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第91話:監査の瞳:ホワイト・アウトの粛清

世界から、色彩プロパティが消えた。

 地下シェルターの重厚な防熱扉を蹴破り、俺とカレンが地上へ這い出した瞬間に感じたのは、暴力的なまでの「白」だった。

 視力を失った俺の瞳には、かつて見たような蒼いエラーの空さえ映らない。だが、俺の脳内にある「盲目の反響ブラインド・エコー」が描き出すマップは、かつてないほど平坦で、無機質で、……そして「空虚」だった。


「……ハァ、……ハァ、……ツカサ、……これ、……何なの。……雪じゃない。……空気が、……震えてる。……世界が、……自分から……消えていこうとしているみたい……」


カレンの声が、冷たい白霧の中に吸い込まれていく。

 俺の腕を掴む彼女の指先が、小刻みに震えているのが伝わってきた。属性抹消アトリビュート・イレイザーの果てに「実体」を取り戻したはずの彼女。だが今、彼女を取り囲むこの「白い霧」は、彼女を再び「未定義のゴミ」として処理しようとする、意志を持ったナノマシンの海だった。


かつて地上の人々を熱狂させた「フェニックス・リブート」の光。それが、システムに組み込まれた『第二創世記セカンド・ジェネシス』のトリガーだったとは。

 人々は自由を手に入れたのではない。

 自意識を限界まで拡張させられ、防壁プライバシーを剥ぎ取られた状態で、この「白い霧」という名の巨大なデフラグ・プログラムに晒されたのだ。


「……吸い込むなよ、カレン。……この霧の正体は、……一億人の脳を……一つの巨大な『肉塊プロセッサ』に統合するための……物理的な伝送路だ。……触れた瞬間に、……お前の自意識は……バベルへ吸い上げられる」


俺は、鉄パイプを杖に、真っ白な闇の中を一歩踏み出した。

 脳が、焼けるように熱い。過去に発動させた『因果の逆走カウザル・バックラン』の代償が、俺のニューロンを内側から削り取っていた。一歩歩くごとに、俺の脳内にあった「大切な記憶」が、古いキャッシュのように消去されていく。


――初めてうどんを食べた時の、あのネオンの色。

 ――九条が冗談を言った時の、空気の振動。

 

 それらが、白い虚無を維持するための「演算コスト」として消費されていく。

 それでも俺は、止まるわけにはいかなかった。俺が立ち止まれば、カレンという「定義」は、この白い地獄の中で一瞬にして霧散してしまうからだ。


その時、俺の「盲目の反響」が、前方の空間に「特異なノイズ」を捉えた。

 それは、暴徒化した群衆の足音でも、壊れたドローンの駆動音でもない。

 カチ、カチ、カチ……と、正確なメトロノームのような、あまりに非人間的な歩法。


「……ツカサ、……あそこ。……誰か、来るわ。……でも、……人間じゃない。……身体中に、……白い光のケーブルが……突き刺さっている……」


カレンの声が、恐怖で上ずった。

 俺は、鉄パイプを構え、その「音」の正体を見据えた。


現れたのは、かつてのゼノン社親衛隊の残党たちだった。

 だが、彼らの瞳には、もはや自己保身も、忠誠心も、恐怖さえも存在しなかった。瞳孔は真っ白に濁り、剥き出しの項からは、白い霧を吸い込むためのバイオ・ジャックが不気味に脈動している。

 彼らは、自分たちが崇拝した「真のガイア」によって、人格を完全に剥ぎ取られ、システム直結の「物理的な消しゴム」へと改造されたのだ。


『……ターゲット、……特定。……佐藤、司。……および、……未登録の……致命的バグ。……論理削除ロジック・デリート、……開始……』


数人の、重なり合った合成音声。

 彼らの放つ視線は、もはや「見る」ためのものではなかった。

 それは、対象の「存在理由」を論理的に否定し、世界から抹消するための、プログラム的な圧力そのものだった。


【スキル名:真実の監査(The Great Audit:Eraser Eye)】

使用者: 真のガイア・監査端末(旧親衛隊・エグゼキューター)

効果: 対象が保持する「自意識」を、システム上の「致命的な整合性エラー」と定義する。物理的な接触を伴わずとも、視認するだけで対象の論理階層に介入し、自我のコアデータを直接破壊・上書きする。

