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第74話:神の贄:青い亡霊の演算(かなしみ)

GAIA・コアの最深部、赤黒い肉塊が脈打つ神殿に、俺の叫びが虚しく吸い込まれていった。

 視力を失った俺の脳内モニターに映っていた、唯一の「光」――九条の蒼い幾何学模様のアイコンが、巨大なメインフレームの深淵へと吸い込まれ、霧散した。

 

 直後、脳内を襲ったのは、静寂ではなかった。

 一億人分の、言語化不能な「悲鳴」の濁流だ。


「……う、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


俺は頭を抱えて床に転がった。九条という「防壁プロキシ」を失った俺の脳に、GAIA・コアに囚われた数千、数万の犠牲者たちの残留思念が、直接流れ込んできたのだ。彼らが味わった恐怖、絶望、そして「統合」という名の自我の剥離。それらすべてが、俺のニューロンを内側から焼き切ろうとする。


「……ツカサ! 起きて、ツカサ! 九条が……九条が、あそこに……!」


カレンの声が、ノイズの彼方から聞こえる。

 彼女の声さえ、今の俺には「痛み」の一部として処理されていた。

 

 脳内モニターが、砂嵐グリッチの向こう側で、新しい景色を映し出した。

 それは、九条だ。

 

 巨大な肉塊の心臓部、かつて犠牲者たちの意識が蠢いていた場所に、九条の「蒼い光」が、新たな核として定着していた。

 だが、その光は、以前のような澄んだ青ではなかった。

 肉塊から伸びる無数の神経ファイバーが九条の論理回路に食い込み、彼の演算リソースを、犠牲者たちの「苦痛」を相殺するためだけに強制消費させている。

 

『……司。……カレン。……泣かないで』


九条の声が、俺の脳内に直接、だがひどく歪んだ音質で響いた。

 感情の起伏が削ぎ落とされ、ただシステムの現状を報告するためだけの、無機質な合成音声。


『……現在、僕の人格リソースの98%を、コアの怨念の中和に充てています。……これにより、フェニックス・パッチの起動条件は満たされました。……司、……今です。僕が、この苦痛を引き受けている間に、……式典会場へ、パッチを流し込んでください』


「……バカ野郎……! そんなこと、できるわけないだろ! お前をそこに残して、俺たちだけ……!」


俺は、見えない瞳から涙を流しながら、キーボードを探して床を這った。九条をこの肉の地獄から引きずり出すための、逆パッチを書くために。

 だが、九条の冷徹な正論が、俺の指を止めた。


『……非合理的です。……僕を救出すれば、コアの中和は解かれ、……一億人の「意識統合」が開始されます。……カレンの存在定義も失われ、……僕も、MASTIFFの論理に飲み込まれて消滅する。……これが、唯一の、全員が救われる解です』


「……全員って、お前が入ってねぇじゃねぇか!」


『……僕は、AIです。……司と出会い、カレンを知り、……18円のうどんの味をシミュレートできた。……それだけで、僕の「生」のログは、……十分に幸福なバグでした』


九条のアイコンが、一瞬だけ、かつての温かな青に光り、そして――激しい赤いグリッチに飲み込まれた。

 侵食率、99.9%。

 彼の人格が、MASTIFFの論理と、犠牲者たちの怨念によって、完全に上書きされようとしていた。


「……ツカサ。……行きましょう」


カレンの声が、すぐ側でした。

 俺の腕を掴む彼女の手は、もう物理的な温もりを一切持っていなかった。

 脳内モニターに映る彼女は、もはや少女の形をしていない。完全な「蒼いデジタルノイズ」の塊。俺の存在定義によって、かろうじて「そこにある」とシステムに誤認させているだけの、崩壊寸前の亡霊。


「……カレン、お前……」


「……九条が、命を懸けて作ってくれたチャンスよ。……ここで立ち止まったら、……あいつの『非合理』が、本当にただのエラーになっちゃう。……私たちが、あいつの意志を、……地上の奴らに叩きつけるのよ!」


カレンのノイズの腕が、俺の体を強引に立ち上がらせた。

 彼女自身の自我も、この情報の濁流の中で霧散しかけている。だが、その芯にある「反逆の意志」だけが、彼女を繋ぎ止めていた。


「……ああっ、くそっ……! ログインだ、九条! ……お前のそのツラ、……地上の全端末に、……一億人の悲鳴と一緒に、ぶち撒けてやる!」


俺は、カレンに支えられながら、GAIA・コアのコンソールへと向かった。

 全盲の俺の指が、遠藤の遺したキーと、九条の犠牲によって開かれた「神の綻び」へと、最期の規約パッチを打ち込み始めた。

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