第68話:再教育の孤島:セクター・ゼロの静寂
荒れ狂う夜の海。サカモトが手配した旧式の小型潜水艇が、叩きつけるような波濤を潜り抜け、絶壁に囲まれた孤島『セクター・ゼロ』の排出口へと滑り込んだ。
視力を失った俺の脳内には、九条が生成する蒼いワイヤーフレームの構造図が、不気味なほど鮮明に投影されている。コンクリートの厚み、警備ロボットの巡回ルート、そして張り巡らされた高圧電流のフェンス。それらすべてが「数字」として俺の意識に直接書き込まれていく。
「……着いたわよ、ツカサ。……潮の匂いと、……消毒液の匂いが混ざって、……吐き気がする場所ね」
カレンの声が、耳元で震えている。俺の腕を掴む彼女の指先は、今や氷のように冷たい。属性抹消の深度が進み、彼女の体温さえもシステム上の「エラー」として処理され、現実世界から放熱を奪われているのかもしれない。俺は彼女の手を、感覚がなくなるほど強く握り返した。
「……離れるな、カレン。……俺が観測し続けてなきゃ、……お前はこの海の藻屑になっちまう」
『……司、カレン。……警備システムのハックに成功しました。……ただし、[BLACK] IDの痕跡を完全に消すことはできません。……侵入が発覚するまで、残り420秒。……急ぎましょう』
九条の声が、脳内のノードを弾く。
俺たちは潜水艇を降り、排気ダクトの狭い隙間を這い進んだ。全盲の俺にとって、ここはもはや現実の通路ではない。九条が描く「論理の迷宮」だ。
盲目の王のスキルを起動すると、周囲の壁を透過して、施設内に閉じ込められた「かつてのエリートたち」の微弱な生体信号が、ノイズのように脳へ流れ込んできた。
そこにあるのは、再教育という名の「自我の剥離」。
国家の歯車として使い物にならなくなった部品を、MASTIFFという巨大な研磨機にかけて、個性を削り落とす作業場。
「……なんてこと。……あそこの部屋、……私の知り合いだった……ゼノンの広報官よ。……あんなに虚ろな目をして、……自分の名前を忘れるまで……コードを読み聞かされている……」
カレンのHUDには、九条によって強調された「処刑の風景」が映し出されているのだろう。彼女の心拍数が、同期している俺の胸にも激しく伝わってくる。
「……見るな、カレン。……あいつらは、……あいつら自身の『正義』に食われたんだ。……俺たちは、……その正義の先にある……もっと最悪なバグを止めに来たんだ」
通路の角を曲がる。九条が指し示した座標には、他の独房とは明らかに違う、厳重な「感覚遮断」が施された重厚な扉があった。
そこに、遠藤がいる。
かつて、俺たちをゴミのように切り捨てようとした、最強の「秩序」。
今や、その秩序そのものに裏切られ、暗闇の中に捨てられた男。
『……司、扉のロックを解除します。……心して入ってください。……今の遠藤査察官は、……あなたが知っている“人間”ではないかもしれません』
重厚な金属音が響き、扉がゆっくりと開く。
俺の視界の中に、ポツンと浮き上がる「一つの熱源」があった。
あまりに細く、あまりに静かな、死にかけの魂の灯火が。




