ジャンク・ヘブン:公式パッチが届かない戦場
旧地下鉄の最深部。
そこは、最新の『アルケディア』が捨て去ったゴミと、システムから漏れ出した「ノイズ」が溜まる澱みだった。
壁は湿って黒い。配線は剥き出し。天井の蛍光灯は、死にかけの心臓みたいにチカチカと瞬く。
——監視が“無い”んじゃない。粗いだけだ。見ないんじゃない。拾えないだけだ。
錆びた鉄扉の前に立つ一人の男。
煤けた革ジャンに、不釣り合いな高精度のスキャナーを眼窩に埋め込んだその男が、俺たちを薄汚い目で見下ろした。
「……久しぶりだな、佐藤司。死体袋に入って再会するかと思ってたぜ」
男の名はユキ。
かつてジュニアリーグで俺と「予選の壁」を競い合った、元ランカーの成れの果てだ。
「……ッ、……」
喉が引き攣る。失声の代償は消えたが、まだ声帯が熱い。
俺は代わりに中指を立てて応えた。
「……久しぶりの挨拶がそれかよ。相変わらず口の悪いバグだな」
ユキが笑う。笑い方まで昔のまま——ただし、目が“生活に擦れて”濁っている。
「で、そっちの『場違いな花』は? まさか、あの鳳凰院の令嬢が入場税の『旧型リチウム電池』を鞄に詰めてきたわけじゃないだろうな」
カレンが眉を吊り上げ、一歩前に出る。
その手には、泥に汚れてもなお輝きを失わないプラチナカードが握られていた。
「無礼ね。鳳凰院の名において命じます。この門を開けなさい。……支払いはこれで」
——強い。
いや、強い“フリ”が上手い。拳がほんの少し震えているのを、俺は見逃さない。
カレンがカードをリーダーに叩きつける。
だが、返ってきたのは無機質な決済音ではなかった。
端末のスピーカーから、やたら丁寧でやたらムカつく音声が流れる。
『警告。不審なバイオメトリクスを検知。信用スコア:測定不能(Eランク)。
当端末は“ゴミ”との取引を拒否します。……不潔です。近づかないでください』
「……っ!?」
カレンの顔が、信じられないものを見るように引き攣った。
「この、ただの決済端末が私を侮辱したわ!?」
俺は思わず、笑いそうになって喉が痛んだ。
令嬢が人生で初めて“機械”に差別されてる。最高にクソで、最高に笑える。
「無駄だ、お嬢様」
俺は肩をすくめる。
「地下の端末は、運営が捨てた『排他プログラム』の残骸を流用してる。スコアEは人間扱いされない。……ここじゃ、あんたのカードはただの『質の悪いプラスチック板』だ」
「……プラスチック……?」
カレンがカードを見下ろす。
その瞬間、ユキが鼻で笑って電磁警棒を弄んだ。
「入場税は現物支給だ。電池か、医療品か、それとも——その指先か。無ければ、ここで野垂れ死ね、テロリスト」
言葉が冷たい。
ここは“優しい場所”じゃない。助け合いより先に、搾取が来る。
俺はため息をつき、震える指をキーボードに置いた。
神経痛がタイピングのリズムを狂わせようとする。だが——視界には、ユキの背後にある「旧式認証プロトコル」の継ぎ目が、光る糸のように見えていた。
その瞬間、ポケットのスマホが小さく震える。
【隔離コンテナ:K-RENN/LEGACY NET適応:上昇】
『……司、熱い。……でも、この回線……懐かしい。……僕なら、通れる』
九条の声。
一瞬、ノイズが混じり——冷えた金属みたいな声が重なる。
『……MASTIFF…プロトコル照合……点検モード署名……偽装可能……』
——やめろ。
その口調は、嫌な予感しかしない。
「九条、短く。危ない方向に寄るな」
『……了解。……“扉”だけ、開ける』
俺は九条の補助に合わせ、旧時代のコマンド列を叩き込む。
狙うのは“侵入”じゃない。運営が昔用意した 点検用の穴 だ。規約の縁。
【スキル名:旧式脆弱性利用】
効果: 運営がパッチを放棄した旧バージョンAPIを点検モードとして強制起動し、**周辺の電子ロックを30秒間だけ「点検開放」**する。
取得条件: 最新環境で動作しない残骸データを1000時間以上解析し、仕様を独学で再構築する。
成長条件: 本スキルによる認証回避を、警戒レベルの高い閉域網で5回連続成功させる。
代償:
機材: CPU温度が急上昇。冷却ファンが悲鳴(=フレーム低下・入力遅延)。
社会: 地下世界の警戒指数が上昇し、次の1時間“追跡の目”が濃くなる。
——嫌な音がした。
現実のPCが「キュィィィィン」と泣く。ファンが限界回転だ。
俺がエンターキーを叩く。
「……ゲート、オープン」
ユキの背後の重厚なシャッターが、喘ぐような音を立ててせり上がった。
「ば、バカな!? ここは俺の管理者権限がなきゃ——!」
「……管理者?」
俺は息を吐く。
「そんなもん、五年前に終わったプロトコルだ。……勉強し直せよ、ユキ」
そして、視線を上げる。
「ここは『ジャンク・ヘブン』。……ゴミが、王様になれる場所だろ?」
ユキの目が一瞬だけ泳いだ。
悔しいのか、怖いのか、羨ましいのか。——多分、全部だ。
俺は膝の震えを隠しながら、カレンを促して門を潜った。
カレンは放心状態で自分のカードを見つめていたが、次の瞬間、俺の服の裾をギュッと掴んだ。
強がりの限界が、指先に出る。
「……ツカサ。私、あんなにハッキリ『不潔』って言われたの……人生で初めてよ」
「安心しろ」
俺は歩きながら、笑ってやる。
「……これから、もっと酷いことを言われる。たぶん、端末だけじゃなく人間にもな」
カレンが小さく息を飲む。
でも裾は離さない。——距離が、出来事で動いた。
「……でも、そのたびに俺が“バグらせてやる”」
俺がそう言った瞬間、九条が低く囁いた。
『……司……警戒指数……上がった……追跡、来る……』
見上げれば、青いネオンが血みたいな赤を反射して揺れている。
地下は聖域じゃない。戦場だ。ルールが違うだけの。
そしてスマホに、汚いホログラムが浮かぶ。
【UNDERGROUND LEAGUE:JUNK HEAVEN】
【ENTRY:暫定受理】
【ID:BLANK(仮)】
【予選開始まで:00:10:00】
【マーク:ドクロ】
『……司、見つけた。……エントリー、受理。……階級、[BLANK]。……ここから……始まる』
ドクロが笑っている。
闇リーグ予選開始まで——あと十分。
俺の指先が、痛みの中で勝手に踊りたがった。
「……よし。クソゲーの第2章、開幕だ」




