Ep.13 噂されているようです
……最近、何やら周囲の視線が変わったように感じる。
怪訝そうな顔で私を見ながらひそひそと話しているくせに、目が合うと急いで逸らす。
感じ悪いこと、この上ない。
色々考えてみたけれど、強制力なのだろうか?
何もしていないのに身に覚えのない事件の犯人にされるようなら、もうさっさと退学して領地に引き篭もろうと決めていた。
まるで私に疚しいことがあって逃げたように見えるかもしれないけれど、それ以上に身に覚えのないことで断罪されるのは勘弁して欲しい。
どうせ領地に引き篭もってしまえば、再び会うことがあるかどうかさえ怪しい人たちだ。
その後の私の評判なんてどうでもいいけれど、お父様やお兄様は事実無根の噂を流した人を一人残らず探し出して、しっかりと追い込むだろう。
それで公爵家に迷惑がかからなければ良いし。
「あら、噂のアッシュローズ公爵令嬢ではありませんか。さすが王太子殿下の婚約者に選ばれるだけあって、肝が据わっていらっしゃるのね」
いつもと変わらずのほほんと過ごしていた。
お花摘み——直接的に言えばトイレに行って教室へ戻ろうとしていると、そこに現れたのはシュバルト公爵令嬢だった。
「ご機嫌よう、シュバルト公爵令嬢」
淑女らしくにっこり微笑んで挨拶したのに、彼女は扇子を開いて「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「随分と呑気ですのね。学園内では貴女の噂で持ち切りだというのに」
確かに身長はシュバルト公爵令嬢の方が多少高いけれど、それ以上に上から目線で見下しながら口を開いた。
そんなことを私に言われても、影でひそひそ話している学園内の噂など知るわけがない。
「……噂、ですか?どのような噂でしょうか?」
困惑気味に小首を傾げて尋ねると、シュバルト公爵令嬢は再び「ふんっ」と鼻で笑ってふんぞり返った。
「貴女が家の権力を使い、身分が下の者に圧力を掛けて虐げている、という噂ですわ。何と恐ろしいのかしら」
わざとらしく眉尻を下げて「怖いわあ」などと言っている。
「王太子殿下もお気の毒ですわ。貴女のような方が婚約者だなんて、わたくしでしたらそんな恥をかかせるような真似は致しませんのに」
……とどのつまり、本当に言いたいことはそこなわけね。
恐らくシュバルト公爵令嬢は、『噂はただの噂でしかない』ことを知っている。
同じ公爵令嬢だ。いくら権力があるからとは言え、理由もなく『気に入らない』などという意味の分からない難癖を付けて家に圧力をかけるようなことをする理由もなければ、そんなことが許されるはずもない。
何せ、王太子の婚約者であり、王太子妃候補なのだ。
そんな愚かな真似をした瞬間、速攻で国王陛下へ報告されること間違いなしに決まっている————。
「そのような噂があるのですか?わたくしには身に覚えがないので、困りましたわね……」
嘘だ——全く困ってはいない。
ただ、面倒なだけだ。
……けれどよく考えたら、これはチャンスかもしれない。
何故か、クロード様から婚約破棄を言い渡されることもなく、強制力なのかヒロインから因縁をつけられる。
そして、シュバルト公爵令嬢が教えてくれた噂の件……。
もし、これも強制力の一つなら————逃げるが勝ちじゃない?
