第71話:肉塊のクラウド:式典前夜の侵入
建国記念日の式典まで、あと12時間。
地上のゼノン本社ビル周辺は、祝賀ムード一色の喧騒に包まれていた。だが、その華やかなネオンの裏側では、目に見えない死の網が、国民のスマートフォンやウェアラブルデバイスを通じて、静かに、そして確実に張り巡らされていた。
鳳凰院のバンカー内。
俺は、サカモトたちが修復した旧式の大型計算機の前に座っていた。
視力はまだ戻らない。だが、九条と存在定義を共有しているおかげで、カレンの存在だけが、暗闇の中に咲く一輪の蒼い炎のように、俺の脳裏に焼き付いている。
「……ツカサ、フェニックスのコンパイルが完了したわ。……でも、九条が言うには……これを地上から流しても、……MASTIFFの最深部にある『物理ブレーカー』に弾かれるって」
カレンの声は、以前よりもどこか冷徹な響きを帯びていた。存在定義を受けたことで、彼女の中に九条の論理層が一部食い込んでいるのかもしれない。
『……肯定。プロジェクト・フェニックスは「規約の書き換え」です。しかし、運営側はすでにネットワークからの遮断を想定している。……確実にパッチを当てるには、……式典会場の中枢にある「GAIA・コア」へ、……物理的にパッチを流し込む必要があります』
「……物理的な潜入か。……全盲のハッカーと、……鏡に映らない令嬢。……最高のパーティだな」
俺は皮肉を飛ばしたが、手のひらの汗は止まらなかった。
式典会場は、ゼノン社の親衛隊と、最新の防衛ドローンによって守られている。
『……司、……もう一つ、見せなければならないものがあります。……遠藤のキーを使って、……現在の「GAIA・コア」の内部ライブログにアクセスしました。……心して、……見てください』
脳内モニターに、九条が解析した映像が展開される。
それは、地獄をデジタルで具現化したような光景だった。
巨大なサーバー群の隙間に、赤黒い、脈打つ「肉のようなもの」が、蔦のように絡みついている。
それはデータではない。
先行して「統合」の実験台にされた、数千人分の技術者や犯罪者たちの脳と神経が、物理的に融合させられ、巨大な「演算肉塊」と化していた。
「……っ、何よ、……これ……」
カレンが口を押さえて呻く。
その肉塊は、一秒間に数億回のバグチェックを行い、国民を「最適化」するための計算を、絶え間ない「苦痛の叫び」をリソースにして回し続けていた。
『……これが、……プロジェクト・ガイアの真の姿。……国民一億人を、……この肉塊へ繋ぎ合わせる。……それが、明日の式典で行われる「神の降臨」の正体です』
「……あいつら、……人間を……!」
俺の指が、キーボードをミシリと鳴らした。
遠藤が「自分の正義がゴミ箱に捨てられた」と言った理由が、ようやく分かった。
これはガバナンスじゃない。
これは進化でもない。
ただの、冒涜だ。
「……九条。……フェニックスの中に、……『解放』のコードを組み込め。……統合される前に、……この肉塊にされている連中の意識を、……全部……データの海へ放り出してやれ」
『……司、……それをすれば、……物理的な肉体は死にます。……彼らは二度と、……人間には戻れません』
「……それでも、……あんな地獄に繋がれたまま、……一億人の処刑台にされるよりはマシだろ。……俺が、……責任を持って……全員デリートしてやる」
非情な決断。
だが、それが今の俺にできる、唯一の「慈悲」だった。
カレンが、そっと俺の手の上に、自分の手を重ねた。
「……ツカサ。……私も、行くわ。……鏡に映らない私は、……あそこのセンサーには映らない。……私が、……あんたの目になって、……あの肉塊の心臓まで……連れて行ってあげる」
「……ああ。……行くぞ。……18円のうどんで繋がった……この最悪なバグたちが、……神様の正体を、……全国民にバラしてやるんだ」
バンカーの扉が開く。
外は、式典の開始を告げる花火が、虚飾の空に打ち上がっていた。
第4期、最終局面。
一億人の自我を懸けた、最後の「書き換え(パッチ)」が始まった。




