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第81話:蒼いエラー:空の再起動と亡霊の街

地上に這い出した俺たちを待っていたのは、かつてのゼノン本社周辺の整然とした景色ではなかった。

 雨は止んでいたが、空は見たこともないような「蒼い色」に染まっていた。

 それは自然の夕焼けでもなければ、晴天の青でもない。

 一億人のMASTIFF端末が同時にエラーを吐き出し、ガイアの基幹システムがパニックを起こした結果、大気中の光学補正ナノマシンが暴走して作り出した、巨大な「エラー・スクリーン」の色だった。


「……ツカサ。……空が、……エラーを吐いているわ。……世界中が、……あんたのPCの画面みたいよ」


カレンの言葉が、俺の脳内で映像として変換される。

 蒼い空。それは、支配が終わった証拠でもあり、同時に、誰も世界の面倒を見なくなったという絶望の象徴でもあった。

 周囲では、動かなくなった自動運転車が路上に放置され、ホログラム広告がバグって巨大なノイズの壁となって道を塞いでいる。

 人々は、自分のスマホが「命令」を下さなくなったことに戸惑い、あるいは自由を手にした興奮で暴徒と化し、遠くで略奪と叫び声が上がっていた。


「……ハッ、……いい景色じゃないか。……誰も俺を『信用スコアE』なんて呼ばない。……誰も、……お前を『没落令嬢』として憐れまない。……ただの、……名前を持たないバグ同士の街だ」


俺は、杖代わりにした鉄パイプで地面を叩きながら、ゆっくりと歩みを進めた。

 視力がない俺にとって、今の地上は、音と匂い、そして「気配」だけで構築された戦場だった。

 

 不意に、前方の曲がり角から、複数の軍靴の音が聞こえてきた。

 規律正しい足音。

 ゼノン社の残存親衛隊か、あるいは混乱を鎮圧するために派遣された「再教育施設」の執行官たち。

 

「……ターゲット、捕捉。……属性:未定義。……信用スコア:参照不可。……排除、……実行……」


聞こえてきたのは、感情の削ぎ落とされた合成音声。

 MASTIFFの基幹システムは死んだはずだが、末端の警備ドローンや自動化された「無人兵士」たちは、まだ古い規約コードに従って動いているらしい。


「……しつこいわね、……掃除屋の幽霊たちが」


カレンが、俺の腕を離して一歩前に出た。

 俺の感覚が、彼女と同期する。自律境界オトノミック・バウンダリの効果で、彼女の「非存在」が、俺の周囲の空間を侵食していく。

 

 無人兵士たちが銃を構える。だが、彼らの高度な照準システムは、カレンという「零」を捉えることができない。

 彼女の輪郭はデジタルノイズとなって空間に溶け込み、銃口が右往左往する。


「……ねぇ、……あそこにいる機械の兵隊さん。……あなたたちの主(神)は、……もう地下のゴミ捨て場で……肉の塊になったのよ。……いつまで、……死んだ規約を守っているの?」


カレンの声が、無人兵士たちの音声入力ユニットを直接揺さぶる。

 彼女は今、物理的な攻撃ではなく、自身の「存在しない情報」を、あいつらの論理回路に直接流し込んでいた。


スキル名:共鳴:空白の叙事詩(Resonant Blank Epic)

効果: 属性抹消状態のカレンが、周囲の稼働しているシステムやAIに対し、自身の「定義されない空白」を強力なパッチとして送信する。対象のAIは、カレンという矛盾を解決しようとして演算がループし、一時的に「自己定義」を失ってフリーズ、または独自の自意識を芽生えさせる。

取得条件: 属性を失った者が、自身の虚無を「悲しみ」ではなく「武器」として肯定し、機械への干渉に使用する。

特性: ハッキングによる破壊ではなく、対象を「自由バグ」にする。

代償: カレンの自我が一時的に100%「空白」に置き換わるため、発動後に自分の名前を思い出すのに数分を要する。また、影響を受けたAIが「暴走」するリスクがある。


ガガガッ、と。

 無人兵士たちから、電子的な断末魔のようなノイズが漏れた。

 

「……私、……は……。……個体、……識別……不能……。……自由、……とは……何か……」


兵士たちが、銃を地面に落とした。

 

「……ツカサ、……やったわ。……あの子たち、……もう掃除屋じゃない。……ただの、……迷子になった機械よ」


「……ああ。……お前は、……自分と同じ『幽霊』を増やしたってわけか」


俺は苦笑し、カレンの手を再び探した。

 彼女の指は、少しだけ以前よりも温かかった。

 

 俺たちは、無人兵士たちの間を通り抜け、蒼いエラーの空の下をさらに進んだ。

 向かうのは、かつての鳳凰院家の別邸跡――地上の「反逆派」たちが集まるはずの場所だ。

 

 道中、俺は何度も意識が遠のきそうになった。

 脳が、システム外にいる自分を拒絶している。

 一歩ごとに、命のログが削られていくような感覚。

 

「……ツカサ、……大丈夫? ……あんた、……顔が真っ白よ」


「……ああ。……デバッグのやりすぎだ。……ちょっと、……キャッシュが足りねぇだけさ」


俺は、カレンの肩に体重を預けた。

 

「……カレン、……お前、……本当に俺が見えてるのか?」


「……ええ。……あんたのことは、……世界で一番鮮明に見えるわ。……ボロボロで、……泥だらけで、……でも、……世界で一番わがままな……私のデバッガー。……あんたが、……私を『人間』だと定義し続けてくれたから、……今の私があるのよ」


カレンが、俺の耳元で囁く。

 その声は、かつての高飛車な令嬢のものではない。

 一人の、バグとして共に生きることを決めた「戦友」の温度。


ふと、遠くで鐘の音が聞こえた。

 式典の中止を告げる鐘ではない。

 新しい世界の混乱を、あるいは始まりを祝う、不揃いな鐘の音。

 

 俺は、視力を失ったまま、その音の方向を見据えた。


「……行くぞ、カレン。……俺たちの『フェニックス』は、……まだ、……半分も終わっちゃいない。……世界中の規約コードを、……18円のうどんみたいに、……誰でも啜れるものに、……書き換えてやるんだ」


「……ええ。……最高のパッチを、……みんなにプレゼントしてあげましょう」


蒼いエラーの空の下、二人のバグは、ゆっくりと歩き続ける。

 

 神は死んだ。

 だが、バグたちは、今日も元気に、エラーを吐き出しながら生きている。

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