天啓が降りてきたかのように、思わず瞳を輝かせてしまった。
「……噂の内容に身に覚えはございませんが、シュバルト公爵令嬢の仰ることはご尤もですわ。そんな噂が立つようなわたくしがお側にいては、クロード様の恥となってしまいますわね……」
沈痛な面持ちを装い、一生懸命涙を絞り出そうとしたけれど、何も込み上げてくるわけもなく……。
とりあえず、涙の代わりに「ぐすっ」と鼻を啜っておいた。
まさか私がそんな反応を返してくるとは思わなかったのか——彼女は広げたままの扇子で目元より下を覆い、訝しげな視線を向ける。
「……それ、本気で仰っておりますの?」
「もちろんですわ……シュバルト公爵令嬢のお言葉の通り、わたくしには王太子妃は————」
「あ、ベアトリス。こんな所にいたのかい?」
「わたくしには王太子妃の座は荷が重い」と言おうとした瞬間————ちょうど良くやって来たクロード様に遮られてしまった……。
「ク、クロード様……」
「殿下!」
引き攣った顔の私とは正反対に、シュバルト公爵令嬢は一瞬で扇子を閉じ、満面の笑みを浮かべた。
「やあ、シュバルト公爵令嬢。ベアトリスと一緒だなんて珍しいね」
「たまたまお会いして、少しお話させて頂いておりましたの」
「へえ、そうなんだ」と笑顔で答えているけれど、相変わらず黒い靄のようなものが漏れ出ている気がしてならない。
何となく、クロード様に『婚約者辞退』という言葉を聞かせてはいけない、と私の本能が火事を知らせる鐘を叩き割るほどの勢いで警鐘を鳴らしまくっている。
神様、仏様、シュバルト公爵令嬢様!
お願いです!余計なことは言わないで下さい!!
「一体、何の話をしていたのかな?」
キターーーー!!逃げたい!今なら自己ベスト出せる勢いで逃げたい!
内心冷や汗をダラダラと垂れ流しながら、必死に微笑みを浮かべ続けている。
「……まあ、わたくしの口からは……ですが、そうですわね。婚約者のことですし、殿下にも知って頂いたほうが後々よろしいかもしれませんわ」
チラッと横目で一瞥されたけれど、口元は片側の口角が僅かに上がっていて愉悦を含んでいた。
待って!待って、待って、待って!!
今、何を言おうとしていますか?!
「ベアトリスのこと?一体、どんな話かな?」
相変わらずにこにこと微笑んでいるけれど、その笑みを素直に受け取っているのはシュバルト公爵令嬢だけだ。
私もクロード様の後ろに控えている側近三人衆も、顔が引き攣りまくっている。
お願い!私たちの表情に気付いて下さい!
そんな私の必死の願いに応えるかのように、チラチラとこちらの顔を窺っているのに、彼女が話すのを止めようとする気配はない。
……ん?いや、待てよ?もしかして、私の表情には気付いているんじゃ……。
もしかしたら、私がクロード様に『噂を知られたくない』から嫌そうな顔になっていると勘違いしている!?
何てこった!!嫌がらせで『知られたくないことを知らせてやろう!』という発想に至ってませんか!?
違う、違うよ!!私だけじゃなく、側近三人衆の顔も見て!!
「実は……最近アッシュローズ公爵令嬢に関して、宜しくない噂が流れておりますの」
「よろしくない噂?」
オーーマイ、ガッ!!
言っちゃったよ!神様、仏様!さっきお願いしたじゃないですかーー!
「ええ……アッシュローズ公爵令嬢が家の力を使って、身分が下の者に圧力を掛けて虐げている……というものですわ」
「へえー。初耳だね。誰がそんなことを言い出したのかな?」
「それは存じ上げないのですが、何でも実際に圧力を掛けられた方のようですわ」
シュバルト公爵令嬢は残念そうに片手を頬に添えて一つ溜め息を吐いているけれど、溜め息を吐きたいのはこっちだ!!
「そうか……それは由々しき事態だね」
「ええ、本当に。王太子殿下の婚約者という立場ですのに」
「そうだね。未来の王太子妃を侮辱するような嘘を広めている者がいるなんてね。すぐに調べないと」
シュバルト公爵令嬢は予想外の返答を聞いて「え?」と戸惑っている。
「教えてくれて助かったよ。ベアトリス、気付くのが遅くなってごめんね。不安だっただろう?」
クロード様は眉尻を下げてしゅんとした顔で私の前に立つと、ギュッと私の両手を握った。
「大丈夫だよ。すぐにそんな噂なんか払拭して、犯人を見つけ出すから。安心して」
……ああ、神様、仏様。私は前世で何か罪を犯したのでしょうか?
がっしりと手を握られたまま、私はそのまま気を失いたくなった。




