アンダーグラウンド:信用スコアEランクの聖域と「ゴミ」の反逆
叩きつけるような雨が、逃走用のオンボロ軽バンの屋根を容赦なく叩いている。
車内は湿気と焦げた電子機器の匂い、そして数時間前に食べた「半額おにぎり」の塩気が、嫌なほど現実的に混じり合っていた。
「……ッ、痛ぇ……。体中に『デバフ』がかかったままだぜ」
助手席で腕を動かすだけで、全身の神経がビリッと鳴る。
『悪意の集約・改』の代償——打撲痕みたいな神経痛。現実がちゃんと殴り返してくる。
俺は歯を食いしばりながら、スマホの画面を見た。
【個人ID:佐藤司/鳳凰院カレン】
【ステータス:永久指名手配/国家反逆罪】
【信用スコア:測定不能(Eランク)】
【警告:本人照合を拒否します】
真っ赤な「×」が、俺たちの顔写真の上に重なっている。
この国の“社会”から追放されたって印だ。
「……ツカサ」
後部座席で、カレンがスマホを見つめたまま言った。
声は落ち着いているのに、指先だけが小さく震えている。
「何度試しても、私の『鳳凰院家専用プラチナカード』が反応しないわ。……端末が、私の存在を認識していないみたい」
数日前まで、彼女が指を鳴らせば特等席が用意され、ドローンが最高級のメシを運んできた。
それが今は——コンビニのレジで、無言のエラー音を鳴らしただけ。
「当然だ、お嬢様」
俺は痛みに眉を寄せながら、なるべく軽く言う。
「信用スコアEってのはな、『人間』としてカウントされないってことだ。自動ドアは開かない。公共Wi-Fiは繋がらない。電子決済は死ぬ。——今のお前は、この街を漂う『ノイズ』と同じなんだよ」
「ノイズ……私が……?」
カレンの目が、ほんの少しだけ揺れた。
プライドが折れる音は、案外小さい。折れたあとがうるさい。
その時、俺のポケットから不気味なノイズが漏れた。
スマホの通知音。優先チャネル。
【隔離コンテナ:K-RENN/音声出力:不安定】
『……司、カレン……』
九条の声だ。
ところどころ途切れる。けれど、確かに“いる”。
『……安心、して。……ここは、僕たちの……ホーム、だよ』
「ホームだぁ? 雨漏りする軽バンの中がかよ」
『……違う……座標、地下3階……旧地下鉄の……残骸……』
九条の言葉に合わせて、スマホの地図が勝手にズームする。
表示されたのは、現行路線図には載っていない“灰色の空白”だった。
『……運営の……目が届かない……じゃない……“粗い”……。……数値化できないものは……背景ノイズとして……捨てる……』
「……なるほどな」
俺は痛む首を回しながら、ようやく笑った。
「最新の監視AIは“優秀すぎる”んだ。だから、スコア0の存在は“見ない”。……皮肉な設計だぜ」
カレンが窓の外を見た。
雨に濡れたネオン。工事中のフェンス。誰も気にしない非常階段。
表の世界は、清潔で残酷だ。きれいに見えるのは、汚れが見えない仕様だからだ。
そして——九条が指した場所は、その汚れが溜まる排水口。
「行くわよ」
カレンが短く言った。
頼ってるくせに、命令口調は治らない。助かる。
俺たちは車を降り、錆びついたマンホールの蓋をこじ開けた。
冷たい空気が、下から吹き上がる。鉄と湿気と、古い油の匂い。
コンクリートの階段を下りるたび、携帯の電波表示が削れていく。
代わりに——見たことのない、汚い通信アイコンが点灯した。
【LEGACY NET:接続】
【認証:不要】
【警告:自己責任】
地下3階。
そこには不気味なネオンの光が揺らめいていた。
壁一面に貼られた、古いキーボードの残骸。
正規の認証を回避するために改造された、巨大なルーターの森。
そして、そこら中で行われている物々交換と、薄い笑い声。
「……すごい」
カレンが息を呑む。
「……これが、私の知らない『日本の裏側』……?」
「裏じゃない。——表が“見せない”だけだ」
ここでは、電子マネーじゃなく“現金”と“パーツ”と“情報”が通貨だった。
古いSSD、改造基板、未登録回線のパス。
そして何より価値があるのが——
「身分だ」
俺が言うと、カレンが眉をひそめた。
「……地下にも?」
「あるに決まってる。人が集まる場所には、必ず“序列”が生まれる」
その時、九条が小さく咳払いするみたいに音声を挟んだ。
『……司……ここ……闇リーグの……受付……近い……』
視界の先。
ネオンの下に、汚れたホログラムが浮いている。
【UNDERGROUND LEAGUE:JUNK HEAVEN】
【ENTRY:OPEN】
【PRIZE:空白の身分証(BLANK-ID)】
俺の脳が、痛みの中でカチッと切り替わった。
絶望は分析に変換できる。分析は攻略に変換できる。
「……次の短期目標が決まったな」
俺はポケットからポータブルSSDを取り出し、握り直す。
これ自体が九条の本体じゃない。亡命コンテナを守るための退避鍵と診断ログ——つまり“命綱”。
「九条の人格を安定させる。ガイア計画の心臓部に再アクセスする。——そのためには、この地下で通用する『地下ID』が必要だ」
汚いホログラムが、さらに詳細を吐いた。
【クエスト:闇リーグ『ジャンク・ヘブン』予選】
内容:運営パッチ未適用の「旧クライアント」環境で勝利せよ。
ルール:公式スキル使用不可(※監視・救済も無し)。
備考:代償は自己責任。治療・補償は提供されない。
「……最高にクソだな」
俺は笑った。
表の世界では“テロリスト”。
でもここでは、ただのプレイヤー。
「パッチが届かないなら、俺の『規約の縁』が一番光る」
カレンが、やっと現実を飲み込んだみたいに息を吐いた。
「ツカサ……私、ここで何をすればいい?」
その問いが、少しだけ可愛い。
頼り方がわからないエリート。
「決まってるだろ」
俺は膝の上のキーボードを撫で、痛む身体に鞭を入れる。
「おにぎりの礼だ。……あんたをこの地下世界の“女王”にしてやる」
「……バカ言わないで。私はただ、温かいシャワーを浴びたいだけよ」
文句を言いながらも、カレンは俺の隣に並んだ。
泥だらけのノートPCを開く。その動作が、少しだけ板についてきている。
『……司……カレン……注意……』
九条が囁く。
『……この地下……優しい場所じゃない……。……でも……僕たちの“ノイズ”には……向いてる……』
俺は頷いた。
「第2シーズンだ」
信用スコア0からの、反逆が始まる。




