第75話:一億人のバグ:式典ジャックと「幽霊」の咆哮
地上。建国記念日の式典会場は、絶頂を迎えていた。
巨大なドーム会場を埋め尽くした数万人の観衆と、政府高官、そしてゼノン社の幹部たち。
ステージ中央では、新CEOが、国民に向けて「完全なる平和」の訪れを宣言しようとしていた。
「……国民の皆様。今日、私たちは、争いも、格差も、孤独もない、新たな進化の扉を開きます。プロジェクト・ガイアによる『意識統合』。それは、私たちが一つの神となる、歴史的な――」
その言葉が、完結することはなかった。
ドーム内の全モニター、そして国民が一斉に見つめていたMASTIFF端末の画面が、同時に暗転した。
一瞬の静寂。
次の瞬間、会場に響き渡ったのは、新CEOの声ではなく、地獄の底から這い出してきたような、一億人分の「悲鳴」だった。
【CRITICAL ERROR:SYSTEM RESTORATION FAILED】
【PROJECT PHOENIX:FORCED EXECUTING】
「……何だ!? 何が起きている!」
幹部たちが狼狽する中、モニターに映し出されたのは、地下のGAIA・コアのライブ映像だった。
脈打つ赤黒い肉塊。その中心に囚われ、赤いグリッチに苛まれながらも、蒼い光を放ち続ける九条の姿。
そして、その肉塊の前に立つ、全盲のハッカーと、蒼いデジタルノイズの亡霊。
「……聞け、地上の『人間』ども!」
九条が、自身の演算リソースの最期の一片を使って、ドーム会場の全音響システムをジャックした。俺の声が、一億人の悲鳴を従えて、地上へと鳴り響く。
「……お前たちが望んだ『平和』の正体は、これだ! 人間を部品にし、苦痛を燃料にして動く、醜悪な肉の神だ! お前たちも明日、この肉塊の一部になって、自意識を失い、永遠に悲鳴を上げ続けることになる!」
会場が、恐怖に凍りついた。
国民が、自分たちのデバイスに映る「地獄」の光景に、戦慄した。
だが、俺たちの反撃は、告発だけでは終わらない。
スキル名:一億人のバグ(One Billion Bugs:Mass Awakening)
効果: プロジェクト・フェニックスの最終段階。GAIA・コアに囚われた犠牲者たちの意識を、逆流パッチによって「解放」すると同時に、地上の全MASTIFF端末に、彼らの「自我の残滓」と「遠藤の遺言(法の真実)」を、消去不能なバグとして送り込む。
代償: ツカサの脳の自我領域が完全に破壊される寸前まで負荷がかかり、カレンの存在確率が一時的に1%以下になる。九条の人格は、このパッチの実行をもって完全に消失する。
特性: ガイア計画の「統合」を物理的に不可能にし、国民一億人に、システムへの「絶対的な不信」という名のバグを植え付ける。
「……九条! ……行けぇぇぇぇぇぇ!」
俺が最後のエンターキーを叩きつけた瞬間、GAIA・コアが激しく鳴動した。
九条の蒼い光が、肉塊の中で爆発する。
コアに繋がれていた無数の犧牲者たちの意識が、物理的な死と引き換えに、データの濁流となってMASTIFFのネットワークへ雪崩れ込んだ。
『……司、……カレン。……18円のうどん、……美味しかった、……なぁ……』
脳内で、九条の最後の、人間らしい声が聞こえた。
そして、俺の脳内モニターから、青いワイヤーフレームの世界が、完全に消滅した。
俺は、真の暗闇へと、突き落とされた。
「……九条ォォォォォォ!」
「……ツカサ! 前を見て! ……私たちが、あいつの遺した『世界』を見るのよ!」
カレンの声に、俺は顔を上げた。
目が見えない俺には、地上のパニックは見えない。
だが、カレンのノイズの腕を通じて、世界が「変わった」振動が、伝わってきた。
ドーム会場では、全MASTIFF端末がエラーログを吐き出し、機能停止していた。
国民は、自分たちの自我が奪われかけた恐怖と、システムの嘘を知り、激しい混乱と暴動を開始していた。
国家という巨大な計算機は、一億人の「自意識」という名のバグによって、フリーズした。
GAIA・コアの肉塊が、機能を停止し、ゆっくりと崩れ落ちていく。
九条の光が消えた、暗黒の神殿で、俺はカレンのノイズの体を、強く抱きしめた。
「……九条は、……消えちゃったわね」
「……ああ。……でも、あいつが植えたバグは、……もう誰にも消せない」
俺たちは生き延びた。
だが、視力を失った全盲のデバッガーと、存在が透けるデジタルノイズの亡霊。
手元には、18円のうどんのキャッシュさえ、残っていない。
「……カレン。……これから、……どうする」
「……決まってるでしょ。……18円のうどん屋が、……まだ地下の瓦礫の下にあるか、……確かめに行くのよ。……全盲のあんたを、……鏡に映らない私が、……案内してあげる」
俺は、カレンのノイズの手を握った。
冷たくて、頼りなくて、でも、世界で一番確かな、バグの感触。




