第57話:黒箱の王国:地下の玉座への階段
墜落した先は、水でも、床でもなかった。
それは、古い磁気テープや、壊れた光ディスクが何十年分も堆積した、物理的な「情報の吹き溜まり」だった。
「……生きてるか、……カレン」
「……ええ。……マッサージチェアに、……放り出された時よりは、……マシな着地ね」
カレンが泥のように堆積した磁気テープの山から這い出す。
彼女の瞳は、まだ蒼い同期の余波を残していたが、その視線は真っ直ぐに俺を捉えていた。属性を失い、記憶を混濁させながらも、彼女は「観測者」である俺を、今や自分の核として定義していた。
『……司。……外部回線、……限定復旧。……ここは、……地下第5セクターのさらに下。……通称「ブラック・ボックス」。……地下住民さえ知らない、……インフラの廃墟だ』
九条のアイコンが、深く澄んだ青色で拍動する。
MASTIFFの論理を宿した彼の声には、以前の「お人好しな相棒」とは違う、どこか支配者めいた威厳が混じっていた。
「……九条、……お前。……本当に大丈夫なんだろうな」
『……ああ。……論理は氷のように冷たい。……でも、その底に……君と食べたうどんのキャッシュが、……まだ残ってる。……僕は、……僕の意志で、……君たちの味方だ』
九条の言葉に、俺は初めて、全身の力が抜けるのを感じた。
その時、暗闇の奥から、カツン、カツンと乾いた足音が響いた。
俺は瞬時にPCを開こうとしたが、九条が制した。
『……敵じゃない。……いや、……“今の僕たち”にとっては、……客分だ』
闇の中から現れたのは、ボロボロの毛布を纏った、あの老婆――『マザー』だった。
彼女は、九条の放つ青い光に照らされ、ひび割れた声で笑った。
「……ククッ、……やりやがったね。……ゴミ処理場の焼却を生き延びたバグなんて、……地下の歴史でも初めてだよ」
「……マザー。……あんた、……また俺たちの死に際を見物しに来たのか?」
「……まさか。……“祭壇”で神の言葉を盗み、……属性を捨てて生き残ったお嬢ちゃん……。……そして、……それを束ねるバグの若造。……アンタたちは、……もうただの『指名手配犯』じゃない」
マザーが、そのカサついた手を差し出した。
その掌には、漆黒に輝く一枚のカード――地下ID [BLACK] が握られていた。
「……地下ID [GRAY] は、……ただの優先権だ。……だが、……この [BLACK] は違う。……それは、……この地下のルールに“提案”できる権限。……玉座への招待状さ」
カレンが、その黒いカードを凝視する。
[BLACK] ID。
それは、ゼノン社のメインサーバーに正面から対抗する万能鍵じゃない。
だが、地下の全リソースを束ねるための「候補者」の証としては、十分すぎた。
「……ツカサ。……これを受け取ったら、……私たちはもう、……本当に地下の側へ立つのね」
「……元から追い出されてたんだよ。……だったら今度は、……こっちのルールで生きる」
俺はマザーからカードを受け取り、九条のスマホにスロットインした。
【地下ID:[BLACK] —— 認証成功】
【ステータス:地下の王候補】
【パッチ適用:プロジェクト・フェニックス、初期化シーケンス準備待機】
『……司。……遠藤査察官が、……地上で慌てているよ。……僕たちの焼却ログが、……ゼノン社内の監視端末群で……“未完了”のまま点滅しているからね』
九条が、少しだけ愉快そうに告げる。
地下の底。誰も来ないゴミの山の上で、俺たちはついに、国家という巨大なシステムを「詰ませる」ための、次の一手を手に入れた。
「……ログインだ、九条。……カレン、……しっかり掴まってろよ。……ここからは、……逃げるだけじゃ終わらせない」
カレンが、俺の袖を掴む。
もう怯えてはいない。
鏡に映らない令嬢は、俺の視界の中で、確かにそこにいた。
地下のさらに底。
俺たちは、ようやく“王になる資格”の入口に立っただけだ。
第2期『地下潜伏・覚醒編』、閉幕。
逃亡と再定義の果てに、俺たちは地下の玉座へ続く階段を見つけた。
次から始まるのは、第3期『反逆の玉座編』。
[BLACK] IDを掲げ、地下を束ね、今度は地上へ攻め上がる番だ。




