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第63話:亡霊の共振:空虚(エンプティ)が暴く神の綻び

逃げ込んだ先は、ブラック・ボックスの心臓部――旧時代の大型メインフレームが、死んだ巨人の骨のように屹立する墓場だった。

 

 周囲では、俺が撒いた偽のログが遠藤の「削除」によって次々と消し飛ばされている。ダミーの悲鳴が、俺の脳内を直接揺さぶる。自分自身が数千回殺されているような感覚。意識が混濁し、自分が「佐藤司」なのか、ただの「エラーコード」なのかが分からなくなる。


「……ツカサ、起きて! 目を開けて!」


カレンが俺の頬を叩く。彼女の声さえ、データの砂嵐に混じって半分以上聞き取れない。

 

 その時、迷宮の天井が完全に消失した。

 見上げた先には、地上の空などない。そこにあるのは、MASTIFFの基幹プログラムそのものである「巨大な青い瞳」――遠藤の意識と直結した、全知全能の視線だった。


『……無駄だ。数が増えたところで、矛盾は矛盾。すべてを「無」に帰せば、解は一つに戻る』


遠藤の声が、地下の全デバイスから同時に響く。

 巨大な「消去の光」が、天井から降り注ごうとした。

 もはやダミーログも、[BLACK] IDの盾も間に合わない。


『……司、カレン。最後の手段です。……カレンの「属性:エンプティ」を、このブラック・ボックスのメインフレームに直結させてください』


「……九条? それをやったら、カレンは本当に消えちまうぞ!」


『……いいえ。彼女は消えるのではありません。「世界が認識できない場所」へと、自らを再定義するんです。カレン、あなたならできる。鏡に映らないあなただけが、この論理の神の目を逸らせるんです』


カレンが、俺の手をぎゅっと握った。

 彼女の指は、もう物理的な感触をほとんど失っている。だが、そこには確かに「意志」があった。


「……ツカサ。私、怖くないわ。……鳳凰院カレンなんて名前、あいつらに捨てられた時に、もう要らなくなってたのよ」


カレンが、死んだ巨人の心臓部――剥き出しの端子へと手を伸ばす。

 

「……私は、あなたの目の中にだけいればいい。……それ以外の世界なんて、……全部、バグらせてあげる!」


カレンの指先が端子に触れた瞬間、ブラック・ボックス全体が、白でも黒でもない「虚無」の色に染まった。


スキル名:亡霊の共振(Resonance of the Void)

効果:属性抹消されたカレンの「非存在」を、周囲の全パケットに伝播させる。発動中、一定範囲内のすべてのデータは「管理者からも観測不能な特異点」となり、削除パッチそのものが対象を見失う。

取得条件:属性抹消された者が、自らの消滅を恐れず、システムの最深部へと自身の「無」を注入する。

成長条件:管理者権限による「全領域消去」を、この虚無によって10秒以上無効化し続ける。

代償:

精神:カレンの自我が一時的に100%消失し、ただの「虚無を吐き出す穴」となる。

関係:ツカサが彼女を「名前」で呼び続け、観測し続けなければ、彼女は二度と人間には戻れない。

身体:ツカサの視力が一時的に完全に失われる(カレンを脳内で観測するため、視神経のリソースをすべて消費する)。


「……カレン! カレン、そこにいるんだろ! 答えろ!」


俺の視界が真っ暗になる。物理的な目は何も映さない。

 だが、脳内では、[BLACK] IDを通じて「そこにいないはずの少女」の脈動が、一筋の蒼い線となって鮮明に見えていた。


遠藤の放った「全領域削除」の光が、俺たちを直撃する。

 だが、光は俺たちの体を通り抜け、ただ空虚を照らすだけで終わった。

 そこには、削除すべき「定義」が存在しないからだ。


『……何……!? 座標は合っている。……だが、存在しない……? ……理解不能、エラー、エラー……』


遠藤の声が、初めて大きく乱れた。

 論理の神が、自身の計算式に現れた「真の虚無」に直面し、フリーズを起こし始めている。


「……九条、今だ! 殺すんじゃない、アイツを『弾け(パージ)』!」


『……了解。管理者権限を逆転。遠藤査察官の意識を、MASTIFFから物理的に強制切断エジェクトします!』


九条の叫びと共に、俺は脳内の蒼い線――カレンの存在そのものを「弾丸」にして、天空の青い瞳へと叩き込んだ。


――凄まじい電子の悲鳴。

 

 次の瞬間、俺たちの視界を覆っていた絶望的な論理世界は霧散し、ブラック・ボックスには、カビ臭い静寂と、天井から降り注ぐ本物の埃だけが残された。


俺は暗闇の中で、必死に手を伸ばす。


「……カレン。カレン、どこだ。……頼む、消えないでくれ」


指先が、何かに触れた。

 冷たくて、頼りなくて、でも確かに震えている、小さな手。


「……ツカサ……? ……私、……ちゃんと、……いるかしら」


その掠れた声を聞いた瞬間、俺は彼女を力一杯抱きしめた。

 視力はまだ戻らない。だが、腕の中にあるこの「不条理」だけが、今の俺にとっての唯一の現実だった。


『……司、カレン。……遠藤査察官のログアウトを確認しました。……彼は助かります。……ただし、代償として、……彼は二度と「公式の正義」を語ることはできないでしょう』


九条の声もまた、深く消耗していた。

 

 俺たちは生き延びた。

 だが、この勝利の代償として、地上は俺たちを「無視できない癌」として認識した。

 

 遠藤を退けたその先。

 闇の中から聞こえてきたのは、地上のゼノン本社が発動させた、次なるフェーズの駆動音だった。


「……第3セクターが、閉鎖された。……あいつら、地下そのものを『物理的に封鎖』する気だぞ」

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