なる自己満足の為に、前世の記憶を頼りにお父様へ進言してみた。
いくら農家ではなかった私でも、学校で学んだ『連作障害』くらいは知っている。
何かの書物で読んだと言い訳しつつ、同じ作物を育て続けると土の質が変わって育たなくなってしまうから、大体一年置きに育てる作物を変えてみることを勧めた。
アッシュローズ公爵家の領地は公爵領らしくかなり広大だけれど、その内四分の一くらいは鉱山だ。
鉱山だけでは、いずれ鉱石が尽きたときに領民たちの生活へ影響が出る。
そのことを考えて農業にも力を入れていたのだ。
領民に農地として使用してもらっている土地の中から各家庭に振り分けられる分は、有限だ。
一つの作物が育たなくなると、同じ作物を育てている場所も育たなくなる可能性が高い。
だから、土地ごとにローテーションで育てる作物を変えることを勧めた。
そうすれば、一部の作物が育たなくなるという事態は避けられるかもしれない。
そのことを説明すると、クロード様は顎に指を当てながら考えるように頷き、再びにっこりと笑みを浮かべた。
「……なるほど、確かに理に適っているね」
……何とか疑われずに説明出来たようだ。
内心ほっとして、強張っていた体から力が抜けた。
その後も「作物の種類によって次に植える作物はどんなものがいいとかもあるのかな?」「そもそも、そういう影響がないものもあるのかな?」と質問攻めにあったが、何とか前世の知識を引っ張り出しながら説明した。
まあ、前世の作物とこの世界の作物が同じものとは限らないから、ある程度の調査は必要だとお父様には伝えてある。
もし上手くいかなかったら、私には責任が取れないしね。
こうして取り調べのようなお茶会は無事に終わり、お父様と共に屋敷へ戻ることが出来た。
婚約は成立してしまったけれど……まあ、王族教育が始まれば私には難しいことを理解してもらえるだろう。
それまでのんびりと待つとしよう。
私は呑気にそんな風に考えていた。
――――数年後、この時の自分を殴りたくなることを、知らずに。
誤字報告ありがとうございます┏○ペコッ




