6 急接近 放課後の二人
その日の放課後、私は思いもよらず、教室でなんと、いきなり彼と二人きりになってしまったのだった。
ことの発端は始業式の後、新クラスでの最初のLHR 。
まず最初にお約束である自己紹介の後、クラスの係、役員を決める時のことだった。
「それでは、これからクラスの係、役員を決める訳ですが、私は常日頃、生徒の自主性を重んじたいと考えています。そこでまず、クラスの代表であるHR委員を決めて、後の進行をその人達に託したいと思います」
目方先生がそう言った時、
「それってつまり、先生がラクしたいだけじゃん」半笑いの海斗がぼそっと言った。
「そんなことはありませんよ、山下君。私だってちゃんといただいている給料分の仕事はします。ですから毎年なかなか成り手の見つからない・・・」
先生は笑顔で続けた。
「一番肝心なクラスの代表であるHR委員だけは、男女一人ずつあらかじめこちらで選んでおきました」
「はっ? 給料分の仕事って、たったそんだけ!」
茶化した海斗の言葉に皆が笑い出した。
「安月給ですからねぇ。まあ、そんなもんでしょう」
口元を綻ばせ先生が微笑んだ。
「ですからみなさん、私に給料分以上の労働を強いるような迷惑行動は、厳に謹んでください」
人差し指を立て、冗談っぽく言う。
「わっかりました、了解どぇす!」
おどけたポーズで答えた海斗の言葉に、再び皆が笑い出した。
「さて、それでは・・・。藤井君、永戸さん、どうぞお二人前へ。あなた方がこのクラスの代表のHR委員です」
目方先生が私たちの方を見て言った。
「えっ!」突然の指名に、私は驚いて思わず顔を上げ、目方先生を見た。
「そんな、どうして僕たちなんですか?」
私の後ろの席の藤井君も異議を唱えた。
「それ、どうやって決めたんですかぁ、先生の独断ですかぁ?」
どこからか誰かの声が聞こえた。
「選考方法ですか?」首を傾げて目方先生が言った。
「そんなの適当に決まってるし」
「やっぱ先生の思いつきだ」
皆が思ったことをそれぞれ口にする。
「さっきあの二人が廊下で仲良く抱き合ってんのを見たからじゃね」
海斗がわざとみんなに聞こえるような大きな声で冷やかしの言葉を投げた。
「なっ!」
その言葉に、私は席から跳び上がらんばかりに驚いて声を上げた。
「ざけんな、海斗!」藤井君が叫んだ。
「静粛に!」
目方先生は大きく両腕を広げ、
「もちろん私の独断などではありませんよ」
と、教室内のざわめきを落ち着かせるように言った。
「例年いくら時間を掛けて話し合っても、結局はくじ引きになることが多いですからねこの役は。それでは結果的に非常に効率が悪いです」
そこで言葉を切って微笑むと、背広の内ポケットから大きな紙を一枚取り出して広げ、皆に見せた。
「ですから、私があみだ籤を作って、あらかじめ抽選をしておきました。さあよく見てください」
先生は皆に見えるようにその紙を掲げた。その紙に書かれたくじの結果は、どういうわけか、後ろの方の席からでもなぜだかそれがよくかわかった。
「ご覧の通り、このあみだ籤の結果、お二人に決まりました」
そう言ってニヤリと笑った目方先生が、その時の私にはなんだかとても薄気味悪く見えた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
と言う訳で、私たちは見事、毎年成り手が居ないという、クラス代表であるHR委員に選ばれてしまったのだった。
けれど、目方先生は本当に事前にくじ引きをして私たち二人を選んでいたのだろうか。そんな偶然あるのだろうか。それに、私も藤井君もB組ではなく、二人それぞれC組、A組だと思い込んでいたのもなんだか腑に落ちない。
それはともかく、今私は放課後の教室で、彼、藤井敦史と二人きりだ。
(どうしよう? ドキドキする。なんだかいろいろなことが気になって彼のことを直視できない)
でもこれは、もしかすると彼は死に別れた元の私の息子、敦史かもしれないという、母、中井和泉としての感情なのだろうか?
それとも今朝、駅で彼に助けられてから、その後の廊下での一連の出来事で、なにかしら彼に惹かれ始めている十六歳の女子高生、永戸愛奈としての想いなのか?
(一体どっちなんだろう?)
