第60話:代償の濁流:停電の広場と牙を剥く民衆
地下広場「ジャンク・ヘブン」を包んでいた蒼い光が消え、静寂が訪れたのはほんの一瞬だった。
光学復活の代償として引き起こされた局所停電。それは、ただでさえ劣悪な地下の生活環境を、物理的な「死」へと一歩近づけた。
空調が止まり、カビと廃熱の匂いが逃げ場を失って滞留する。
闇の中で、住民たちのどよめきは瞬く間に怒号へと変わっていった。
「おい、どうなってんだ! 画面が消えたぞ!」
「さっきの女はどこだ! 俺たちの通信を返せ!」
群衆の怒りは、希望を見せた者への期待が裏返ったものだ。
俺は、激しい吐き気と偏頭痛に耐えながら、膝をついていた。脳内に流れ込み続ける数千人分の「不満」という名のノイズ。群体同期によって拡張された俺の神経系は、住民たちの苛立ちをダイレクトに受信し、脳を内側から焼き続けていた。
「……ツカサ、しっかりして。……九条、この人たちを落ち着かせられないの?」
カレンが俺の肩を抱き、闇の中でスマホを振る。
だが、スマホの画面に映る九条の青い瞳は、かつてないほど無機質に拍動していた。
『……全面復旧は不可能。……現在の地下リソースでは、……生活インフラと広場演算の同時維持はできない。……司、……[BLACK] IDの提案権を使い、……周辺端末の予備電力を一時徴用して、……照明と最低限の通信だけを一区画に集中させるべきです』
「……ダメだ。……それやったら、……本当に暴動が起きる……」
俺は血の混じった唾を吐き、キーボードを叩こうとしたが、指が思うように動かない。
闇の中から、数人の男たちがこちらへ近づいてくる気配がした。彼らの手には、スクラップで作った無骨な武器が握られている。
「おい、そこのバグ。さっきの令嬢様はどこへ消えた。……まさか、俺たちの端末を壊して、自分たちだけ助かるつもりか」
カレンが、俺を庇うように一歩前に出た。
属性を失った彼女は、闇の中では本当にそこにはいないかのように見える。
男の一人がカレンを掴もうと手を伸ばすが、その指先は彼女の肩を捉え損ね、わずかに滑って虚空を掴んだ。
「……なっ!? 触れねえ……なんだ、こいつ……幽霊か!?」
「……私はここにいるわよ。……触れられないのは、……あんたたちの手つきが雑だからじゃないかしら?」
カレンが、冷徹な令嬢の仮面を被って言い放つ。
だが、その声の震えを俺は聞き逃さなかった。彼女もまた、自分が「データ」に溶けていくような感覚と戦っている。
「……九条。……徴用じゃなくて、……配分だ」
俺は、[BLACK] IDの提案権を使い、最後のリソースを振り分けるコマンドを走らせた。
【スキル名:限定的リソース傾斜(Partial Resource Allocation)】
効果:自身が保持する演算余剰と、[BLACK] IDで提案可能な周辺遊休電力を一点に寄せ、特定インフラだけを優先的に復旧させる。今回は広場の照明と配給・通信表示の一部を再起動する。
取得条件:[BLACK] ID保有者が、群衆の敵意に晒された状態で、自身の安全より公共インフラの維持を優先する。
成長条件:本スキル発動中に、住民の直接的敵意を受けながら三区画以上の機能停止を連鎖回避する。
代償:
身体:ツカサの脳へ流入するノイズが増幅し、吐き気と偏頭痛が悪化する。
機材:自身のパケット防壁が薄くなり、一時的にハッキング耐性が著しく低下する。
社会:復旧地点が「最も明るい場所」として可視化されるため、ツカサたちの位置が地下住民にも敵対勢力にも特定されやすくなる。
バチバチと火花を散らし、広場の一角にある旧式のモニターが再起動した。
続けて、非常灯が一本、また一本と青白く点く。
そこに映し出されたのは、18円のうどん屋の在庫状況と、地下の配給システムが「最低限の正常運転」に復帰するまでのカウントダウンだった。
「……見て。……私たちは逃げない。……この街を、……あんたたちごと見捨てたりしない」
俺の声が、マイクを通さずに広場へ響いた。
住民たちが、再び静まり返る。
怒りが消えたわけじゃない。
ただ、殴る相手を決めかねて止まっただけだ。
その一瞬の静けさの裏で、俺のHUDに九条の警告が真っ赤に点滅した。
『……緊急事態。……地上のMASTIFFから、……これまでにない純度の追跡コードを確認。……司、……逃げてください。……“遠藤”が、……管理者権限の深層に潜ってきます』




