第48話:肥料の反乱:ロジック・ボムの点火
第三局の空気は死んでいた。
物理的な距離は数キロ離れているが、感覚を共有している俺には、焼けた基板と「使い潰された人間」の匂いが伝わってくる。
「……助けなきゃ。……ツカサ、あのポッドを解放して!」
「……待て。……今、物理ロックを外せば、……俺たちのログインがバレる。……そうなれば、逆パッチの鍵を受け取る前に……回線を焼き切られるぞ」
『……司の判断は合理的。……カレン・ゼノン、……待機してください。……今、……旧カレン派の生存者から、……ダイレクトメッセージが……』
画面に、震えるようなフォントで文字が躍った。
『……カレン様、……なのですか? ……属性が「無」で、IDが [GRAY] ……。……お館様(元会長)が言っていた通りだ……。……本物のバグが、……来てくれた……』
サカモトではない。
別の、まだ意識を保っている誰かだ。
『……パッチの鍵は、……私たちの「脳内ログ」の断片に隠されています。……遠藤に気づかれる前に、……私たちの意識を……“一瞬だけ”開いてください。……それが、……解放の合図になります』
「……脳を開け、だと? ……そんなことしたら、……あんたたちの神経が焼き切れる可能性があるぞ!」
俺が叫ぶ。
だが、返ってきた文字は一拍も揺れなかった。
『……肥料になるよりは、……バグとして死ぬ方がマシだ。……頼む。……お嬢様を……よろしく……』
通信が途絶えた。
遠藤の査察ドローンが、フロアの巡回を開始したのだ。
「……やるしかないわ、ツカサ」
カレンが、俺の手首を掴む。
縋るんじゃない。荷重を分けるみたいな掴み方だった。
「……私が、……彼らのログを受け止める。……あんたは、……その隙に鍵を抜いて」
「……カレン、……お前……」
「……ここで目を逸らしたら、……私は一生、鳳凰院の娘を名乗れない」
その言い方は、少しずるい。
逃げ道を残さない。
【スキル名:共犯同期(Criminal Synchronization)】
効果:ツカサ、カレン、九条の三者の波形を完全に一致させ、30秒間だけゼノン社の「個人認証」を無効化し、複数人の意識断片を一つのクラスタとして受信・解析する。
取得条件:互いの致命的な弱点(トラウマ、属性抹消、人格侵食)を共有した状態で、命懸けのハックに挑む。
成長条件:本スキル中に取得した断片ログから、「単独では解読不能な鍵」を一つ以上再構成する。
代償:
身体:三人の「心拍数」が同期するため、一人がダメージを受けると全員が苦痛を共有する。
機材:演算負荷が一点集中し、PCの冷却余裕が消失。同期終了後、一定時間フレームと入力精度が低下する。
社会:九条のMASTIFF侵食がカレンにも波及し、彼女の口調と判断が一時的に機械化する。
「……九条、……いくぞ。……死人の遺言、……しっかり受け取れ」
『……了解。……ハック・シーケンス、……開始』
俺たちは、ポッドに繋がれた技術者たちの「意識の海」へと飛び込んだ。
いや、海なんて綺麗なものじゃない。
細切れにされた記憶、途切れた業務ログ、痛覚だけが残されたバックアップ。
そこにあったのは、凄まじい絶望と――それを上回る、鳳凰院への「忠誠」という名のバグだった。
「……っ、あ……ァ……!」
最初に悲鳴を上げたのは、カレンだった。
流れ込んできたのは、彼女を守れなかった大人たちの後悔だ。
その後悔が、今さらみたいに彼女の神経へ刺さる。
『……負荷、許容。……継続します』
九条の声に重なって、カレンの口調が微かに変わる。
抑揚が削れ、語尾が硬い。
「……続行。……ここで、……止めるのは……非合理」
「……おい、カレン」
「……私は、……平気よ。……だから抜きなさい、ツカサ」
平気なわけがない。
でも、こいつはもう痛いから止まる段階を過ぎている。
俺は歯を食いしばり、断片の束に手を突っ込んだ。
規約鍵。
旧署名。
鳳凰院家の隠し認証。
そして、第三局の技術者たちが自分たちの脳にしか残さなかった「逆パッチの鍵」。
カチリ、と。
耳の奥で、噛み合う音がした。
「……取った」
『……逆パッチ鍵、……断片回収。……再構成率、……61%。……残りは、……第三局本体ログと照合が必要』
完成じゃない。
だが、足場にはなる。
――その瞬間だった。
第三局のモニターすべてに、あの「真っ白な官僚服」のアバターが映し出された。
『……見つけたぞ、ネズミども』
遠藤だ。
無数のモニターのどれにも、同じ顔が浮かんでいる。
『……自分の巣穴に戻ってくるとは、……鳳凰院の教育も……底が知れているな』
背中に、冷たいものが走る。
待ち伏せ。
しかも、ただの逆探知じゃない。こっちが第三局へ触れることごと、最初から織り込み済みだった顔だ。
「……チッ。……第三局ごと、……釣り餌だったってわけか」
『……司。……全ルートの封鎖を確認。……ログアウト経路、……順次消失中』
九条の声は平坦だ。
平坦すぎて、逆に怖い。
カレンが、まだ機械じみた声のまま遠藤を睨む。
「……遠藤査察官。……あなた、……ずいぶん趣味が悪いのね」
『……趣味ではない。……掃除だ』
モニターの向こうで、遠藤がわずかに笑った。
それは勝者の笑みじゃない。
処分手順を確認する役人の顔だ。
俺は回収した鍵の断片を握り潰すみたいに、指へ力を込めた。
逃げ道は、細い。
だが、ゼロじゃない。
「……上等だ。……だったらこっちも、……遠藤。……あんたの“掃除”を、……ゴミで詰まらせてやる」




