帰城 2
無力感に苛まれつつ、レオノールの夢中の抵抗に、振りほどかれないようクラウディオも必死になった。
「ああぁ……ううっ! 放して、助けて」
手首を握りしめる拘束が外れないと知ると、今度はクラウディオの腕を引き剥がそうともがいた。
「うぅ……あぁ……いやっ!」
かすれた声は、まるで喉を焼かれているかのように震え、唸るような音に変わっていた。
その言葉は今までのレオノールからは考えられないほど弱々しく、切実なものだった。
助けを乞われて、クラウディオの胸の奥で、何かがきしむ。
無力さが骨身にしみる一方で、確かに高揚の火種が胸に点った。
「すまない、レオノール。だが……うっ!」
拘束を無理に剥がそうとした彼女の爪が、クラウディオの手の甲を容赦なく掻き裂いた。
皮膚が破れ、赤い線が幾筋も走る。ひりつく痛みに顔が歪むが、怯んではならないと歯を食いしばる。
苦しみの淵にいるレオノールを支えてやれるのは、クラウディオしかいない。
しかし、怯むなと自らを励ましたところで、痛恨の一撃を受ける。
「助けて、放して……もう……セレスっ、お願い……!」
その瞬間、胸の奥に鈍器で打たれたような衝撃が走った。
レオノールは閉じた瞼から涙を流して懇願した。
両方の手首を抑えられて自由にならない腕で、クラウディオの胸に縋り付く。
クラウディオに縋り付いているのに、レオノールが呼んだのは、別の男の名前だった。
(そうか。ーー俺では、ないんだ)
無意識に零れた名は、セレス。
幼馴染であり、苦楽を共にした盟友の名。
命の危機に瀕した時、誰を頼るかなど、考えるまでもない。
それが当然のことだとわかっていながら、クラウディオの胸は確かに抉られた。
(傷付いている? 馬鹿な……何を期待していたんだ)
レオノールは契約上の妻に過ぎない。
距離を置くと決めたのは自分自身だ。
なのに、ほんの一瞬でも、自分の名を呼んで欲しいと願っていた。
それが愚かであると理解したからこそ、胸に広がる痛みは鋭い。
クラウディオは薄く自嘲し、視線を落とした。
(これが、俺の望んだ結果だ)
胸中で自分に言い聞かせながら、強く握りしめた手首に目を落とす。
強く握った彼女の手首は、腕力に抗ってなお震え、指先は白く血の気を失っている。
「すまない、レオノール。だが」
弱気に襲われ、力加減を誤ったかと怯んだ隙に、レオノールは手を振り払う。
爪を肩へ突き立て、ブラウスを裂くほど掻きむしる。
「やめろッ!」
クラウディオは咄嗟に抱き締め、肩を覆い隠した。
それでもレオノールは暴れ、胸に縋りついたかと思うと襟元を掴む。
力任せに布を引きちぎる。
ボタンが飛び、破れた布がひらめいた。
何もしてやれないし、必要とされてもいない。
無力さに打ちのめされ、意味をなさないことも承知している。
これはそうだ。全部、自己満足だ。
「熱いっ……燃える、燃えるの……! だから……っ!」
「駄目だ。頼む、耐えてくれ……!」
その悲鳴は、聞く者の胸を焼き切るような痛みを孕んでいた。
全身を反らせて暴れる度に、爪や拳がクラウディオの背や腕を叩き、切り裂いた。
爪痕は焼けるように沁み、じわじわと血が滲む。
必死の抵抗を抑え込むのは、暴れる獄囚を押さえるよりも難しかった。
全身の力を使っても、彼女の狂おしい力は止まらない。
クラウディオは押さえ切れず、座席から転がり落ちる。
だが、腕だけは決して放さなかった。
「殿下!? どうなさいました!?」
御者の慌てる声が馬車の外から響く。
クラウディオは額を座席に強かに打ちつけ、血が滲むのを感じながら怒鳴った。
「問題ない! 走れ!」
彼の胸に突っ伏したレオノールは、熱に浮かされたように荒い息を繰り返す。
「ううっ……っあつぅ……背中まで、焼ける……!」
声は嗄れ、体温は灼けるほどに上がっている。
クラウディオはただ、祈るように抱き締め続けた。
いずれ、レオノールの身体が毒に打ち勝つ。
その時を信じて。




