はじくもの
鈴の愚痴というか報告に、リンティスも分厚いハムカツをかじりながら肩を竦める。
「何処にでも、めんどくさい奴はいるものだ。或いは平和な証拠だな」
「いやそうかもしれないですけど……でもまたいつ来るかわかんないし。あー、気が重い」
「何、もう二度と顔を見せまいよ」
何のかんの言ってもリンティスは一柱の神だ。この世界ではおそらく最も若い、それ故力も決して強くはない。
だがしかし神としての異能は、人知の及ぶところではない。特に彼の場合、「くつろぎ庵を護る」という点に於いては特化していると言ってもいい。
それはすなわち、害意を持つ者を弾くだけでなく。異世界に於いてそうした者達の『運』を悪化させることさえ可能なのだ。
例えば他の客に媚びてみたもののすげなく拒絶され、八つ当たりにSNSで店の悪い噂を書き込もうとしたら、「店で他の客に絡む気色悪いババア」として既に自分の振る舞いがあげつらわれていた、とか。鬱憤をぶちまけようとした夫には、「会社の人から苦情を言われる」と逆に問い質され、カッとなって離婚を口にすれば、待ってましたとばかりに用紙を出され、そちらが主眼になってしまうとか。
とてもではないがくつろぎ庵に対する敵意を形にする暇等あり得ない。そういう状態に出来る、のがリンティスの異能の一端である。
それは己れの世界では、もっと強く作用する異能。
「久しいな、公爵」
壮年の屋敷の主に些か尊大な調子で語り掛けるのは、息子程の年齢の青年だった。身につけているのも豪奢な、金糸銀糸を織り込んだ綺羅びやかなもの。その当人も長身にそれなりに体格もよく端整な顔立ちで、如何にも高位の貴族子弟という様子。
それもそのはず、彼はこの王国の第三王子クレマンド。十指に入る王位継承権保持者である。
「ご無沙汰しております、殿下」
向かい合うのはこちらも国内屈指の名門公爵家の当主であるドルマース公爵。しかし諸事情あって今は謹慎の身だ。それ故、王子に会うのもしばらく振りになる。
公爵の謹慎にはクレマンド王子が関わっている。正確に言えば彼の婚約者であったドルマース公爵令嬢が。
公爵の一人娘は物心つくかどうかの頃から王子と婚約を結んでいた。言うまでもなく政略結婚のためだ。
だが王子は『異世界から召喚された聖女』に惚れ込んでその婚約を破棄し、元婚約者たる令嬢を『聖女に対する不敬』という罪状で国外追放とした。
それに伴い、要職に在ったドルマース公爵も職を辞し、領地で謹慎している。ただし元々国内でも屈指の大貴族であり政の要でもある重鎮、彼に完全に謹慎されては国が立ち行かなくなってしまう。そのため時折王宮に呼び出されては相談に乗っているのだ。新しく『相談役』という肩書きが付くのもそれほど先のことではないかもしれない。
そもそも娘の罪状にしたところで、王族に対する『不敬罪』ならともかく、公爵令嬢が不敬を問われるのはその王族くらいのものだ。筆頭公爵の一人娘ともなれば、他家の公爵とさえ対等な会話をしてもその聡明さを褒められこそしても咎められる筋合いはない。
増して『聖女』は、その他に何の身分も持たない。出身の異世界では一般市民だったという彼女は良く言えば無垢な天真爛漫だが、貴族社会では常識の通用しない無神経な態度だった。
婚約者のいる複数の異性に、自ら話しかけすりより密着するような振る舞いは、貴族でなくとも忌避されてしかるべきだろう。
増して、当の婚約者が苦言を呈するのに男の方が噛みつくとは何事か、と白眼視されていたのだ。相手が王族とあって表立って咎める者もなかったが、彼……正確には彼に追随する腰巾着達も含めて、周囲の視線は冷ややかだ。
クレマンドは第三王子で、王位継承権はもちろん高いが、ほぼ確実に王位に就くことはない。
彼の兄達は十分に優秀で、その能力に不足はないと見られている。長兄は王太子として王位に、次兄は臣籍降下して一代限りの王族公爵家を起こすことが内定している。姉妹も近隣諸国の王公貴族へ嫁ぐことがほぼ確定済。
この第三王子も、本来は筆頭公爵家に婿入りの予定だったのだが、自らその将来を潰した形だ。
この国は愛の女神を主神として戴く。女神は恋人達の守護神であり、慈愛と癒しを司ると言われてきた。
だがこのところ……具体的にはこの百年程、女神の神格が変わりつつあると囁かれている。
貞節を美徳としていたはずなのに性に奔放な娘に加護を与えるとか、貞淑に身を慎む娘より自己主張の強い娘を贔屓するとか、これまでとは違う意志が窺えるようになった。
果ては『愛に生きる者を愛しましょう』と神託を下し、真面目に努力する令嬢よりも礼儀作法も全く身についていない平民の少女に『誰からも愛される』加護を与えることが増えた。『誰からも愛される』という加護は確かに価値が高い。しかし女神のその加護が有効なのはこの国内に於いてのみ、他国とのやり取りに於いては常識を弁えない個人の出番はない。
更には隣接する大国は実力主義で知られ、数年前には魔物の首魁を討ったと話題になっている。そちらにもそちらなりの軋轢やら何やらがあるらしいが、主神の気紛れに理不尽に振り回される者達からすれば、妬ましいくらいだ。
他はいずれも加護のない小国だが、かといって他国に恥を晒せば立場が悪くなるのは否定できない。この数十年、女神信仰を掲げる神殿内部でも女神のご乱心を嘆く声が出る程だ。
そして若い世代には、その女神の影響が出ている。特にこの王子と、その側近連中は度しがたい程毒されていた。
曰く愛のない結婚に意味はなく、家や国の犠牲になるのはごめんだ等々。女等子を産む他は物の役にも立たないと暴言を吐きながら、婚約者が補佐しなければ与えられた公務も捌ききれない連中だ。
もちろん彼等のその半端な能力を慮ってフォロー可能な女性達をあてがわれたことにも気づいていない。




