5 目方先生
目方先生と呼ばれたその紳士は、やさしい笑みを浮かべながら静かに私たちに向って尋ねた。
「一体どうしたというのです?」
ここぞとばかり、傍にいた加奈と麻友が敵意丸出しで海斗を指差しながら事情を説明した。
「なるほど、そういうことですか。しかし…、君のような紳士が、レディに対してそういう態度はいただけませんねえ…。−−ねえ、山下君」
目方先生はチラリと山下君の方を見て、ユーモア混じりに諭すような口調で言った。しかしその言葉の奥に、どことなく威圧的な雰囲気が漂っているようにも思える。
「あっ、はい! スンマセン!」
山下海斗は気を付け、敬礼をして答えた。けれど、その仰々しい彼の態度が、少しばかりふざけ気味なようで、あまり反省しているようには見えない。
しかし先生は海斗のそんな様子には注意を払うことなく、私たちの方へ近寄り、少し腰を屈めて笑顔で尋ねた。
「気分はいかがですか? 永戸さん」
私の眼を覗き込むように見つめながら尋ねた。
「は、はい。たぶん、もう大丈夫だと思います」
その視線に、なんだか心の奥を探られているような気分になって、おずおずと答えた。
「そうですか、それはよかった。・・・おやっ?」
「永戸さん、ゆっくりと息を吐いてみてください」
先生に言われるまま、私は小さくふうっ、と息を吐き出した。
「ふむ、これは・・・」
先生は視線を逸らし、少し考える素振りを見せたが、再び視線を戻して言った。
「君は睡眠誘導剤か何か使っていますか?」
「いいえ。お医者様には精神安定剤だけ処方されています。必要な時にだけ飲むようにと。でも今日は飲んでいません」
「そうですか。なるほど」
目方先生は顎に手をやって、再び何か考えている様子だった。
「あの、も、もう大丈夫です」
「そうですか。どうです、立てそうですか?」
「はい」
先生を見上げて頷いた。
「ということですから、藤井君。そろそろ彼女を解放してあげてください」
(フ・ジ・イ君・・・?)
「いや、でも…」
それでも、まだ彼は躊躇しているようだった。
「ほんとうに大丈夫です。それに、あの、恥ずかしいので。みんなが見てるし…」
「えっ?」
私の言葉に辺りを見回し、ようやく二人に対する周囲の興味本位な視線に気が付いた様子だった。
「あっ、ごめん」
一緒にゆっくりと私を立たせると、そのまま素早く身を離した。
「いいえ、こちらこそ迷惑かけてごめんなさい。ありがとうございました」
そう言って私が下げた頭を上げると、すぐに加奈と麻友が両脇から支えるように私の腕を取った。
「大丈夫? 愛奈」
「う、うん」
一連の出来事と、戸惑うような彼の言動に、なんだかまだ自分の顔が紅いような気がした。
(もう! いい歳して、なにドキドキして舞い上がってんの、私。しっかりしなきゃ!)
廊下に予鈴のチャイムが響き渡って、私たちの周りに集まっていた生徒たちも、それぞれ各自教室へと向かって行く。加奈と麻友も手を振りながらB組の教室へと入って行った。
しかし、最後に私がC組、彼がA組に行こうとすると、見ていた目方先生が私たちを呼び止めた。
「藤井君、永戸さん。お二人ともどこへ行くのですか?」
「えっ⁉」
「どこって、A組です」
「私はC組に」
「何を言っているのです。二人とも新しいクラスはB組。私のクラスでしょう」そう言って妖しく微笑む。
「えっ、そんな。僕は確かA組のはず」
「私もさっき玄関の新クラスの表を見てC組だと・・・」
「そんなはずはありませんよ」
目方先生はニヤリと笑うと、手にしていた出席簿を開いて私たちに名票を示す。
「御覧なさい」
差し出された出席簿を見ると、確かにクラスの名票の後半に「永戸愛奈」の名前があった。ところがその一つ下に、私はそれよりもさらに驚くべき名前を見つけたのだった・・・。
「そんな…」
「あれ? 本当だ。それじゃ、あっちが間違えてたのかな…」
「藤井って…、あなた、藤井敦史なの?」
その意外な問いに、彼は私を見て、怪訝な顔で答えた。
「そう、だけど。なんで?」
(まさか・・・、もしかしてあなた、あっくんなの?)
「藤井」は行方不明になった私の元の夫の苗字だ。私の生前、敦史は「中井」の姓を名乗っていたけれど、私が死んだ後、もし彼が父方の家に引き取られたとすれば、今現在「藤井」の姓を名乗っていたとしても何の不思議もない。
けれど、そんな都合のいい偶然があるわけ・・・。
(まさか(女)神さま! 何かよからぬこと、企んでいたりしませんよね?)
「二人とも、何をしているのです? ――さあ、行きましょうか、B組の教室へ」
微笑みながら、再度目方先生が私たちに声を掛けた。
☆☆☆☆☆☆☆☆
始業式の後、LHRが始まるまでの間、以前から仲の良かった他のクラスの友達も、数人私の周りに集まってきて、無事に退院し、復学出来たことを喜んでくれた。
今の私に永戸愛奈として生きていた時の記憶はあっても、自分が彼女であるという意識、自覚はないので、あまり実感は湧かないのだけれど、口々に「よかったね」とか「おめでとう」とか言われると悪い気はしない。
「愛奈って藤井君とあんなに仲良かったんだ。でもさ、去年は違うクラスだったよね?」
その中の一人が私の後ろの席をチラリと見て言った。
彼は今教室の後ろの方で友人たちと話をしていてその席にはいない。
「うん、全然知らなかった。だから仲がいいってことはないかな…。今日初めて会った感じ」
確かに永戸愛奈の記憶の中に、藤井敦史という人間の存在はなかった。同じ学校の同じ学年であったとしても、ほとんど接点がなければ、記憶に残っていなくても当然だろう。だからこそ、意外過ぎてさっきも驚きを隠せなかった訳だが・・・。
ただ、まだ彼が本当に私の死に別れになった息子と決まったわけではない。同姓同名ということだって十分考えられる。いや、むしろそっちの方が自然だろう。
「だけどやばくない、あんなお姫様抱っこみたいに抱きかかえられたら。惚れちゃうじゃん!」
「そうそう。ああっ、キスされちゃうって、見ててキャーって思った」
「したら、おでこあてて熱あるかみるとか、お母さんか!」
「もう、やめてよ、ほんとに具合が悪かったんだって」
「そうだよねえ、二か月も意識がなくて、眠り続けてたんだもんねえ」
「まあ、そういうことにしておきましょう」
皆、一斉に笑い出す。なんだか照れ臭いような、恥ずかしいような変な気持ちだ。
(私の意識の主体は、確かにアラサー子持ちの中井和泉なんだけど、でもその半分は十六歳の女の子なんだよなあ。同年代のカッコイイ男の子に惹かれる気持ちがあるのも無理ないのかも・・・)
「でもあの人って、地味に女子に人気あるよね」
「地味な人気ってなんだよ?」麻友が笑いながら尋ねた。
「だから、あの人運動部とかで派手に活躍したり、ダンス部とか軽音とかでもないし、あんまり目立たないけど、ルックスいいし、チャラくないし、誰にでも優しくて、誠実そうだって」
(へえ、そうなんだ…)




