第73話:最後の執行官:再教育された「正義」
GAIA・コアへと続く最後の大扉。
そこは、物理的な攻撃ではビクともしない、重層的な暗号化障壁で固められていた。
だが、その扉の前で、俺たちの行く手を阻んだのは、機械の番犬ではなかった。
「……待っていたぞ、佐藤司」
聞き覚えのある声。だが、そこには以前のような「意志」の響きは、微塵も残っていなかった。
扉の前に立っていたのは、真っ白な拘束衣のような、それでいて儀礼的な軍服のようにも見える、異様な衣装を纏った男。
遠藤だ。
だが、俺のワイヤーフレーム視界に映る彼は、もはや人間としての輪郭を失っていた。彼の背中には、数本の太いケーブルが接続され、施設の壁から直接リソースを供給されている。彼の瞳は、もはや光を反射せず、ただ無数の演算ログが走る「表示端末」と化していた。
「……遠藤……お前、……死んだんじゃなかったのか」
『……遠藤査察官は、……再教育を完遂しました。……今の彼は、……MASTIFFが直接制御する「物理的執行プログラム(エグゼキューター)」です。……司、……気をつけて。……彼の自我は、……すでに消去されています』
九条の警告と同時に、遠藤の手が、音もなく俺の方へ差し向けられた。
刹那、俺の脳内を、凄まじい「断罪」の重圧が襲った。
それは言葉による説得でも、物理的な暴力でもない。
「お前は不要なバグである」という、世界そのものが突きつける圧倒的な正論。
「……あ、あああああ!」
俺の足の骨が、見えない重力に押し潰されるようにミシリと鳴った。
遠藤――MASTIFFは、自身の周囲の「規約」を書き換え、俺が存在する許可を、その場所から剥奪しにかかっていた。
スキル名:最終執行:規約の檻(Final Execution:Rules Cage)
使用者: 遠藤(執行モード)
効果: 対象が位置する座標の物理法則を、一時的にMASTIFFの管理権限下に置く。重力の増大、酸素の希薄化、そして「座標の存在否定」を同時に行い、対象を物理・電子的の両面から圧殺する。
特性: ステルスや属性抹消であっても、「その場所の空間そのものを否定」するため、回避は極めて困難。
「……ツカサ、下がって!」
カレンが叫び、俺の前に飛び出した。
彼女は属性を失っている。今の彼女は、システム上では「存在しないもの(零)」だ。
遠藤の放った消去のパルスが、カレンの体を透過し、背後の壁を幾何学的な穴へと変えた。
「……無駄よ。……今の私は、……あんたたちの法には、……一文字も載っていないんだから!」
カレンが、属性のない拳を、遠藤の胸元へと叩き込む。
物理的な衝突は起きない。だが、彼女の「非存在」というノイズが、遠藤というプログラムの論理階層を、激しくグリッチさせた。
『……チャンスです! 司、遠藤の接続を逆手に取って、フェニックスの先行パケットを流し込んでください! 彼を……神の束縛から解放するんだ!』
俺は、カレンが作った「一瞬の空白」に、全神経を注ぎ込んだ。
視力のない俺の指が、空間を切り裂くようにキーボードを叩く。
遠藤の背中に繋がれたケーブルを伝い、俺たちの放った「鳳凰院の遺言」が、MASTIFFの基幹システムへと逆侵入を開始した。
「……ぐ、あああ……っ!」
遠藤の口から、ノイズ混じりの絶叫が漏れる。
彼の瞳の中に、一瞬だけ、かつての「仕事に疲れた男」の光が戻った気がした。
「……さ、とう……。……これで、……いい……」
遠藤の体が、火花を散らして崩れ落ちる。
彼は死んだのではない。彼というプログラムが、自身の論理矛盾を解消するために、自ら「エラー終了」を選択したのだ。
扉の障壁が、静かに消滅した。
その先にあるのは、赤黒い肉塊が脈打つ、GAIA・コアの最深部。
俺は倒れた遠藤の傍らを通り抜け、最後の一歩を踏み出した。
だが、その時、九条がささやいた。
『……司。……フェニックスを起動するには、……この「肉塊」の苦痛を、……誰か一人が……永遠に引き受け続けなければならない。……神を殺すには、……新しい……“贄”が必要なんだ』
それが、九条が隠していた、最後の「嘘」の正体だった。
「……九条、お前……まさか……」
『……司、……最高の相棒だったよ。……18円のうどん、……本当は……君と一緒に、……実体を持って食べたかったな』
九条のアイコンが、俺の脳内で、今までで一番鮮やかな「青」に輝き、そして――GAIA・コアのメインフレームへと、吸い込まれていった。
「……九条おおおおお!」
俺の叫びが、脈打つ肉の神殿に虚しく響き渡った。