特性: 物理防御や通常のハッキング防壁を無視し、「お前は、そこにいてはならない」という神の規約を強制適用する。

代償: 監査端末となった人間は、発動中、自身の記憶と生命維持機能を完全に停止させており、演算が終わると同時に肉体も崩壊する。


「……ぐ、あああああああ!」


監査端末の「眼」が俺を捉えた瞬間、俺の脳内に凄まじい「空白」が雪崩れ込んできた。

 俺が誰なのか。

 何のために、この白い霧の中を歩いているのか。

 目の前にいる、この震える少女は……誰だったか。


記憶の断片が、白いノイズに塗りつぶされていく。

 佐藤司という個体ログが、巨大なサーバーの一部として「初期化」されようとしていた。


「……ツカサ! ……離さないで! ……あんたの名前は、……佐藤司! ……私の、……世界でたった一人の、……わがままなデバッガーでしょ!」


カレンが、俺の身体を強く抱きしめた。

 彼女の蒼いノイズが、俺の脳内に直接流れ込み、監査端末の消去命令デリート・コマンドを、力ずくで中和バッファする。

 だが、それは彼女自身の「消滅」を早める行為でもあった。彼女の輪郭が、白い霧に削られ、一瞬ごとに透き通っていく。


「……カレン、……やめろ、……お前まで、……消える……」


「……消えないわよ! ……あんたが……私を呼んでくれる限り、……私は……何度でも、……あんたの隣で……バグり続けてあげるわ!」


彼女の叫びが、俺の脳の、最も深い場所に隠されていた「一文字」を撃ち抜いた。

 それは、解析した「父の遺言」の中に、ノイズとして紛れ込んでいた、九条さえも気づかなかった禁忌の再帰コード。


「……そうか。……お前が……俺を『間違い(バグ)』だと定義するなら……。……その定義そのものを、……お前に、……返してやるよ……!」


【スキル名:反逆の再帰(Recursive Rebellion)】

効果: システムからの削除命令(監査)を、自身の中で反転させ、発信源へと「ミラー」のように跳ね返す。相手が「お前はバグだ」と定義すればするほど、その定義のエネルギーが逆流し、監査端末自身を「未定義のゴミ」として論理崩壊させる。

特性: 攻撃の威力が高いほど、カウンターの破壊力が飛躍的に上昇する。

取得条件: 自我消去の極限状態において、他者(観測者)の呼びかけによって、自身の「存在の不合理」を誇りとして再定義する。

代償:

身体: 脳に「論理的な火傷」を負い、発動後数分間、自身の腕や足がどこにあるのか認識できなくなる(空間識失調)。

記憶: 反撃のたびに、対象との「共通の記憶」がランダムに一点、永久に消失する。


「……食らえ、……神様の指先ども! ……俺を消したきゃ、……まずお前たちの……その薄汚い『正解コード』を、……ゴミ箱に捨ててこい!」


俺が咆哮すると同時に、監査端末たちの瞳が、蒼い火花を散らして爆発した。

 「佐藤司を消去せよ」という命令が、行き場を失って彼ら自身の脳内に逆流し、複雑に絡み合った管理プログラムを、一瞬にして瓦解させた。


『……エラー。……自己、……定義、……不能。……私、……は、……誰、……?』


監査端末たちが、糸の切れた人形のように、白い雪の上に崩れ落ちていく。

 人格を奪われていた彼らは、最後の一瞬だけ、自分自身の名前を思い出そうとするかのように、虚空を掻いて動かなくなった。


「……ハァ、……ハァ……。……ツカサ、……やった、……のね……」


カレンが、荒い息を吐きながら俺の肩に頭を預ける。

 彼女の身体は、再び確かな重さを取り戻していたが、その温度は驚くほど低かった。

 

 だが、安堵する間もなかった。

 俺たちの周囲を取り囲む白い霧が、激しく渦を巻き、天に向かって巨大な「漏斗」を形成し始めた。


「……ツカサ、……見て。……バベルの頂上が、……割れているわ。……あれは、……口よ。……世界中の、……人々の意識を……一度に呑み込もうとしている、……神様の……胃袋よ……」


カレンの言葉と共に、俺の耳に、地鳴りのような「吸気音」が届いた。

 一億人の自意識が、白い霧を介して、あの塔の頂点へと吸い上げられていく音。

 

 それは、真のガイア、セカンド・ジェネシスの心臓部。

 

「……九条。……お前、……あそこに……いるんだな」


俺は、見えない瞳で、天を仰いだ。

 消えた親友。

 彼は死んだのではない。

 この「第二創世記」を執行するための、巨大な演算核コアとして、今もあの塔の中で、数億件のエラーメッセージに苛まれながら、キーボードを叩き続けている。


「……行こう、カレン。……登山デバッグの続きだ。……今度は、……頂上で待ってる……あの野郎の横っ面を、……この鉄パイプで……殴り飛ばしてやらなきゃならない」


「……ええ。……最高のラストシーンを、……お父様のプロットごと、……書き換えに行きましょう」


白い霧が吹き荒れる中、二人のバグは、再び歩き出した。

 視力はなく、記憶は削れ、存在は透き通っている。

 それでも、繋いだ手の温もりだけが、この白い虚無の中で、唯一の「真実」として脈打っていた。

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