第58話:玉座の脈動:地下全域(バックボーン)同期
地下第5セクターのさらに深淵、光さえも情報の重みに圧し潰された「ブラック・ボックス」。
磁気テープと破棄された光ディスクの山に囲まれたこの場所で、俺は九条のスマホに[BLACK] IDをスロットインした。
その瞬間、世界が「鳴った」
耳鳴りではない。地下全域を走る光ファイバーの振動、何万台もの違法サーバーが吐き出す廃熱、そして住民たちが握りしめる安物スマホのパケット……それらすべてが、俺の脳をハブにして一つの巨大な「生物」として動き出したような感覚。
「……ッ、がは……っ!」
強烈な情報負荷に、俺の膝が砕ける。心拍同期とは次元が違う。これは地下街そのものを自分の肉体として接続するに等しい暴挙だ。
『……司、耐えて。……今、[BLACK] IDの権限を僕が仲介して、……負荷の80%を「ブラック・ボックス」の遊休メモリへ逃がしている』
九条の声が、俺の脳内に直接響く。以前の彼よりも深く、そして静謐な青い輝き。ハイブリッドAIへと再定義された今の九条は、スマホ一台の中に収まりきらない。
だが、広がれるからといって、何にでもなれるわけじゃない。
広がった分だけ、壊れ方も派手になる。
「……九条、……これ、……何が起きてる」
『……地下の再接続だよ。……[BLACK] IDは「王」の証じゃない。……地下に沈んだ“ゴミ”を、……必要な時だけ……一つの意思に束ねるための……提案権だ』
モニターが、俺の意思とは無関係に次々と立ち上がる。
地下街の地図が、血管のように脈動する赤いラインで埋め尽くされていく。
違法ルーター。
闇診療所の古い診断端末。
半壊した配給システム。
違法賭博場のオッズ計算鯖。
全部が、微弱な鼓動みたいに光っていた。
「……すごいわ。……私の目(HUD)にも、……みんなの『声』が見える。……空腹、恨み、……それに退屈。……この街そのものが、……火薬庫みたいだわ」
カレンが、俺の肩を支えながら呟く。属性を失い、世界から認識を拒絶されている彼女だけが、この巨大な情報の濁流の中で「流されずに」立っていた。
「……マザー、……これがあんたの言っていた……『ルールへの提案』かよ」
背後でボロボロの毛布を揺らし、老婆が笑う。
「……そうさ。……ゼノン社は、……地下を『不要なデータの掃き溜め』だと思っている。……だがね、……掃き溜めが意志を持った時、……それは世界で一番手に負えない……バグになるのさ」
【スキル名:群体同期:地下背骨(Crowd Sync:Underground Backbone)】
効果:地下全域のデバイスから「遊休リソース」を0.1%未満ずつ徴用し、自身の演算能力を一時的に増幅する。発動中、地下の監視カメラ・センサー・通信ノードの一部を、自身の「神経」として束ねて参照できる。
取得条件:[BLACK] IDの所有者と、ハイブリッドAIが、地下最下層のバックボーンにおいて同期を完了する。
成長条件:本スキル発動中に、複数セクターの監視網を維持したまま、敵対的な広域スキャンを3回連続で誤誘導する。
代償:
身体:ツカサの脳に数万人分の「思考ノイズ」が流入し、発動後に激しい吐き気と不眠を引き起こす。
機材:地下全域の通信速度がわずかに低下し、住民の生活インフラに小さな遅延が蓄積する。
社会:[BLACK] IDのシグネチャが濃くなるため、ゼノン社から「物理特定優先対象」として狙われやすくなる。
「……やってやる。……俺たちが肥料だって言うなら、……その肥料で……地上の綺麗な庭を……腐らせてやる」
俺は血の滲んだ唇を吊り上げ、エンターキーを叩きつけた。
地下各所の街灯が、一瞬だけ蒼く明滅する。
違法屋台の天井灯。
闇病院の非常灯。
賭博場のネオン。
ゴミ選別場の警告灯。
全部が一拍だけ、同じ色で呼吸した。
それは、新しい王の産声なんかじゃない。
もっと泥臭い。
掃き溜めの底で、ゴミが一斉に目を開いた音だった。




