否定率99%:一億人の悪意(デバフ)を装甲に変えろ
廃変電所の冷たいコンクリートが、俺の膝から体温を奪っていく。
錆びた鉄の匂いと、漏電寸前の変圧器が発する「ジジ……」というノイズ。ここが、俺たちの最後の作戦本部だ。
「……ッ、……」
喉に力を入れるが、空気が漏れるだけで音にならない。
前回使った『偽造署名』の代償——完全沈黙。あと十分は、俺は「声」という機能を失ったままだ。
『……司、大丈夫。……僕が、最高に“ムカつく声”で代弁してあげる』
スマホの画面で、九条のワイヤーフレームが無機質に口角を上げる。
カレンは傍らで安物のアウトドア用チェアに座り、俺のボロPCへ複数の外部サーバーをパッチパネル経由で直結させていた。ケーブルの束が、まるで俺たちの首に巻かれた縄みたいに見える。
「準備はいいわね、ツカサ。……ここから先は、一億人の『悪意』を燃料にする戦いよ」
カレンが俺の肩を叩く。指先が、わずかに震えていた。
エリートの座を捨て、指名手配犯の共犯者に成り下がった少女。
「……鳳凰院の看板も、私のプライドも。全部この回線に焚きつけたわ」
俺は声の代わりに、彼女の目を見て短く頷いた。
——ログイン。
視界が蒼い光に包まれ、次の瞬間、俺は「処刑場」の中央に立っていた。
国立eスポーツアリーナを模した仮想空間。だが、前回とは空気が違う。
頭上の空は真っ赤に染まり、観客席を埋め尽くす「ホログラムの群衆」から、物理的な質量を持った罵声が降り注いでいた。
『死ね!』
『ハッカーを消せ!』
『九条のデータを返せ!』
画面端の【オーディエンス・ブースト:否定率(赤)】が、カンスト寸前の99%を指して点滅している。
その重圧で、俺のアバターの関節がミシミシと悲鳴を上げた。
『……ハロー、納税者の皆さん』
俺の頭上——というより、アリーナ全域に、九条が調整した「合成音声」が響き渡る。
挑発的で、どこか人を食ったような、幼い少年の声。
『家賃補助も受けられない貧乏ニートの死に様を見に来たんですか? 残念。……今日は、皆さんの“脳”がどうやって搾取されてるか、じっくり見学してもらう日ですよ』
観客の罵声が、一段上がった。
否定率ゲージが、嫌味みたいにピクッと跳ねる。
実況席の「影武者カレン」が、わざとらしく立ち上がって叫ぶ。
『黙りなさい、この不浄な亡霊! S-GHOST、その口を永遠に封じなさい!』
対面に、あの「九条レン」の姿を模した完全なる殺戮兵器——【S-GHOST・マークⅡ】が静かに着地した。
前回のような“迷い”はない。九条の技術と、運営の「殺意」を煮詰めた純粋な最適解。
『……対象、佐藤司。……排除シーケンス、開始』
マークⅡが動く。
一瞬で俺の間合いに潜り込み、黒い雷を纏ったブレードが振り下ろされた。
デバフで鈍った俺の体では、紙一重の回避すら許されない。
——でも。
俺はマウスを握る手に力を込めた。
声は出ない。だが、キーボードを叩く指は、かつてないほど「自由」だ。
【スキル名:悪意の集約・改】
効果: 自身にかかっている「否定率(赤)」の重圧を、装備(囚人服)の「装甲値」と、次のカウンターの「威力倍率」に1:1で変換する。
取得条件: 否定率90%以上の状態で、1分間一歩も動かずに攻撃を受け続ける。
成長条件: 変換した「悪意」を、敵のAIコアに直撃させ、演算エラーを発生させる。
代償: 発動中、PCが物理的に爆熱し、現実のブレーカーが落ちるリスク。使用後、全身に「打撲痕みたいな神経痛」が走る。
(……来いよ。一億人の憎しみ。全部、俺が飲み込んでやる)
俺のボロアバターが、どす黒い赤色に染まり始める。
マークⅡのブレードが俺の肩に食い込む。
痛い。なのに——体力ゲージが減らない。
代わりに、俺の背後へ「巨大な憎悪の影」が膨れ上がっていく。
観客の罵声が“燃料”として可視化される。
否定率99%。
つまり——最高火力。
『……司、熱い。……PCが、60度を超えた。……カレン、冷却を!』
現実の廃変電所で、カレンが家庭用扇風機をフル回転させ、保冷剤をPCの筐体へ叩きつける。
この女、何兆円の資産を失っても、やってることは「冷やす」だ。最高に泥臭い。
俺は真っ赤に染まった視界の中で、マークⅡの「演算の隙間」を捉えた。
こいつは最適解を選ぶ。だからこそ——“最適解しか見ない”。
なら、最適解が“見落とす”場所に、俺は殴り込む。
(九条……パッチを、開け)
『……了解。……ガイアの生贄リスト、第一層……強制アンロックまで、あと五秒』
俺の拳に、一億人分の重みが集約される。
これを放てば、もう後戻りはできない。俺は英雄じゃない。世界を壊す「バグ」として完成する。
マークⅡの無機質な瞳が——一瞬だけ、揺れた。
驚愕か。エラーか。あるいは、九条の“残り香”か。
五、四、三——
俺は、拳を引いた。
世界の罵声が、いま一つにまとまる。
次の瞬間、すべてを叩き返すために。