「まったく、初日から人使いが荒いよな、目方先生って」
前後の席である私と藤井君の机をくっ付け、そこに広げた大きな模造紙を前にして彼が言った。
放課後、HR委員になった私たち二人に課せられた最初のお仕事。それはこの目の前の模造紙にクラスの係と役員の一覧表を書いて作ることだった。
「仕方ないよ。くじで選んだ、って言うんだし」私は口をへの字にして言った。
「まあね、でもそれって本当かなぁ。なんかいろいろと胡散臭いんだよなぁ、あの先生」
どうやら藤井君も同じようなことを考えていたらしい。
「でも実際、証拠のあみだくじの紙もあったし」
「そうなんだよなぁ・・・。 ーーまっ、そんなこと言ってても仕方ないし、早く作っちゃおう」
「うん、そうだね」
そう言うと、私はペンケースを取り出そうとバッグに手を伸ばした。
と、その時私は、こちらをじっと見つめるような彼の視線に気が付いた。
「あのさ、なんか今日はいろいろとゴメン」
藤井君が少し横を見ながらぽつりと言った。
「えっ? なにが」
「いや、その…。海斗がいろいろと」
「ああ、うん、別に気にしてないから」
私はバッグの中に視線を遣ってペンケースを探すふりをした。気にしていないという言葉とは裏腹に、その実はいろいろと滅茶苦茶気にしていたのだ。
それを彼に気取られないように、さっきから何気ない素振りをずっと装っていた。
「でもさ、海斗のヤツがあんなこと言って、変な噂とかたったら困るでしょ?」
「変な噂って?」
「いや、だから廊下で抱き合っていたとか…」
「ああ…、あれは藤井君が私を助けてくれたわけだし、たくさんの人が見てたし、大丈夫だよ、きっと」
「でも、永戸さんにつき合っている人とかいて、もしその人に勘違いされたら困るでしょ?」
「だ、大丈夫。そんな人いないから」
慌てて否定した。確かにかつての愛奈の記憶にそんな人はいなかった。
「そう、なんだ・・・」
「藤井君こそ、藤井君の彼女に勘違いされたら困るんじゃない? …って、私なんかと勘違いされるわけないか」
(なんか私、嫌な奴だ。わざと気を惹くような言い方して…)
「そんなことない! 俺だって、そんな、彼女なんていないし・・・」
「へえぇ、そう、なんだ」
(意外…。モテるって聞いてたし。でも何だろう、このホッとしたような妙な安堵感は!)
「それに、なんか熱があるかみようとして、おでこ触ったり、くっ付けたりして」
「ああぁ…。あれはちょっと、恥ずかしかったかなぁ」
その時のことを思い出し少し俯き加減になって答えた。
「だよね、俺も後からみんなに言われて、人が大勢見ていたし、まずかったかな、って」
「う、うん…」
「でも、なんだか、永戸さんって、他人のような気がしなくて」
「えっ⁉」
(どういうこと?)
「去年はクラスも別だったし、よく知らなかったから、特に気にしてなかったんだけど。今朝、駅で君が落ちて来たのを受け止めた時から…。その、匂いが気になって…」
「えっ? ニオイ!」
(えええええええ、なに? なに? 私って臭うの? えっ、私ってそんなにクサイの⁉ 昨夜ちゃんとお風呂入ってキレイに洗ったはずなのに? この時代は朝風呂、朝シャン必須なの? 夜だけじゃダメ? じゃないと人に不快感を与えてしまうほど、この十年でみなさんそれほどまでに嗅覚が発達してしまっているの?)
「ごめんなさい! 恥ずかしい。私って、クサかったんだ。ゆうべちゃんとお風呂入ったんだけどな…」真っ赤になって俯きながら、最後は消え入るような声で言った。
「えっ⁉ いや、違う、違う。逆だよ」
慌てたように顔の前で手を横に振った。
「へっ?」
「いや、その…、こんなこと言うの、恥ずかしいんだけど」
今度は藤井君の方が照れくさそうに視線を逸らした。
「永戸さんって、いい匂いがするって言うか、それが凄く安心する匂いって言うか…」
「それって、どういう…」
ポカンとして彼を見つめた。
「似てる、って言うか、同じなんだ。・・・死んだ母と同じ香りが、仄かに漂ってくるような気がするんだ、君から…」




